高槻だより 2017

<2017年4月>

 主の導きとみなさまの祈りによって送り出され、無事に関西集会での聖日礼拝を始めています。3/26はライブ配信で阿佐谷の礼拝の様子を視聴しました。こちらの部屋が開く10:15頃から受信していたので、新しくなったCSの様子も少し伺えて感謝でした。様子がわかるということの意味は大きいですね。機会をとらえて、こちらの様子もシェアしていきたいと思います。

 4/2の礼拝からみことばの取り次ぎを開始しました。翌週がすぐに受難週、またイースターなので、連続講解はその次からとし、第一回目は派遣式の証しで触れたヨシュア記3:5を扱いました。みことばの力強さに自分自身が恵まれました。子ども向けにはCSの教案誌を利用する予定でしたが、二つのメッセージがバラバラだと礼拝の流れが切れてしまうので、しばらくは同じ箇所から語ってみます。最善の形に落ち着くように、どうぞお祈りください。メッセージ以外に、司会、奏楽、プロジェクターの操作を一人で担当したことには課題も多いです。良い形を模索していけますようお祈りください。

 関西集会自身が抱えている課題はいろいろありますが、新たに知ることもありつつ、みなで祈り合いながら一つ一つに取り組んでいきます。

 家族も守られています。生活の基盤作りはだいぶ落ち着いてきましたが、子どもたちの学校や幼稚園が始まることでまた新しいリズムに慣れていかなければなりません。慌しい毎日になることが予想されますが、主が守り導いてくださるように、どうぞお祈りください。私たちもみなさんのために祈っています。

 

<2017年5月>

新緑の美しい季節となりました。高槻からご挨拶申し上げます。こちらに来てから、まもなく二ヶ月になろうとしています。牧師としての歩みは始まったばかりですが、あっという間の日々でした。毎週の礼拝メッセージ、プログラムの決定と週報の印刷、プロジェクター用のスライド作成と忙しくしています。それでも礼拝中のパソコンの操作や奏楽、献金や愛餐会のお祈りなど、少しずつ分担できてきて感謝です。

先日から創世記の講解を始めました。関西集会の新しい歩みが思わされ、12章のアブラハムの出発のところから始めることにしました。決して完璧な人物ではありませんでしたが、事あるごとに神を礼拝し続けたこの「信仰の父」の姿をしっかりと見ていきたいと思います。また、神の民の歴史から、私たちのために何としても救い主を送らんとしてきた主の思いをたどっていきたいと思います。

その他、賛美については、ナイロン弦のミニクラシックギターに持ち替えてリードしています(防音の音楽室ではないため、周囲への配慮が必要のため)。こちらも慣れが必要です。また、受難週には初めて聖餐式の司式をしました。この聖礼典を通してみことばが浮き上がるようにと願っていましたが、実際には不慣れな中でバタバタしてしまい、まだまだというところです(裂いたパンは大きすぎ、分けたぶどう液も多すぎでした。それでもみなさんで心からこれを守ることができて感謝でした)。こうやって一つ一つ体験していくということなのでしょう。

今後、兄弟姉妹の訪問なども少しずつ始めていきたいと思っています。家族も元気です。続けてお祈りをよろしくお願いいたします。

 

<2017年6月>

 こちらに来て初めてのペンテコステを迎えるのに先立ち、五月二十八日の聖日礼拝で聖霊について語らせていただき、その上で使徒の働き一章三節〜八節より「聖霊の約束を待つ」という題でみことばを取り次ぎました。イエス様が弟子たちの「国の再興」についての質問を否定はせずに答えられたのは、彼らがおそらく意図した軍事的な意味ではなく、「神の国の完成」という意味でその質問を汲み取り、「それがいつかは父が決めておられる」と言われたのでしょう。主が戻ってこられて神の国が完成するその時がいつなのかは分かりません(十一節)。しかし「今」私たちに必要なことは、聖霊に満たされること。主を信じた時に聖霊が内に住まわれただけでなく、満たされ続けることの必要性を聖書から確認しました。また礼拝に先駆けて、さんび集28番の「風よ吹け」を別アレンジで練習して礼拝に臨みました。冒頭に「風よ吹け」と繰り返す歌詞を加えます。その歌詞の通りに、御霊の風を求めるのだという期待に満ちた礼拝となりました。

 そして迎えた六月二日。この日もまた「風よ吹け」を賛美し、子ども向けのメッセージの後で、今度はペンテコステについて語らせていただきました。過越の初穂の祭から五十日目に祝われる「五旬節」とは、出エジプトから五十日目に荒野で律法が与えられた記念日に当たること。神の民に生き方を教えた律法と同じように、いやそれ以上に聖霊は私たちに生き方を教えてくださること(エレミヤ31:31-33)、むしろ主ご自身がそのようにさせると言ってくださっていること(エゼキエル36:27)。その後で使徒の働き二章一節から十一節までを取り次ぎ、弟子たちが語った内容を「母国語で」聞いた人たちがいたこと、それは心の奥底に届くものだったこと、そのようにして触れられて、そこから神の国が広がっていったことを見ました。聖霊によって、私たちが主から教えられた生き方に導かれる時(マタイ22:37-39)、そこから神の国が広がっていくことを思います。自分の状況、日々の実際を思う時に、聖霊の満たしを祈らずにはいられません。

 午後はいつものようにお弁当を囲み、近況報告や祈祷課題などを分かち合った後で賛美をし(「恵み深き御神よ(新聖歌415)」、「御手の中で」)、二人ずつに分かれて手を

置いて祈る時を持ちました。大きな聖会で偉い先生方が祈るようには祈れませんが、手の温かみを感じつつ、真摯に互いのために祈る時となりました。その後、少し早めに散会となりました。

 

<2017年7月>

 高槻からご挨拶申し上げます。こちらへ来てから三ヶ月が過ぎ、毎週の礼拝も少しずつ軌道に乗ってきました。アブラハムの出発に関西集会の新しい歩みを見て、創世記十二章から連続講解を始めましたが、今は十六章まで進んでいます。アブラムの視点はもちろん、これを出エジプトの民に向けて書き記しただろうモーセの視点も踏まえ、新天新地という約束の地を目指す私たちの歩みを重ねながら、少しずつ読み進んでいます。新設した関西集会のホームページで録音を公開していますので、感想など聞かせていただけたら感謝です(https://www.kuon-kansai.org/ 久遠教会のホームページからもたどれます)。

 毎週のメッセージ準備は本当に大きなチャレンジです。長距離走のようなペース配分や、先の見通しも大切だと思わされています。土曜の深夜までメッセージの準備に取り組み、週報作成などその他の準備に取り掛かるのは日付が変わってからということが多く、その辺りも反省点です。ギター一本での奏楽にも課題が多く、よく練習して臨まないと礼拝の流れを止めてしまいます。メッセージ準備だけでなく礼拝全体のことを見越して準備していきたいと願っています。

 先日、枚方で行われた牧師の学び会に参加してきました。多くのことを教えられ、真剣ながらもユーモアのある議論に大きな刺激を受けました。近隣の教会の先生とも知り合うことができ、交わりが広がっていくことを期待しています。

 また、先日ホームページを新設しました。礼拝に来られなかった人のためにメッセージの録音をストックするということと、たまに礼拝の場所が変わるので新しい方も混乱なく来られるようにということ、また対外的に関西集会のことをしっかり紹介できるものが必要と思われたことなどから、ホームページの新設は懸案でした。しかし、教会色を伏せて公共の場所を借りている関係上、あまり大々的にはできないので、検索には引っかからないようにしてあります。またデザインとしても久遠教会のホームページのとのつながりを意識しました。自前の場所を持たないということには、小回りが効くという利点がありますが、対外的には課題も大きくなると思いました。主の導きを祈っていきます。

 季節のこともあり、心身の調子を崩しておられる兄姉が多くおられます。私たちの群れのために、どうぞ引き続きお祈りください。

 

<2017年8月>

 高槻に来てから最初の夏を過ごしています。こちらは連日暑い日が続きますが、時折、北摂の山から涼しい風が吹いてくる日もあります。みなさまはいかがお過ごしでしょうか。ラブ・ソナタは大成功だったそうで、教会としても本当にお疲れ様でした。たくさんの恵みを受けられたことと思います。

 こちらは7月31日にお休みをいただき、他教会の礼拝に参加、多くの刺激を受けて帰ってきました。その直前の週は説教準備から解放されたため、子どもたちと近隣の川に遊びに出かけるなど、のんびり過ごすこともできました。8月20日には東京からS・K兄が来てくださることになっており、楽しみにしています。

 礼拝は創世記の講解が19章まで進みました。先日は2回目の聖餐式。パンとぶどう液の分量はちょうど良かったと思いますが、式文作りに気合を入れすぎてしまい、聖餐式だけで相当時間を取ってしまいました。まだまだ試行錯誤は続きます。牧会面では、心身ともに弱られている方へのフォローの仕方、牧師としての距離の取り方に課題を覚えています。ご家族とも連携をとりながら、こちらにできること、できないこと、すべきこと、すべきでないことを神さまに教えていただきつつであると再確認しています。

 10年近く集ってくださっていたメンバーが東京に転勤となった寂しさを覚えつつ、神さまがなさること、そのご計画に期待しています。引き続き、関西集会のためにお祈りいただけると幸いです。いつも本当にありがとうございます。

 

<2017年9月>

 高槻からご挨拶申し上げます。すっかり秋の空となりました。娘を幼稚園に迎えに行った帰り道、田んぼの稲が重く垂れさがってきた様子を楽しんでいます。収穫の時が近づいているのを見ると、イエス様のことばを思い出します。

 さて、去る八月二十日には、東京よりS・K兄をお迎えしての礼拝を守ることが出来ました。K兄はこれまでも関西集会と深くかかわってきてくださり、みなで再会を喜びました。我が家にとっても、東京を離れてから半年近くになりますが、懐かしく、嬉しいひと時でした。「心と思いを一つにする者とするために」との題で、ヨハネ17章20節~24節からメッセージを取り次いでいただきました。三位一体の神さまが一つであられるように、私たちもその交わりに招かれていることが語られました。午後の交わりでは東京の様子をお聞きしたり、こちらの様子をお話したりと楽しい時間を過ごすことが出来ました。またこの日、九月より東京に転勤のFさんが最後に顔を出してくださり、別れを惜しみつつ祈って送り出すことが出来ました。寂しくなりますが、神さまのご計画に期待しています。

 田中個人としては、八月三十一日に関西牧会塾の「霊性セミナー」に参加しました。「霊的修練と観想的な霊性」、「ナウエンに学ぶ想起の意味」と濃い内容に触発されました。またその場での出会いから「北摂地区牧師会」に誘っていただき、九月十一日に参加予定です。北摂地区で合同イースターを持っている様子、関西集会としても対外的な関わりが持てる機会になるのではと期待しています。

 九月はいつもの会場が空調の工事となり、すべて別会場での礼拝となります。まだ暑い日もある中で歩く距離が延びますので、高齢の兄姉が守られますようお祈りください。季節の変わり目ですが、この者の喘息のためにもお祈りいただけると幸いです(今のところ守られています。感謝です!)。東京の皆さん、各地方集会の皆さんのためにもお祈りいたします。いつも本当にありがとうございます。

 

<2017年10月>

 秋の深まりを感じるようになりました。いかがお過ごしでしょうか。いつも、私たち関西集会のためにお祈りくださり、本当にありがとうございます。また、毎月この場で報告させていただけることも感謝です。

 九月中はいつもの会場が空調工事だったため、四週とも別会場での礼拝となりました。そのうち一回は台風直撃の中で三人での礼拝と、印象深い時となりました。急遽インターネットのライブ配信で東京の様子を見ながら礼拝しましたが、懐かしい皆さんの様子も伺うことができて感謝でした。敬老の日の礼拝ということでJ・K姉が証しをされており、飾らない普段の生活目線での内容に大変励まされたことでした。

 特筆すべきは、11月5日に関西集会として初めての召天者記念礼拝を持つことになったということです。十月で、T・K姉とK・H姉が相次いで召されてから一年になります。同じ年にS・S兄も召されており、また振り返ってみれば関西集会には多くの先に召された先輩方がおられます。私たちには大勢の親族を迎えるような場所もなく、東京のように大きな規模ではできませんが、この集まりに連なる方々の信仰の歩みを偲び、やがての復活の希望を新たにできればと願いつつ、準備を進めています。またこれが牧師のひと声で始まったものではなく、午後の交わりの中から生まれてきたものであったことも意義深いと思います。どうぞ主の慰めと励ましが豊かな日となるよう、お祈りください。

 私は先月から北摂地区牧師会に顔を出すようになり、来春の北摂イースターフェスティバルの準備等に関わり出しています。教会としての歩みが近隣の諸教会にも認知され、公同の教会のひと枝として、協力できるところにはしていきたいと願わされています。

 メンバーのご自宅の訪問やお見舞い、聖書セミナーへの参加など、少しずつですが地道な歩みを続けています。礼拝メッセージはアブラハムのストーリーで最大の山場ともいえる22章を終えました。先日は召天者記念礼拝に先駆けて23章のサラの埋葬の箇所となり、タイミングの良さに驚かされました。神さまは不思議なことをなさいます。

 家族も元気にしています。この半年の守りを主とみなさんのお祈りに感謝します。今後ともぜひお祈りください。いつも本当にありがとうございます。

 

<2017年11月>

いつも関西集会のためにお祈りくださり、ありがとうございます。

 11月5日には、関西集会として初めての召天者記念礼拝をささげることができました。場所の制約もあって大勢招待することはできませんし、まずは普段集まっている自分たちの関係からということでスタートしましたけれども、当日は21人が集まりました。近年召された方々から、召されてからずいぶん経つ方々と様々でしたけれども、先輩方の信仰を偲ぶ良い時となりました。未信者のご家族についても、お写真だけでも持って来てくださいとお願いし、お顔を拝見して思い出を聞くことができ感謝でした。礼拝メッセージでは黙示録21章1節〜5節より「新しい天と新しい地」と題してみことばを取り継ぎました。録音をホームページで録音を公開しています(後学のためにも感想など教えていただけると感謝です)。

 この半年、毎週の礼拝でみことばを取り継ぎ続けてきて、それは牧師という立場でここに遣わされたものの責任ですけれども、みことばを取り次ぐことのほかに、このように直接的に魂のケアをすることも重要であり、関西集会においてはむしろこちらの方が必要とされてきたのだということを目の当たりにしたような気がします。もちろんその両輪が大切です。どちらも大切にしながら歩んでいきたいと願っています。

 また、大きなニュースとしては、高槻市の文化施設の予約方法が変わり、インターネットでの申し込みが可能となりました。今までは一日単位で、該当日の三ヶ月前の日の朝9時に窓口で申し込んでその場で抽選というものでしたが、一月分まとめてインターネットで申し込めるようになりました。後日、抽選の結果もインターネットで確認し、落選していた場合は早い者勝ちでその場で他の部屋を申請します。便利になりましたが、職員の方との窓口でのコミュニケーションも絶やさないようにしていきたいと思っています(随分、好意的に見てくださっているので感謝です)。召天者記念礼拝の時にN・T姉(T・K姉のお嬢様)が言っておられましたが、K姉は「場所取りの予約に命をかけており」、いつもそのことが頭にあったということです。K姉が倒れられてからはみなで分担して来ましたけれども、「朝9時の窓口抽選」の終了は時の流れと変化を感じさせるものとなりました。今後しばらくは私がインターネットでの申し込みを担当します。間違いのないようにお祈りください。

 今後とも、私たちのためにお祈りくださいますよう、どうぞよろしくお願いいたします。

 

<2017年12月>

 主の御名を賛美します。いつも関西集会のために祈っていてくださり、心から感謝いたします。実は礼拝の場所が変わるかも知れず、今、関西集会として大きな転換点にいます。どのような形での変化になるか、完全に移行するのか、少しずつ頻度を上げていくのか、上手く併用していくのか、みなで祈りながら検討しています。

 事の発端は、十一月十九日の礼拝後に施設側から楽器の使用について注意を受けてしまったことです。もともと会議室の利用であり、楽器の使用は認められていませんでしたが、これまで東京からのメッセンジャーが訪問する際など楽器を用いて賛美をしても何も言われたことはなく、私が就任してからもそれに準じてきました。音の小さなナイロン弦ギターに持ち替え、奥まった部屋でひっそりと使用してきたのですが、注意を受けた以上はこれまでと同じようにはできません。ここへ来て注意を受けたことの原因は、私が就任してから楽器の持ち込みが毎週になっていたこと、先日の召天者記念礼拝で大人数での賛美が目立ってしまった可能性などが考えられます。教会の名前を伏せて「久遠の集い」としてきた経緯と同様、他の利用者からのクレームがあったのかもしれません。窓口の職員の方々にはよくしていただいていたので、驚きました。みことばを「聴く」ことと共に、神さまに対して「歌う」という応答の行為も大切にしたいと考えているので、他の場所が与えられるならと探してみるも、音楽室は人気が高く、他の施設の貸し会議室も予約で埋まり、レンタルスペースは高額と難しい現実がありました。

 そのような中で、話を聞いたF姉妹が自宅の居間の開放を申し出てくださいました。高槻駅からのバスの便、楽器使用の可否など、願う条件はすべて揃っています。十一月二十六日、十二月三日と礼拝後の話し合いを重ね、十二月十日に一度体験してみようという運びになりました。新しいことを始めるにはエネルギーが必要です。バスの便が良いとはいえ(五分おきほど)、広く関西の全域から集まってくる高齢の兄姉らが高槻駅からさらに移動しなければならないので、決断とフォローの体制が必要です。

 すでに多くの方に祈っていただいており、感謝しています。これが読まれている段階で、どのような展開になっているかわからないのですが、どのような決断であれ、火の柱と雲の柱(単なる方向指示器ではなく神の臨在!)のもとで平安のうちになしていけるよう、どうぞお祈りください。みなさまのクリスマスも祝福のうちに守られますように。少し早いですが、メリークリスマス!

© 久遠キリスト教会関西集会