top of page
​礼拝メッセージ
お知らせ

●録音

20240414(使徒22:1〜30)主イエスと出会い、共に生きている証し
00:00 / 41:31

●原稿

【4/14】

使徒22:1〜30

「主イエスと出会い、共に生きている証し」
 

久しぶりになりましたが、使徒の働きの続きを読んでいきます。第三次宣教旅行を終えてエルサレムに帰ってきたパウロが、ユダヤ人の暴動に巻き込まれていった場面です。

<21章40節〜22章2節 パウロの賜物>
パウロは階段の上から民衆に向けて静かにするようにと手で制し、ヘブル語で語りかけました。この時代の言語は大きく三つあって、ギリシャ語と、ヘブル語、そしてアラム語です。ローマ人たちはギリシャ語を話しました。そしてパウロのような外国育ちのユダヤ人も、ギリシャ語を話したわけです。21章の37節でパウロは千人隊長にギリシャ語で話しかけています。パウロはギリシャ語が話せたからこそ、宣教旅行であちこちに出かけていくこともできました。ギリシャ語はローマ帝国の共通語で、新約聖書もギリシャ語で書かれています。

次にヘブル語というのはユダヤ人たちが代々使ってきた言葉で、旧約聖書はヘブル語で書かれています。ユダヤ人たちはヘブル語で聖書を読み、祈りました。そしてアラム語というのは、新バビロニア帝国で話されていた言葉で、バビロン捕囚以降ユダヤ人もアラム語を話すようになり、イエスさまの時代のユダヤ人たちも、話し言葉はアラム語だったのです。メル・ギブソン監督の映画「パッション」では、イエスさまをはじめとする登場人物たちがアラム語を話しています。

そのように、ユダヤの人たちは話し言葉としてはアラム語を使いつつ、ヘブル語で書かれた聖書を読み、ヘブル語で神への祈りを捧げてきました。ヘブル語は彼らにとって、聖書もそれで記されているような、いわば代々受け継いできた神聖な言葉であり、きちんと聞かなければならない改まった言葉だったわけですね。パウロは外国生まれでしたけれども、ユダヤ人としてきちんとヘブル語も話すことができたのです。

パウロのギリシャ語は宣教旅行のために大きく用いられましたし、ヘブル語もきちんと話せることで、このようにユダヤ人に対しても改まった正式な形でスピーチをすることができました。彼が異邦人世界とユダヤ人世界の橋渡しをするために活動できたことの背後には、そのように彼を育ててこられた神さまの配剤(ご計画)がありました。彼がディアスポラのユダヤ人として外国に生まれたことも、外国で生まれつつユダヤ人であったことも、神さまの配慮に満ちたご計画だったということです。そのことはパウロ自身がよくわかっていて、彼は自分に与えられている賜物をどのように用いるかということで、自分にできること、自分がしなければならないことを理解していたことでしょう。

これは私たちにも大切なことです。自分にできること。自分がしなければならないことがある。神さまがあなたに任せておられることがあるのです。それが何なのか、私たちは探し求めていく必要がありますね。

さて、1節の「兄弟ならびに父である皆さん」というのは、自分の同胞、自分の民族への呼びかけです。パウロがヘブル語でこのように呼びかけるのを聞いて、人々は静まり返りました。

<3節〜 パウロの証し>
3節から、パウロは自分が何者なのか、というよりも、自分はどのようにしてイエス・キリストに出会ったのかを語っていきます。いわゆる「証し」です。証しとは、自己紹介というよりもイエスさまとどのように出会ったのか、そして、今どのように歩んでいるのか、それがどれほど幸いな生き方であるかを証言することです。私たちも証しをする機会があると思いますが、そのことに焦点を当てていきたいものです。

パウロが語った内容を振り返っていきたいと思いますが、彼は「キリキアのタルソで生まれたユダヤ人」、つまり外国生まれのディアスポラのユダヤ人でした。しかし、ユダヤ人としての教育を受けるためにエルサレムにやってきて、そこで高名な律法学者であるガマリエルのもとで学びます。この人は使徒の働き5章にも出てきます(5:34)。律法学者たちの中でも特に尊敬されている人でした。彼のもとで厳しい教育を受け、自分は神に対して非常に熱心になったとパウロは振り返っています。ただ、自分の力、自分の正しさを過信しすぎての熱心さでした。自分の正しさに熱心になりすぎて、自分とは違う他の人達を認めることができなくなるというのはよくないですよね。

4節、その熱心さは「この道」を(つまりイエスをキリストとして信じる信仰をもって)歩んでいる人々を迫害し、誰であっても牢に入れるほどのものだった。そうやって亡くなった人も大勢いた。そのことは大祭司や長老会全体もそのように証言してくれるだろう。私は彼らからダマスコのユダヤ人たちへの手紙を預かって出かけたんだ。それはダマスコにいるイエスの信者たちも縛り上げて連れてくるためだった、というわけです。使徒の働き9章に出てくる出来事ですね。

<6節〜16節 イエス・キリストとの出会い>
6節からが、この証の大事な点になります。イエスさまと出会う場面です。パウロはダマスコの近くまで来た時に、突然、天からのまばゆい光に照らされて地に倒れます。そして「サウロ、サウロ、どうしてわたしを迫害するのか。」という声を聞いたのでした。パウロが「主よ、あなたはどなたですか。」と尋ねると、「わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである。」という答えがありました。パウロが迫害していたのはクリスチャンたちであり、教会です。しかし、イエスさまからしたら、それはご自身のことなのだということです。教会はキリストのからだと呼ばれます。イエスさまは私たち関西集会のこともそのように見ていてくださいます。

ところで、その時パウロと一緒にいた人たちは、光は見たものの、その声は聞き分けられなかったと言います。使徒の働き9章の方では「声は聞こえても誰も見えな」かったという表現でした(9:7)。総合して考えると、周囲の人にも光は見えた。声というか、音も聞こえた。でもパウロに語りかける内容はわからなかった。もちろん、誰の声なのかも分からなかったということになります。パウロがイエスさまに出会った場面を、他の人たちもこのように見ていたのです。しかし、何かが起こっていることは分かったけれども、そのイエスという方が誰なのか、どういう方なのかは分かりませんでした。イエスさまとは、各人がそれぞれ自分自身で出会う必要があるんです。自分に近しい誰かがイエスさまに出会っているから、それで自分も出会ったのではなくて、自分自身でイエスさまに出会う必要がありますね。

さて、イエスさまと出会うことで、パウロは自分がしていたことの意味を知らされます。そして目が閉ざされ、まったくの暗闇の中に置かれました。ダマスコまでも自分では歩けず、手を引いてもらわざるを得ないほどの、完全な暗闇でした。彼はここで、自分と向き合う期間を与えられたのです。イエスさまと出会うことで暗闇の中に置かれるということがあるんですね。あの祭司ザカリアもそうでした。必要な暗闇というものがあるのです。

三日後、アナニアという人が遣わされてきて、彼に祈ってもらうことでパウロは再び見えるようになりました。自分から悟りを開くとか、自分から何かを見つけたのではなく、神さまから遣わされてきたアナニアによって目が開かれたのです。神さまによって与えられた暗闇の期間は、自分の努力で終わらせたのではなく、神さまから与えられる恵みによって終わったのですね。

アナニアはこう言いました。14節「私たちの父祖の神は、あなたをお選びになりました。あなたがみこころを知り、義なる方を見、その方の口から御声を聞くようになるためです。 15 あなたはその方のために、すべての人に対して、見聞きしたことを証しする証人となるのです。 16 さあ、何をためらっているのですか。立ちなさい。その方の名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。」

14節「私たちの父祖の神」というのは、旧約聖書からの繋がりを意識させる表現です。天地を造られた神が、ということですね。パウロはユダヤ人の聴衆に向けて今話していますから、旧約聖書との繋がりをアピールするためにこの辺りはしっかり強調して話したことでしょう。「選び」というのは、救いの根拠は私たちの側にはないことを意味します。よく、選びというのは不公平ではないかという話になってしまうのですが、神さまはすべての人が救われることを願っておられるのは確かですから(Ⅱペテロ3:9)、そこを気にする必要はないのです。神の選びとは、私たちが救われたのは自分の力ではないこと、振り返ってみれば神さまから選ばれていたのだ、すべて恵みだったのだという意味です。アナニアは、選びの理由、つまり救いの理由を続けます。私たちが救われたのは、私たちが神のみこころを知るため。この世界を回復させようとしておられる神さまの大きなみこころを知るためということです。そして義なる方を見るため。イエスさまを見る、イエスさまを知り、イエスさまと会うためということです。そしてその方の口から御声を聞くようになるため。私たちは聖書のことばを読むということを通して、むしろ神さまのことばを聞くことになるんです。そのために私たちは救われた。パウロだけでなく、私たちもそうです。

そして、15節、救われた者は証人となるのです。パウロだけではありません。救われた者は、神さまがどのようなお方か、私は神さまとどのように生きているか、それがどれほど幸いな人生か、証言するのです。ことばで証言することもあるだろうし、生き様で証言することもあるでしょう。使徒の働きのはじめのところで、イエスさまが「(あなたがたは)わたしの証人となります。」と言われたとおりです(使徒1:8)。

アナニアは続けます。16節「さあ、何をためらっているのですか。立ちなさい。」暗闇の中に座り込んでいるのはもう終わりです。この「立ち上がる」というのは、よく話しているように「復活」と同じ言葉です。イエスさまの復活を信じて、私たちも立ち上がりましょう。そして16節後半「その方の名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。」水の洗礼は一回のことなので、私たちもまた洗礼を受けるという話ではないのですが、「私はそういうものとされたのだ」ということは、私たちも何度でも思い出しましょう。そして、何度でも聖霊のバプテスマ、つまり聖霊に沈められるようにして満たされることを求めていきましょう。

使徒の働き9章と読み合わせると、この後パウロはアナニアからバプテスマを受けています(9:18)。そして、その後彼はダマスコで伝道を始めます。第二コリント(11:32)やガラテヤ書(1:17-18)とも読み合わせると、彼はすぐにエルサレムには行っていないようです。ダマスコと、(恐らくシリアの)アラビア地方を回って伝道し、弟子の数も増えていったことでナバテア王国の代官から命を狙われるほどになってしまい、夜の間にダマスコを脱出してエルサレムに向かったという経緯でした。彼がエルサレムに帰ったのは、イエスさまと出会ってから三年後のことです。

<17節〜21節 イエスとどのように生きているか>
そして17節、彼がエルサレムに帰り、宮(神殿)で祈っていた時、彼は幻で主を見たのです。主はこう言われました。「早く、急いでエルサレムを離れなさい。わたしについてあなたがする証しを、人々は受け入れないから。」

使徒の9章を見ると、エルサレムに帰ってきたパウロをユダヤ人たちが殺そうと狙っていたとあります。パウロと同じくギリシャ語を使うユダヤ人たちですね。エルサレム教会の人々がそれを知って、パウロを逃がしたのです(9:28-30)。しかしその前に、エルサレム教会の人たちが逃がしてくれる前にですね、主ご自身がパウロに危険を知らせてくださっていたのでした。

19節〜20節、パウロはその主からの忠告に対して反論しています。私がどれほど変わったか、彼らはよく知っています、と。私はクリスチャンたちを捕らえて牢に入れたし、ステパノが殺される時だって、それに賛成しました。それほどの私が今、こうやってあなたのことを伝えているのです。私がどれほど変わったか、彼らは興味を持って話を聞いてくれるはずです、というわけですね。ペテロも以前、カイサリアで夢を見た時に神さまに反論しました。神さまからこれを食べなさいと言われたのに、「主よ、私は今まで、律法のとおりにこういったものを食べたことはありません。」ともっともらしく言ったわけです。それでも主は「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない。」と言われたのでした(使徒10:9-16)。あの時のペテロのように、パウロもまた、神さまに対して反論していたんですね。不謹慎かもしれませんが、すごく人間的で、いいですよね。私たちは神さまに反論したくなるんですよね。

でも21節、主は言われるのです。「行きなさい。わたしはあなたを遠く異邦人に遣わす。」そして、その通りになったわけです。私たちの反論のようにではなく、主のことばの通りになったのでした。神さまに反論したっていいし、納得いくまで申し上げていけばいいと思います。でも最終的にはやはり神さまが語られた通りになるんですね。パウロが世界中を旅して異邦人社会に福音を伝えてきたというのは、イエスさまから言われたことだった。神さまからそのように導かれてのことだったと、パウロは証ししているのです。

パウロは、イエスさまから言われたことに反論したりもしつつ、それでも確かに主から語りかけを受けて、このように神さまとやりとりをしながら、世界中を旅してここまで歩んできたのです。証しには、イエス・キリストと出会った経緯と同時に、今、自分はどのようにこの方とともに生きているのか、そこまで含めることが大切ですね。

<22節〜23節 証しへの反感>
ところが、そういう話は時として人々の反感を買うんですよね。イエス・キリストが私の人生にどのように関わっておられるか、どのように語り合っているか、私はその方を信じて今どのように生かされているのかというところ、それは証しの一番肝心なところですが、そこにやはり大きな力があるので、反感を買うこともある。でも逆に、そこをこそ喜んで聞いてくださる方もいます。いや、そういう方が多いのです。聖書の話とか宗教の話というよりも、目の前のこの私という人間の生き方、その話に証しとしての大きな力があるのです。人が聞きたいと思っているのは、聖書にはこういうことが書いてあってねということよりも、その人の目の前のこの私という人間が、イエスさまとどのように生きているのか、そこのはずです。そこにこそ、証の大きな力がある。力があるからこそ、反感を買うこともまたあるわけですね。

今回、「神ご自身が」私を異邦人に遣わすとおっしゃったというパウロの話は、ユダヤ人からしたら一番聞きたくない内容でした。聖書を守り、自分たちこそ神から選ばれた民族だと思ってきた人たちなので、その聖書の神が、福音を異邦人に知らせると。ユダヤ人は福音を聞かないから、もうここから離れて異邦人のところに行きなさいと神が言われたという話は、もうユダヤ人たちの我慢の限界を超える内容でした。

そして「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしておくべきではない。」と叫び、上着を放り投げてちりを撒き散らす大騒ぎになりました。あまりの騒ぎに、千人隊長はパウロを兵営の中に引き入れたのでした。

神さまを信じて今私がどう生きているか、そこが一番証しの肝心な部分だと言いました。ここに証しとしての力があるのです。 だからこそ反感を買うこともあるあのですが、でもやっぱり、心ある人々が一番聞きたいと思っているのはここなんですよね。ここに力があるんです。神さまを信じて生きることが、実際の人生にどのように関係してくるのか。神さまを信じて生きることで、人生がどのように変わるのか。このところを自分の言葉で説明できるようにしておく、というのは大事なことだと思います。あなたの友人知人、ご家族は、そこを聞きたいと思っているはずです。私たちはそこを証言していく。証ししていくのです。

<24節〜30節 その後>
この後は大まかに見ていきますが、千人隊長はパウロをむちで打って取り調べようとします。しかし、パウロは「ローマ市民である者を、裁判にもかけずに、むちで打ってよいのですか。」と抗議しました。ローマ市民にはそのような特権があったのです。それを聞いて千人隊長は慌てます。パウロをむちで打とうとしていた人たちも、これはまずいと手を引きました。このようにむち打ちは免れましたけれども、パウロの鎖が解かれたのは翌日だったようです。千人隊長は、この騒ぎの原因を調べるために祭司長、並びに最高法院の議会を召集しました。パウロはそこでまた弁明をすることになります。

<私たちも証しを>
今日はパウロがみなの前で証しをした場面を読みました。どのようにしてイエスさまと出会ったのか。また、その後イエスさまとどのように生きているのか、自分はどのようにこの方と語り合い、導かれているのかという内容でした。私たちも証しをするのです。文章にまとめて、礼拝の場で証しをすることをお願いすることもあるかもしれませんが、それ以上に、普段の生活の中で、礼拝後の交わりの中で、ぜひ証しをしていただきたい。聖書の内容を説明するというよりも、イエスさまとどのようにして出会ったのか、そして今、主とどのように語り合っているのか、主がどのように導いてくださっているか。そこの部分が大切です。そんな話をお互いに語り合いたいですし、まだ主を知らない方々へもそのように証しをしていこうではありませんか。聖霊がそのような機会を与えて、促してくださいます。私たちは主の証人となるというみことばは事実です(使徒1:8)。また、招きのことばで読んだ通り、語るべきことは聖霊が教えてくださいます(ルカ12:11-12)。証しをしなければならない!と肩に力を入れるのではなく、神さまにお委ねしながら、お任せし、これらのみことばが私たち自身の上に実現する様を共に見させていただきましょう。(ルカ12:11b〜12)

 

ーーーーーーーーーーーーー

 

【4/7】

ヨハネ20:19〜23

「聖霊を吹きかける復活の主イエス」


先週は、イエスさまがよみがえられたことをお祝いするイースター、復活祭の礼拝でした。イエスさまは私たちの罪のために、というよりも、むしろ私たちの罪そのものとして十字架上で処分されてくださったわけですけれども、それはつまり、私たちの罪も恥も弱さもすべて、私たち自身がイエスさまと共に十字架で死んだということなのだと聖書は語っています。そして、イエスさまがよみがえられた以上は、私たちも復活するのです。やがて新天新地において、私たちは身体をもって復活します。それだけでなく、今もその前味として復活のいのちを生きていける。私たちはもう、いまだに引きずる弱い自分、古い自分に絶望しなくていい、今私たちは復活のいのちを生きている。それがイースターの意味でした。キリストが復活されたという知らせは私たちの生き方を変えるんです。

先ほど読んだ箇所に、イエスさまの弟子たちが出て来ました。イエスの弟子たちと言えば、初代教会のリーダーとなった人たちです。彼らも復活の主イエスに出会って変えられた人たちでした。復活のいのちで新しくされていった人たちでした。そのことを念頭に置きながら、では19節からご一緒に見て参りましょう。

<19節〜20節 不安の只中に来られる主イエス>    
「その日、すなわち週の初めの日の夕方」、これは日曜日の夕方ということです。以前もお話ししましたが、ユダヤでは日没から一日を数えますので、金曜日にイエスさまが亡くなってから、金曜日、土曜日、日曜日と足掛け三日目が終わろうとしている時間帯でした。「弟子たちがいたところでは、ユダヤ人を恐れて戸に鍵がかけられていた。」とあるのは、文字通り、弟子たちは屋内に閉じこもって鍵をかけていたのです。「戸」というのはもともと複数形で書かれていますので、建物の入り口だけではなく、部屋の入り口にも鍵をかけ、あちこち鍵をかけて閉じこもっていたということです。なぜ、彼らはここまで恐れていたのでしょうか。彼らはマグダラのマリアから「よみがえられたイエスさまに出会った」という報告は受けていたわけですし、ペテロとヨハネは空の墓も確認してきたわけです。ヨハネに至っては、主がよみがえられたことも信じていました。しかし、彼らは「ユダヤ人を恐れて」いました。イエスの墓が空になっているということの知らせは、祭司長たちにも知られていました。しかも、「弟子たちがイエスの遺体を盗んでいって、イエスが復活したとデマを流している」という噂も流れ始めていたのです(マタイ28:11-16)。まだ混乱の中にあった弟子たちが、噂に恐れをなして閉じこもってしまったのも無理はありません。私たちも、自分の心の中に何重にも鍵をかけて閉じこもっていることがあるかもしれませんね。恐れと不安でいっぱいになって、隠れよう、隠そうとしていることがある。それは無理もないことです。    
    
しかし、そこにイエスさまが来られるのです。恐れと不安のその場所に、隠れていたい場所に、私たちの主は来てくださる。あの日、弟子たちがいたところには部屋という部屋に鍵がかけられていたけれども、イエスさまが来られ、彼らの真ん中に立って「平安があなた方にあるように。」と言われました。これは幽霊のようにフッと現れたということではありません。この直後に、「わたしは幽霊ではない」ということを示しておられるわけですから。イエスさまは鍵を開けて入って来られたんでしょうね。使徒の働きにも、ペテロが投獄されていた際に、天の使いが鍵を開けるシーンが出てきます(使徒12:10)。とにかく、幽霊ではなく、もしくは実態のない、何か彼らの思い出の中だけの出来事でもなく、イエスさまは実際に来てくださったのだということです。恐怖と混乱、疲弊の只中にあった彼らのところにイエスさまが来てくださった。何重にもかけた鍵をものともせずに、イエスさまは来てくださいました。私たちの心の中にもこの方は来られます。

扉を開けて入ってきてくださるといえば、私たちがイエスさまを信じた時、私たちの心の扉をイエスさまが外側から開けることはなさいませんでした(黙示録3:20)。扉を開けることは私たちに任されていた。今日の話はそれとは違って、私たちがうずくまって隠れているところに主は来てくださる。共にいてくださるということですね。

<平安があるように>
「平安があるように」と主は言われます。以前学んだように、「平安」とはヘブル語で「シャローム」ということばです。平安とか、平和と訳されることばです。しかも、ただの安心、ただの平和というだけでなく、神さまによる完全な力といのちに満ちた生き生きとした意味があると説明されます。つまり、ただ争いがないこと、心配事がないことというよりは、もっと積極的に、神さまが与えてくださるあらゆる良いものに満たされている状態。健康も、安全も、生活も、あらゆる領域に神さまの恵みが満ち溢れている状態。それをシャロームと言うのです。ヘブル語の挨拶は今も、この「シャローム」です。神さまの恵みと祝福がありますように、ということですね。イエスさまは、私たちにシャロームと声をかけてくださるお方です。

そして、イエスさまは「手と脇腹を彼らに示され」ました(20節)。それは十字架につけられた時の傷跡です。紛れもなく、イエスさま本人の傷跡でした。イエスさまは今、間違いなく生きておられる。そして、今ここに共にいてくださる。そのことは、暗闇の中にいる人にとってどれほど平安なことであり、喜びであることでしょう。どれほど、「シャローム」であることでしょう。今、暗闇の中にいるという人がいるかもしれません。今、疲れ切って隠れているという人がいるかもしれません。今いなくても、これからそういう場面になるかもしれない。そんな時は、私たちのために、あなたのために十字架にかかられたその傷跡そのままの、イエスさま本人がそこに来てくださること、「シャローム」を与えてくださることを忘れないでください。

<主を見て/主と会って>
「弟子たちは主を見て喜んだ」とあります。これは主にお会いして喜んだということです。日本語でも英語でも「見る」という言葉には「会う」という意味がありますよね。「まみえる」とか、「Nice to see you(お会いできて嬉しいです)」とか。新約聖書が書かれたギリシャ語でも同じです(ヘブル13:23等)。ここで弟子たちは、イエスさまと「会って」喜んだんです。信仰とは、信じるとは、何か目に見えない得体の知れない何かを、いると思い込んで、頭の中で強く思い描くということではありません。確かに、今私たちはイエスさまを見ずに信じているわけですが、それは、本当はいないはずの何かをいると強く思い込むということではありません。イエスさまを信じるとは、イエスさまに「会う」ということなんです。しかも、私たちが努力してこの方に会ったんじゃない。この方の方から、イエスさまの方から私たちに会いに来てくださった。今日のこの箇所でも同じです。

<21節〜22節 聖霊を吹きかけられる>
21節、イエスさまは再びシャロームと言われます。「平安があなたがたにあるように。」大事なことは二回繰り返されるんですね。そして、次のように続けられました。「父が私を遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします。」父というのは、父なる神のことです。この世界を造られたお方。私たちの罪の赦しのために、ひとり子イエスさまをこの世に遣わされました。イエスさまは、この方の御心の通りに生きられた。十字架にかかって死ぬというほどに、完全に父なる神に従って生きられました。それと同じように、今度はイエスさまが私たちを遣わされると言うのです。イエスさまの御心の通りに生きるようにと。神さまの御心の通りに生きるようにと。そういって、弟子たちに息を吹きかけられました(22節)。

聖書の初めの書物である創世記に、次のような記述があります。「神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。」(2:7)これは、天地創造のストーリーの中でも特別に際立っている箇所です。人間だけが、神さまのいのちの息を吹き込まれて造られました。だから、人には役割と責任があるんです。神さまを礼拝できるのは人間だけです。そして、神さまが造られたこの世界を大切に管理する役割と責任があるのも人間だけです。私たちの、あなたの存在には意味がある。神さまにとって、私たち一人ひとりはかけがえのない存在なのだと聖書はその最初から語っているのです。しかし、そのすぐ後の創世記三章に、人の心に罪が入った様子が記されています。それ以降、人と神との関係、人と人との関係(ここには自分自身との関係も含まれます)、そして人と世界との関係は歪んでしまいました。

イエスさまの十字架はその罪の歪み、つまり的外れの状態を正すためのものでした。十字架にかかってそのみわざを完成されたイエスさまは、よみがえられ、そして今一度私たちにいのちの息を、神の息を吹き込まれます。これは新しい創造です。創世記のあの箇所が繰り返されている。新しい創造なんです。私たちはイエスさまにあって新しくされる。新しい人となる。そうやって、遣わされていくのです。神さまの御心をこの世界に広げていくために。イエスさまが教えられたみことばをこの世界に広げていくために。そのために、いのちの息が必要なのでした。息というのは聖書のことばでは「霊」を意味します。神の息とは、それすなわち聖霊です。ペンテコステを前に弟子たちには聖霊が吹きかけられていたんですね。もっとも、イエスさまが天に昇ってから聖霊が来られたというペンテコステが決定的な日ですので、これはその前の旧約時代と同様に、特別なケースとしての聖霊の注ぎかけということになります。この時、聖霊を、神の息を吹きかけられたのはここにいた弟子たちだけでした。十一人の弟子たちと、マグダラのマリア他数人の人たちだけだったと思います。主イエスを信じるすべての人に聖霊が注がれるという出来事は、これから50日後のペンテコステの日を待つことになります。

<23節 赦しの福音を携えて>
さて、最後の23節にはドキッとするようなことが書いてあります。「あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦されます。赦さずに残すなら、そのまま残ります。」これはどういうことでしょう。

まずこれは、「誰かがあなたに罪を犯した場合、あなたが赦すならその罪は赦され、あなたが赦さないならその罪は赦されません」ということではありません。究極的な罪の赦しは神さまがなさることですし、個人的なあなたへの罪を赦すかどうかという話がここでされているわけでもありません。それについては、何度赦すべきですかという弟子の質問に対して、イエスさまは七度を七十倍、つまり完全に赦せとおっしゃっています(マタイ18:21-22)。これは簡単なことではないので、赦せない自分を殊更に卑下する必要はなく、そのままの自分でイエスさまに向き合い続けることが大切だと思いますが、今日のこの箇所で言われていることは、罪の赦しを宣言するという役割についてです。

解説を入れながら詳しく言い直すなら、「あなたがたが、だれかの罪に関してイエスさまの十字架の赦しを宣言するなら、つまりその人にイエスさまを紹介し、その人が罪の赦しを受け入れるなら、その人の罪は赦されます。」ということ。逆に「その人に赦しの福音を伝えないなら、それはそのまま残ってしまうのだから。」という話です。つまり、赦しの福音を伝えなさいということ。その人の罪の赦しのために、イエスさまの赦しの福音を伝えなさいということですね。そのために遣わされていく。そのためにイエスさまは私たち一人一人を遣わされる。いや、今すでに遣わされているのです。

罪というのは犯罪のことではなく、先ほども言ったように神さまとの関係が歪んでいる状態のことです。だから様々な生きづらさが生じます。関係の破れが生じます。でもその状態を神さまは癒してくださる。回復させてくださる。イエスさまの十字架によって、回復させてくださる。その知らせを伝えるようにと、イエスさまは聖霊を吹きかけて弟子たちを遣わされました。私たちも同様です。私たちも、聖霊に満たされて、神の霊に満たされて、罪の赦しの宣言を、十字架と復活の福音を、人々に証しするべく遣わされているのです。

<私たちもイエスさまと出会える>
イエスさまと出会わなければならない、出会い続けなければならないのは、私たちも一緒です。私たちはイエスさまと出会い、イエスさまを救い主として信じ、今を歩んでいますが、なおなおイエスさまと出会い直していく必要があります。何度でも繰り返して、出会い直していくのです。劇的な出会いがあるかと思えば、聖書のみことばを通して心が燃やされるような、静かな出会い方もあるでしょう。

この箇所を読みながら、改めてイエスさまと出会っているような感じがします。この箇所を読むたびにそうです。こうやって、何回でも出会い直していくんですよね。

イエスさまは、私たちの固く閉ざされた心の扉を開けて、ご自身が生きておられること、共にいてくださることをはっきりと示してくださいます。聖書の別の箇所には、先ほども言ったように私たちの方から扉を開けなければならないという表現もありますが(黙示録3:20)、今日の箇所が教えることは、神さまの側から、イエスさまの側から中に入ってくださるということ。今日の箇所は、失意のどん底にいる私たちに、「わたしはここにいるよ、一緒にいるよ」ということを教えてくださるイエスさまだ、ということが強調されています。聖書の大切なことばに「インマヌエル」という表現があります。「神は私たちと共におられる」という意味です。復活のイエスさまは、今も私たちと共にいてくださいます。

それは聖霊においてです。私たちは聖霊を内に宿すものとして新しく創造されました。新しい人とされました。依然として古い生き方をひきずってしまうものですが、何度でも自分は新しくされた者だったと思い出しましょう。

そして、イエスさまの十字架による赦しの知らせを人々に伝えていきたい。新しく生きることができる、その良い知らせを、福音を、伝えていきたいと思います。この福音は自分にも、今なお必要なんです。私たちだって同じです。何度でも新しくされていく。自分もそのように生きることによって、この福音を証ししていきたいです。聖霊なる神はそのように私たちを導いてくださいます。神さまのなさることにお委ねしつつ、期待しつつ、これからもインマヌエルの主と共に歩んで参りましょう。(ヨブ33:4)

 

ーーーーーーーーーーーーー

【3/31】イースター(復活祭)

ヨハネ20:1〜18

Ⅰコリント15:20他

「復活のいのちで主とともに生きる」

改めまして、イースターおめでとうございます!今日は、イエスさまがよみがえられたことを祝う日です。イエスさまがよみがえられたことは、クリスチャンにとって、キリスト信仰にとって、一番大切なところです。信仰の核になるところです。

先ほど、イエスさまがよみがえられた場面の聖書箇所を読みました。どのような情景だったのか、どのような光景だったのかなと思い描きます。他の福音書にもイエスさまが復活された場面は記されていますので、読み比べてもらえればと思います。他の聖書箇所にも、パウロの手紙などには、復活の意味について掘り下げられています。そういった箇所も今日は見ていきましょう。

<キリストの復活>
イースターが大切な理由は、まずもちろん、イエスさまがよみがえられたからです。そのことのお祝いだからです。イエスさまがよみがえられたという話を聞いて、「死者がよみがえるはずがない」と思うのは当然の反応でしょう。しかし、命の与え主である神さまは、この方をよみがえらせました。信じる人の心の中に生きているというようなあやふやな話ではなくて、イエスさまは文字どおり身体をもってよみがえられました。福音書には、よみがえられたイエスさまが魚を食べたり、傷口をお見せになった、触らせたという話が記録されています(ルカ24:43、ヨハネ20:27)。イエスさまの復活は身体をともなった、具体的で実際的な出来事だったのです。

イエスさまは「十字架にかかって死んだ過去の人」ではなくて、むしろよみがえられたお方、十字架の死からよみがえって、今も生きておられるお方です。もちろん十字架にかかられたんです、それは私たちのためでした。でもむしろ、それを経てよみがえられたお方だということ、死んで終わりではなくて、今も生きておられるお方だということです。私たちの主は死人ではなくて、よみがえられ、今も生きておられるお方です。この方こそ、私たちの主です。私たちの王です。私たちのために死なれ、それだけでなく死の力を打ち破ってよみがえられたお方。そして天に昇られ(使徒1:9)、今は聖霊として私たちのうちにいてくださる(エペソ2:17等)。約束してくださった通りに、「世の終わりまで、いつも」私たちと共にいてくださるお方だということです(マタイ28:20)。

<共に死に、共に生きる>
キリストの復活という時に、忘れてはならないことがあります。私たちはイエスさまと一つにさせられているということです。先週、キリストの十字架で私たちも共に死んだのだということをお話ししました(ガラテヤ2:19b)。十字架というのは、イエスさまが私たちのためにかかってくださったというよりも、私たちの罪そのものとして処分されたということ、つまり私たちもそこで死んだのだという話です(Ⅱコリント5:21)。私たちも一緒に十字架にかかったのだ、古い私たちはあそこで死んだのだというのが十字架の出来事です。そして、私たちはイエスさまと一つにさせられているのなら、イエスさまがよみがえられたということは、私たちも復活したんだ、復活のいのちを生きているんだということになりますよね。イエスさまだけではない、私たちも復活した。復活するのです。

<将来の復活>
私たちの復活には二つの面があります。まずは将来の復活です。Ⅰコリントにこういう御言葉があります。「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」(Ⅰコリント15:20)「初穂」というのは、穀物の収穫に先立って、一番初めにとれたものという意味です。その後に収穫が続くんです。つまり、初穂であるイエスさまに続く者は同じように復活するんだということです。聖書が語る復活とは、「キリストが復活した、そして信じる私たちも復活する」ということなんです。

イエスさまは、文字通り身体をもって復活されました。弟子たちの目の前で魚を食べたり、傷口を見せたりしてくださったというのは、そういうことです。イエスさまは身体をもって復活したんです。それなら、私たちもやがてそうなる。これがパウロが力説していることなんですね。イエス・キリストという人がいて、復活したらしい。よみがえったらしいという話では終わらない。信じる私たちも復活するんです。イエスさまの復活と、私たちの復活、この両方が聖書の語っていることです。

私たちの地上の人生はいつの日か終わりを迎え、私たちはイエスさまのみもとに、天国に行くわけですけれども、その後に、いつの日か、イエスさまが地上に戻って来られる時に私たちは身体をもって復活します。イエスさまがよみがえられたからです。イエスさまがよみがえられたから、私たちもよみがえるんです。それが聖書の約束です。そして、完成した神の国で、もはや嘆きも悲しみもない新天新地で、永遠にイエスさまと共に生きることになる(Ⅰテサロニケ4:17、黙示録21:1-5)。

<今、味わう復活>
私たちの復活の、もう一つの側面。それは将来のことだけでなく、今も私たちは日々復活を経験できるということです。よくお伝えしていることですが、聖書が語る復活とは「起き上がる」という意味の言葉です。私たちはうずくまるたびに、失敗するたびに、起き上がることができます。

私たちは何度でも転ぶし、失敗します。私たちの生き方は神さまの御心から外れているからです。つまり、無条件で愛せない。他人のこともそうだし、自分のこともそうですね。私たちには条件付きの愛しかなく、神さまのご性質とは違う生き方しかできません。聖書はそれを罪と言っている。

しかし、その罪はあの十字架の上で処分済みとされたんです。私たちは赦されました。私たちは相変わらず無条件では愛せなくて、古い自分を引きずっているけれども、その罪は十字架で処分されたんです。古い自分は十字架でイエスさまと一緒に死んだんです。そしてイエスさまは死の力を打ち破ってよみがえられた。今はそのイエスさまと一緒に復活のいのちを生きているんだと信じる、それが信仰です。イエスさまと一つにさせられて、イエスさまが死から起き上がったように、私も起き上がるんです。古い自分から、罪の現実から、起き上がることができるんです。赦された者として、何度でも起き上がるんです。将来の復活が確実であるがゆえに、今の私たちも復活者として生きることが出来ます。

パウロはローマ人への手紙でこう書いています。「同じように、あなたがたもキリスト・イエスにあって、自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者だと、認めなさい。」(ローマ6:11)これは認め続けなさいということです。何度でも信じ直していきなさいということです。私たちは、自分の罪を見るたびに、救われていないんじゃないかと自信をなくしてしまいます。でも、イエスさまの十字架を甘く見ないことです。そして、イエスさまの復活を甘くみないことです。私たちの罪は死んだんですよ。そして、今私たちは、神に対して生きているんです。神に向けて起き上がった、立ち上がったんです。私たちはもう、罪に対して生きているんじゃない。そのことを、何度でも何度でも信じ直していくんです。何度でも立ち上がり、復活していくのです。

どのように生きれば、神さまの素晴らしさを味わう生き方になるか。そのために手放さなければならないことはなにか。いまだにこだわって握りしめている古い自分、古い生き方はないか。神さまに対してだけじゃなくて、人に対して、この世界に対して、私たちは古い生き方が染み付いてしまっています。でも、聖霊が示してくださるのなら、それに応答することです。失敗したっていいんです。転んだっていい。また起き上がればいい。立ち上がれます。私たちはイエスさまの復活のいのちで新しくされた者だからです。

<私たちの生き方を変える知らせ>
これは、私たちの生き方を変える知らせです。イエスさまと一つとされられ、十字架に死んで、よみがえったことを信じる時、聖霊が私たちの生き方を変え続けてくださいます。

神さまは私たちを新しく生まれさせ、なおかつ成長させてくださいます。相変わらず古い自分を引きずっていて、無条件の愛などない者だけれど、聖霊なる神が、私たちを神の御心にかなう者へと徐々に、徐々につくりかえてくださる。だから、古い生き方に拘っている場合じゃないんです。何度やり直してもいいから、何度失敗してもいいから、その度に新しい生き方を始めたい。私たちを成長させてくださる神さまのみわざにお委ねして、何度でもいいですから、立ち上がりたい。その都度、その都度、復活させられていきたい。そして、主はそうしてくださるんです。これは本当に感謝なことです。聖霊がこの生き方を導いてくださいます。

 

ーーーーーーーーーーーーー

【3/24】

​ルカ23:33〜43

「主イエスと共に死に、共に生きる」

今週の金曜日は、イエスさまが十字架にかけられた日です。木曜日の夜にゲッセマネの園で捕らえられ、大祭司カヤパや律法学者たちの尋問を受け、金曜日の明け方早くに総督ピラトのもとに連行され、そこで十字架刑が決まります。ムチで打たれ、いばらの冠をかぶせられて十字架を運ばされ、ゴルゴタの丘で磔にされたのは午前九時ごろでした。その金曜日をイエスさまの受難の日、受難日と言い、そこに向かう今週一週間は受難週と呼ばれます。私たちの罪が赦されるために十字架にかかられたイエスさまを思い出しながら歩む一週間として過ごしたいですね。

さて、今日はイエスさまの十字架の場面、そこにいた二人の犯罪人に注目をしたいと思います。彼らはイエスさまの右と左、それぞれに十字架につけられていました。

<39節〜>
39節「十字架にかけられていた犯罪人の一人は、イエスをののしり、『おまえはキリストではないか。自分とおれたちを救え』と言った。」彼はどのような思いだったでしょうか。実は十字架上で会話をすることは並大抵のことではありません。十字架刑の何が苦しいかと言えば、息ができないことだと言われます。手と足を磔にされた状態で、釘で固定された足で自分の体重を支え、体を持ち上げて呼吸をしますが、最後は力尽きて体を持ち上げることができず、呼吸困難で亡くなるのです。そんな状況下で、彼はイエスさまに悪口を言いました。文字通り息も絶え絶えの恨み節です。「あなたはキリストではないか」とは、あなたがキリストだというのなら、ということです。自分と私たちを救えと。もう一人の犯罪人と違い、彼には、自分はこの刑を受けて当然という自覚はないのでした。不条理でしかない。自分は十字架につくほど悪いことはしていない、というわけです。

それに対して、もう一人が口を開きました。40節、41節「おまえは神を恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。 41  おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことを何もしていない。」他の福音書によると、彼も最初はイエスさまを罵っていたようです。しかし、イエスさまの姿を見ているうちに考えが変わったのだと思います。

「おまえは神を恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。」彼は、ナザレのイエスという目の前のこの男が神の子である、神ご自身であることを知っていました。この場で気づいたのか。もしかしたら、今までにどこかでイエスさまの話を聞いたことがあったのかもしれません。その方が同じ刑罰を受けている、つまり私たちと共にいてくださっていること。そう、十字架という痛みと恥と呪いの極致であるこの場所に、この方は私たちと共にいてくださっているということに、彼は気付いた。自分たちは当然の報いとしてこれを受けている。十字架につくなんて不条理だというなら、それこそ、この方は何もしていない。しかし、この方はそれでもここにいてくださっているのだ、と。十字架という死の場所に、イエスさまは一緒にいてくださるのです。

<イエスと共に死に、イエスと共に復活する>
このさばきの場に神の子であるイエスさまが一緒におられるという事実の、なんと驚くべきことでしょう。主がまったく同じ場所にまできてくださったことの、なんと驚くべきことでしょう。

イエスさまが私の代わりに十字架にかかってくださったという表現は間違いではないのですが、私もイエスさまと一緒に十字架にかかった。私もイエスさまと一緒に十字架で死んだ。そして、イエスさまと一緒に復活するという信仰が、聖書の伝える内容です。ガラテヤ2:19b〜20a「私はキリストとともに十字架につけられました。 20  もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」

二人目の強盗はこのみことばを文字通りに体現しました。イエスさまと一緒に十字架につけられた。十字架の場所でイエスさまと一緒だった。そしてイエスさまから、「わたしと共にパラダイスにいる」という復活の命を与えられたわけです。イエス様は彼に言いました。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」(43節)二人目の強盗はまさに、イエスさまと共に死に、イエスさまと共に復活の命を生きるという、「十字架の生き方」を全うした人でした。この直前までイエスさまを罵っていたのに。彼は極悪人でした。十字架刑がふさわしいと自覚するほどの悪事をしたようです。人殺しか、強盗か、ローマ帝国への反逆か。内容はわかりませんけれども、彼は罪人でした。しかし、彼はこう告白するのです。「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」

イエスさまが王であり、主であること。すべての権威の上に立つお方だという告白です。自分の罪を認め、この方は何も悪くないのに私と一緒に死んでくださっているという信仰に立ち、この方を主の主、王の王と認めること。この人の信仰告白には大事な点がみんな入っていますね。体系だった聖書の学びをして、しっかり理解してから信仰を告白して洗礼を受けるというイメージが私たちにはありますけども、それは確かに大事な面もあるんですけれども、こういうのっぴきならない状況で、自然と口から出た信仰告白こそが大切なのでしょうね。

<主と共にパラダイスに>
「思い出してください」とは「心に留めてください」という意味です。私のことを忘れないでください。これは切実な祈りですね。自分はこれから死ぬという場面です。彼は十字架刑が決まった時点でそれまでの人間関係もなかったものとされたでしょうし、孤独でした。イエスさまですら、弟子たちはちりじりになり、ホサナと叫んで出迎えてくれた民衆はみなが「十字架につけろ!」と叫んでいたのです。かろうじて、少数の女性の弟子たちが側にいただけでした。イエスさまですら、十字架が決まった時にはそうなった。ましてや、この強盗のところにはもう誰もいなかったでしょう。彼は孤独でした。そして、今まさに死のうとしていました。自分が生きていたということを、自分という存在がここにあったことを誰かに覚えておいてほしい。それは人間として自然な願いでしょう。切実な願いであり、祈りでした。

イエスさまはこう答えられます。43節「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」今これから死んで、今日、一緒に天国に行くという意味でとってもいいのですが、実際に彼はこの後すぐに死んだかというと、十字架にかけられた人は数日間かけてじっくりと殺されていきます。イエスさまがすぐに死んだので総督ピラトは驚いたという記述がマルコの福音書にありますけれども(15:44)、それくらいに、十字架の上で人は数日かけて死んでいく。この強盗はこのあと何日間か生きていたと考えるのが自然です。すると、イエスさまが「今日パラダイスにいる」と言われたのは、これはどういう意味だったのでしょうか。

この箇所の解釈と翻訳は実はとても難しいようです。ギリシャ語の写本にはもともとコンマもピリオドもスペースもなかったからです。ここは、「まことに、わたしは今日、今ここで、あなたに言います」という宣言だった可能性が高い。わたしは今日、今ここで、あなたに言います。あなたはわたしと共にパラダイスにいます。やがて天国で、魂は永遠に生きるという天国のイメージではなくて、イエスさまと一緒に居る今が、ここがすでに神の国。主と共にいるならそこがすでに天の国なんですよね。

人が死後に行くところについて、まずはイエスさまのみもとに行くということ以外、聖書はあまり明確に語っていません(ピリピ1:23)。むしろ、さらにその後、いわゆる天国の後に復活するということについて明確に記します(Ⅰコリント 15:12-20、Ⅰテサロニケ4:13-17など)。死後の天国というよりも、確かにそれはあるんですけれども、さらにその後の「身体のよみがえり」について、新天新地について記しているわけですね(黙示録12:1-5)。ですので、今日のこの箇所も、死んだらすぐに魂だけパラダイスに行くということよりも、イエスさまと一緒に居るなら苦しみの中ですらそこはパラダイスなんだということに力点が置かれていると思います。イエスさまと一緒に居るなら、苦しみの中でもそこはすでにパラダイスなんだということが強調されている箇所だと思われます。誤解のないようにしたいのですが、もちろん、死んだ後は天国に行くんです。イエスさまのみもとに行くんです。パウロも「主のみもとに行きたい」というようなことを言っています。そこが天国です。しかし、聖書全体を見るなら、その後に復活がある。新天新地があるのです。しかも、それはただ遠い未来のことだけじゃない。今、ここで、その前味を味わいながら生きることができる。やがて完成する神の国、そこでのいのちを、今、ここで、イエスさまと一つとされて、ここでそのいのちを生きていけるのです。

イエスさまと一緒に十字架で死ぬ人生、それはパラダイスの歩みです。イエスさまと一緒に復活の命で生きることになるからです。

私たちは、イエスさまと一緒に十字架で死にました。罪でしかない私は、あのイエスさまの十字架で処分されました。今私は、復活のいのちを主と共に生きているということです。

今年の受難週、イエスさまと一緒に十字架に死ぬ、そしてイエスさまと一緒に復活のいのちを生きるということ、もう一度心に刻みたいと思います。二人の強盗を比べてみて、自分は一人目だなと思わざるを得ません。自分のことは棚に上げて、神さまに悪態をついているわけです。しかし、だからこそ、こんな私たちのためにイエスさまは十字架にかかられたのだということを思い出しつつ、二人目の強盗のように、主と共に死に、主と共にパラダイスを生きる幸いをなおなお知らされていきましょう。

イエスさまは、私たちの最悪の場所に一緒にいてくださるお方です。イエスさまが一緒なら、そこがパラダイスなのです。最悪、最低な時に、そのところに主が共にいてくださる。聖霊なる神がそのことに気づかせてくださいます。私たちは今、すでにパラダイスにいる。天国の民として生きている。主と共に生きている。そうとわかれば、私たちの生き方は変わります。適当に生きることなんてできないです。私たちは主のものとして、この地に生きるのです。私たちの目が、そのことにますます開かれていきますように。(ガラテヤ2:19b〜20)

ーーーーーーーーーーーーー

【3/17】

使徒21:17〜22:2

「ゴールではなく通過点」
 

<パウロのエルサレム到着>
パウロはいよいよエルサレムに帰ってきました。18節に出てくるヤコブというのは、十二使徒のヤコブではなく、イエスさまの実の兄弟であるヤコブです。ヨセフとマリアには何人か子どもが生まれていて、彼はその一人です。エルサレム教会のリーダーで、新約聖書の「ヤコブの手紙」を書いています。ユダヤ人として律法を大切にする人でした。しかし、それを外国人、つまり異邦人に強制してはならないということを15章のエルサレム会議で決定したのもヤコブです。律法を守ってユダヤ人のようになるということが、救いの条件ではないからです。パウロの第一次宣教旅行が終わってから、エルサレムの教会でそのような決議がされたのでした。19節、20節、パウロはこのヤコブをはじめ、エルサレム教会の長老たち(指導的な立場にある人たち)に、神さまが異邦人の間でなさったことを一つ一つ説明しました。特に第三次宣教旅行でのことでしょう。諸教会からの献金も届けました。彼らはこれを聞いて神をほめたたえたとあります。

パウロは異邦人の使徒として、トルコやギリシャにまで足を伸ばし、福音を伝えてきました。しかし、異邦人教会とエルサレムの教会がバラバラであってはならないという意識が常にありましたから、第二次宣教旅行の最後にも、第三次宣教旅行の最後にもエルサレムに戻ってきたんですね。特に、今回の第三次宣教旅行では諸教会を回って献金を呼びかけ、愛と交わりのしるしとしてそれをエルサレム教会に届けたわけです。ヤコブたちエルサレム教会は感激して、喜んだことでしょう。

<エルサレム教会の懸念>
しかし、エルサレム教会の彼らには懸念すべきことがあったようです。20節「兄弟よ。ご覧のとおり、ユダヤ人の中で信仰に入っている人が何万となくいますが、みな律法に熱心な人たちです。 (つまり、ユダヤ人クリスチャンがそれだけいたということです。)21  ところが、彼らがあなたについて聞かされているのは、あなたが、異邦人の中にいるすべてのユダヤ人に(つまりディアスポラのユダヤ人、外国生まれ・外国住まいのユダヤ人に対して)、子どもに割礼を施すな、慣習にしたがって歩むなと言って、モーセに背くように教えている、ということなのです。」

これは根も葉もないうわさ、間違った情報です。パウロはモーセの律法を蔑ろにしているわけではありません。ユダヤ人が律法を守るのは当然だ。そして異邦人はそうではなくあるべきだ。そうやって教えていただけなのです。でもそのことは、ユダヤ人の理解を得にくかったわけです。ユダヤ人の側からしたら、救われたいのだったら自分たちと同じようになってもらわなければならない、という考え方でしたから、異邦人に律法を守ることを強制してはならないというパウロの考え方は受け入れることが出来ませんでした。だから宣教旅行中に出会ったディアスポラのユダヤ人たちの多くは、パウロを攻撃してきました。パウロが今までの慣習を、無にするようなことを教えていたからですね。自分たちの方が優位に立てる、自分たちにとって居心地の良いあり方を、根底からひっくり返すような教えを認めるわけにはいかなかったわけです。パウロの間違った噂を流しているのは、エルサレムからガラテヤの諸教会にも出かけて行って、異邦人にも割礼を施すべきだと教えて回った「割礼派」と呼ばれる人たちだったと思います。パウロはユダヤ人として律法を愛していましたし、ユダヤ人が律法を守ることは否定していないのですが、割礼派の人たちはパウロを毛嫌いしており、パウロの真意を知ろうともせず、パウロというのは怪しい人物と決めつけていました。ヤコブたちは、この割礼派の人たちとパウロの間で板挟み状態だったのだと思います。

それで、エルサレム教会のヤコブたちからパウロに提案がなされます。22節、「それで、どうしましょうか。あなたが来たことは、必ず彼らの耳に入るでしょう。 23  ですから、私たちの言うとおりにしてください。私たちの中に、誓願を立てている者が四人います。 24  この人たちを連れて行って、一緒に身を清め、彼らが頭を剃る費用を出してあげてください。そうすれば、あなたについて聞かされていることは根も葉もないことで、あなたも律法を守って正しく歩んでいることが、皆に分かるでしょう。」

誓願を立てている四人のユダヤ人と一緒に、律法の規定に従って身を清め、彼らが髪の毛を剃る費用を出してやってくれということです。以前、パウロも第二次宣教旅行が終わる頃に髪を剃っています(使徒18:18)。旧約聖書に出てくる「ナジル人」として、神さまに特別の献身をする表れとして、髪を剃るんです。その費用を出してあげていることを見れば、パウロが律法を大切にしていることがよく分かるからということですね。25節「信仰に入った異邦人に関しては、偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、淫らな行いを避けるべきであると決定し、すでに書き送りました。」エルサレム会議の決定です。でも、ここは話の流れがいきなり異邦人のことになっていますよね。実は、これは反対のことを言っているのかもしれません。つまり、異邦人クリスチャンに関しては、エルサレム会議の決定の通りだけれども、ユダヤ人はそうではない。私たちユダヤ人は律法を守らなければならないというということです。そして、パウロに対して理解を求めている言い回しだと思います。あなたがユダヤ人として律法を大切にしていることはわかっている。でも、そう思っていない人たちがいる。パウロは異邦人のことばかり気にして、律法をのことを大切にしていないと言っている人たちがいる。彼らは私たちが何を言っても聞かないので、あなたが行動で示してくれたら助かる、ということですね。エルサレム教会が直面していた難しい舵取りというか、ヤコブの気苦労を垣間見る思いがします。割礼派の人たちには、エルサレム会議の決定を突きつければ簡単なのですが、彼らの意見もよく聞いていたということなのでしょう。26節「そこで、パウロはその人たちを連れて行き、翌日、彼らとともに身を清めて宮に入った。そして、いつ、清めの期間が終わって、一人ひとりのためにささげ物をすることができるかを告げた。」パウロはヤコブに言われた通り、律法に則って、彼らの髪を剃るお金を出してあげたわけですね。

パウロは手紙の中で、ギリシャ人のためにはギリシャ人のように、ユダヤ人のためにはユダヤ人のように接してきたと書いています(Ⅰコリント9:19-23)。自分のこだわりは捨てて、大切なことのために柔軟に対応できる人でした。もっとも、パウロ自身、ユダヤ人として律法を愛していたので、彼らの気持ちもわかるということもあったでしょう。

<事件>
ところが27節、事件が終わります。清めの期間が終わろうとする時、アジアからきたユダヤ人たち、つまりディアスポラのユダヤ人たちです。五旬節のこの季節、エルサレムには世界中からユダヤ人が集まってきていました。彼らはパウロが神殿にいるのを見ると、群衆を扇動して、パウロを捕まえ、こう叫んだのです。28節「イスラエルの皆さん、手を貸してください。この男は、民と律法とこの場所に逆らうことを、いたるところで皆に教えている者です。そのうえ、ギリシア人を宮の中に連れ込んで、この神聖な場所を汚しています。」 彼らは、エペソ人のトロフィモが町でパウロと一緒にいるのをすでに見かけていて、パウロが彼を神殿に連れ込んだと思ったのです。神殿には「異邦人の庭」と呼ばれる場所があって、そこまでは異邦人も入れるけれども、そこから先はユダヤ人だけしか入れないとされていました。パウロはそこにトロフィモを連れて行ったわけではありません。パウロはユダヤのしきたりを大切にしていましたから、異邦人の庭を超えて外国人を連れ込むなどするわけがなかったのです。今彼が一緒にいるのは、請願を立てたエルサレム教会のユダヤ人たちです。しかし、パウロが異邦人と仲良くしていることを快く思っていなかったアジアのユダヤ人たちが、早とちりをして騒ぎ立ててきたというわけです。パウロとヤコブたちは、エルサレム在住の割礼派の人たちから攻撃されることを警戒していたわけですが、彼らではなく、別の人達が早とちりをして騒ぎ立ててきました。何が起こるかわからないですね。

トロフィモというのはアジア出身の異邦人で、異邦人教会の代表として献金を届けるためにパウロと一緒にエルサレムに来た人でした(使徒20:4)。エペソというよりもミレトスの出身だったかもしれません(Ⅱテモテ4:20)。アジアから来たユダヤ人たちはトロフィモを見て、アジア人だということが分かったんでしょうね。しかも、パウロのことを「いたるところで教えている者」と言っています。彼らはパウロのことをよく知っていました。エペソのユダヤ人の会堂に属する人たちだったかもしれません(使徒19:8-9)。こうして、エルサレムの町は大混乱に陥りました。

31節、人々はパウロを殺すつもりでした。その騒ぎはローマの千人隊長に知らされ、彼は兵士たちと百人隊長たちを率いて、つまり百人隊を10部隊引き連れてやってきました。人々はローマの兵士たちを見て、パウロを打つのを止めました。パウロは混乱の中でかなり殴りつけられていたようです。33節、千人隊長がパウロを捕らえて縛り、この男は何者なのか、何をしたのかと人々に尋ねます。しかし、34節、群衆はそれぞれに違ったことを叫び続けていました。以前にも同じようなことがありましたよね。エペソの町でアルテミス神殿の模型が売れなくなったと、エペソ人のデメテリオが騒動を起こした際、人々は好き勝手なことを叫んで、これが何のための騒動なのかも分かっていなかったということがありました(使徒19:32)。あの時はエペソ人、今回はユダヤ人ですが、自分の利益が守られなくなる、自分にとって不都合な事態になると、感情をむき出しにして怒る、事の経緯とか、相手が何を言っているのかというのは関係なく騒ぎ出すというのは、どこの人であっても変わらないです。つまり、私たちにも同じような傾向があるということです。冷静に相手の話を聞き、対話をする癖をつけたいものです。千人隊長は、騒ぎが大きすぎて何も確かなことが分からなかったので、パウロを兵営に連れて行くように命じました。群衆の暴行を避けるために兵士たちがパウロを担ぎ上げなければならなかったというのは相当のことです。大勢の群衆が「殺してしまえ」と叫びながらついて来たというのです。恐ろしい状況です。

37節、兵営の中に連れ込まれようとした時、パウロは千人隊長に、少し話してもいいかと尋ねます。息も絶え絶えだったと思いますが、パウロはこの機会を逃してはならないと、千人隊長に話しかけるのです。パウロがギリシャ語で尋ねてきたことに驚いた千人隊長は、「お前はギリシャ語を知っているのか。では、お前は近ごろ暴動を起こして荒野に逃げていった、あのエジプト人ではないのか。」と尋ねます。その頃、そういう事件があったんですね。そして、彼はパウロがその人物だと思っていたようです。39節、パウロは答えます。「私はキリキアのタルソ出身のユダヤ人で、れっきとした町の市民です。お願いです。この人たちに話をさせてください。」パウロは、自分がタルソ出身のユダヤ人であること、つまりユダヤ人の問題の当事者であることを告げます。荒野に逃亡した犯罪者ではなく、れっきとした町の市民であるとして誤解も解きました。千人隊長はパウロが話すことを許します。パウロは階段の上から、静かにするように群衆を手で制し、ヘブル語で語りかけました。22章1節、2節、パウロがヘブル語で語りかけるのを聞いて、人々はますます静かになりました。パウロが何を語るのか、そして人々の反応は、この騒ぎはどうなっていくのか、また続けて読んでいきましょう。

<パウロがエルサレムに来た理由>
パウロは、エルサレムに上れば困難があることを知っていました。何度も聖霊の示しがありました。旅の途中で、預言の賜物のある人たちから何度も忠告されてきました。それでも彼はエルサレムに来たのです。

それは、異邦人教会とエルサレム教会が一つであることを体現するためでした。彼はそのためにエルサレムにやってきました。自分が回ってきた異邦人諸教会からの献金を届け、また自分は普段は異邦人向けの働きをしているけれども、ユダヤ人として律法を大切にしていることを身を持って証明したのです。

それだけでなく、彼はユダヤ人に伝道するためにエルサレムに来ました。コリント滞在中に書いたローマ人への手紙にあったように、彼は同胞ユダヤ人を愛していました。彼らの救いのために、自分が呪われても構わないとまで言っています(ローマ9:3)。そして彼はこの騒ぎをチャンスと捉え、階段の上という目立つ場所から演説するという機会を得たのです。

困難が予想されても、それでも行かなければならないということがあります。神さまの導きに従い、神さまが私たちを用いようとしておられることに献身していく私たちでありたいと願います。パウロがミレトスでエペソの長老たちに語ったことばを思い出します。使徒20:23〜24「ただ、聖霊がどの町でも私に証しして言われるのは、鎖と苦しみが私を待っているということです。 24 けれども、私が自分の走るべき道のりを走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません。」私たちには走るべき道のりがあります。神さまから与えられた任務、役割があるのです。そして、パウロはまだその道のりを走り終えたとは思っていない。その道のりを走り抜くために、彼はエルサレムに来たのです。

エルサレムはゴールではなく、通過点でした。エルサレムに来ること自体が目的だったのではなく、彼の目的は、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証しする任務のためだった。そのために、彼はここに来たのでした。

私たちも、人生の中で様々な岐路に立ちます。様々な選択をします。その時に、このことで神さまの恵みに応答したい、与えられた賜物を用いて神さまのご計画のために応答したいという思いで選ぶことが出来たら幸いですね。目的を見誤らないようにしたいと思います。何のためにそれをするのか。エルサレムに来てそれでよしとするのではなく、何のためにエルサレムに来たのかが大事だったわけです。目的はもっと先にある。神さまはそこに至る道をまっすぐにしてくださいます。「あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。/主があなたの進む道をまっすぐにされる。」(箴言3:6)

次回はパウロの演説の内容と、ユダヤ人の反応を見ていきます。(ヘブル12:1〜2a)

ーーーーーーーーーーーーー

【3/10】

使徒21:1〜16

「旅の締めくくり」


第三次宣教旅行の帰り道、パウロがエルサレムに上る様子を読んでいます。ミレトスでエペソの長老たちと別れたパウロ一行はそのまま地中海を横切り、キプロス島の南を抜けてツロに入港しました。ガリラヤ湖より少し北に位置する港町です。船はここで七日間滞在したとあります。その間に「私たち」、つまり著者であるルカを含めたパウロ一行は、ツロ在住の弟子たちを探して交流しました。行く先々で、同じ主イエスを信じる兄弟姉妹に出会えるというのは、クリスチャンの特権だと思います。

<聖霊に示されること>
さて、4節「彼らは御霊に示されて、エルサレムには行かないようにとパウロに繰り返し言った。」というのはどういうことでしょうか。パウロは聖霊に示されてエルサレムに上ろうとしています(使徒19:21)。しかし、彼らは聖霊に示されて、エルサレムに行かないようにと繰り返し言ったというのです。これは20章23節にあったように、パウロが苦しみに会うことが分かったということだと思います。パウロはそれでもエルサレムを目指そうとしましたが、彼らは、いや、苦しみがあるのならそこを目指すべきではないと思ったという考え方の違いですね。同じ神さまの示し、聖霊の示しを受けても、それに対する応答は人によって違ってくるのです。むしろ、違って当然ですね。みなが同じ考え方ではないのですから。むしろ、誰もがキリストのからだの必要な部分であることを考えると、彼らの意見はかえってパウロにこの旅の意味を再確認させ、決心を堅くさせるのに用いられたと言えるでしょう。最後はみな、家族総出で見送りに来ました。ここでも、海岸でひざまずいて共に祈る姿が描かれています。

<カイサリアという場所>
7節、彼らはツロを出発してプトレマイスに着き、そこでも兄弟たちに挨拶をし、彼らのところに滞在しました。今度は一週間も待たずに次の日に船が出たようです、8節、翌日にはカイサリアに着きました。カイサリアというのは、属州ユダヤの州都、つまりローマ帝国にとってのユダヤの本拠地となっていた町です。パウロが宣教旅行の最後にここに寄ったのは、大変意義深いことでした。ここから、福音は異邦人世界に向けて大きく広がりだしたからです。イエスさまが言われたように、福音はエルサレムから始まって、ユダヤとサマリアの全土、そして全世界に広がっていったわけですが(使徒1:8)、福音がいよいよ異邦人世界に向けて大きく広がりだす、その出来事が起こったのがここカイサリアでした。

カイサリアで起こったことを少し振り返りますが、使徒の働き10章にローマ軍の百人隊長をしていたコルネリウスという人が出てきます。ローマ人でしたけれどもイスラエルの神を敬い、ユダヤの人々に施しをし、いつも祈る人でした。そのコルネリウスのところに御使いが現れ、ペテロを招くようにと告げたのでした。同じ頃、ヤッファの町にいたペテロは夢を見ていました。天から大きな敷布のような入れ物が下ってきて、その中にはユダヤ人が食べてはいけないとされてきた動物がたくさんおり、これを食べなさいという天からの声が聞こえたのす。ペテロは「主よ、そんなことはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」と答えます。すると天からの声はこう言ったのです。「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない。」これが三回繰り返される夢でした。ペテロが目を覚ました時、ちょうどコルネリウスから遣わされたしもべたちがシモンを訪ねてきていました。神の導きを確信したペテロはコルネリウスに会いに行き、神さまが異邦人のコルネリウスをも導いておられることを目の当たりにします。そして、ペテロはイエス・キリストの福音を語り、コルネリウスたちは主イエスを信じて聖霊を受けたのでした(使徒10章)。その後、ペテロはユダヤ人に対する使徒として、そしてパウロが異邦人に対する使徒として、役割が分かれていくことになるわけですが、パウロは今回カイサリアに立ち寄ったことで、自分の働きのルーツを振り返ることにもなったでしょう。そうだとすると、コルネリウスにも会ったかもしれませんね。異邦人世界への宣教は自分が一人でできたことではない。自分ではない他の誰かが、しかも何人もの人たちが関わり合って、その道筋が作られてきたのだということを、パウロはしみじみと思い返したのではないでしょうか。自分の力ではなく、ただ神の恵みであったということです。

<伝道者ピリポ>
使徒の働きに戻りますが、8節、パウロは伝道者ピリポの家に滞在しました。ピリポはエルサレム教会の七人の執事の一人です(使徒6:5)。教会の中でギリシャ語を話すユダヤ人たちと、ヘブル語を話すユダヤ人の間でトラブルが合った時に、彼らの調停役として選ばれたのが七人の執事たちでした。彼らはディアスポラ、つまり外国生まれのユダヤ人で、両者の橋渡しが出来る人たちだったのです。あのステパノもこの七人のうちの一人です。その執事ピリポがなぜカイサリアにいたのか、ピリポの歩みについても振り返ってみましょう。

ピリポは福音をユダヤからサマリアへと広げる働きをしました。使徒の働き8章に書かれている内容になりますが、その頃というのは、パウロがクリスチャンたちを捕らえては牢屋にいれるということを繰り返していた時期です。パウロ、当時はサウロという名前でしたが、彼自身が振り返っているように、彼は神の教会を迫害したのです(Ⅰコリント15:9)。しかし、そのことがあって人々が散らされていったからこそ、福音はエルサレムから広がりだしたのでした。ピリポもエルサレムを出てサマリア地方に行き、そこでイエスさまのことを伝えました。サマリア人というのは、純粋なユダヤ人ではないとされて差別されていた人々です。ユダヤ人とサマリア人はお互いに毛嫌いして、交流はなかったのです。しかし彼はサマリアに出かけていった。そしてイエスさまを信じた人たちに洗礼を授けたのです。

ところで、サマリアにおいてピリポが洗礼を授けた人には聖霊が降らず、その後使徒たちがやってきて、手をおいて祈ると聖霊が降ったという出来事がありましたが(使徒8:12、14−17)、これはピリポの洗礼は無効だったということではなくて、神さまがあえてそうなさったということだったと思われます。普通は洗礼を受けたら聖霊が内住されるのですが、あえてこの時は使徒たちが手を置いて祈る按手の祈りを待って聖霊が内住されたということです。使徒たち、つまりエルサレムの教会とサマリアの教会はバラバラではない、同じ一つのキリストのからだであることを目の当たりにさせるためだったと思われます。ピリポの働きは不十分だったのではなく、むしろ神さまの思いを表すために用いられたのです。その後、彼は行きあったエチオピア人にも聖書の福音を伝え、洗礼を授けます(同8:26−38)。ここでも、ピリポは福音の広がりのために用いられています。そして聖霊が彼を連れ去り、その後彼はカイサリアに行ったというところで8章のピリポに関する記述は終わっていたのです(同8:39−40)。ピリポは久しぶりの登場となりましたが、ルカは「伝道者ピリポ」と記します(8節)。カイサリアに来たピリポは、そこで福音を宣べ伝えていました。もしかしたら、ローマの百人隊長コルネリウスもこのピリポに会っていたかもしれません。

ピリポの働きは、ペテロやパウロといった使徒たちと比べると地味な、裏方の働き、裏舞台での働きだったと言えます。しかし、彼の働きは、福音がサマリアへ、カイサリアへ、そこから世界へと広がっていくために用いられました。福音が世界に向けて広がりだすために、神さまはこのピリポという人をお用いになったのです。使徒の働き21章に戻りますが、ピリポには未婚の娘が四人いたといいます(9節)。8章からここまで、実は20年以上経っているんです。ピリポはカイサリアに根を下ろし、ここで福音の広がりのために労していました。

パウロとは役割が違います。しかし、どちらも同じように福音の広がりのために働いてきたのです。パウロのように宣教旅行に出かけていくという派手な働き、分かりやすくて応援したくなるような働きだけでなく、カイサリアに留まる働きも必要なのでした。カイサリアは属州ユダヤの州都であり、海に面してもいますから、異邦人がたくさんいた町です。ピリピはここに根を下ろし、ここで、人々に福音を伝え、その広がりのために働いていたのです。パウロはここでそのピリポに会い、この20年に神さまがなさったことを振り返り、語り合い、共に感謝を捧げたことと思います。パウロはかなりの期間、ピリポのところに滞在したようです。

私たちも、過去のいろんなことが用いられて今があるのですし、様々な人の関わり合いを通して今がある。それらを神さまが用いられて今があるということを、思い出して感謝したいと思います。そして、今の私もまた、これから先の誰かの働きのために、これから先の神さまのみわざのために用いられていくということの不思議を覚えつつ、神さまのなさることに期待していきたいと思います。

<アガボの預言>
さて、ピリポのところに滞在しているパウロ一行のところに、ユダヤから、つまりエルサレムからアガボという名の預言者がやってきました。この人は以前、世界中に大飢饉が起こると預言した人です。11章28節に出てきます。その通りに大飢饉が起こり、エルサレムの教会に救援物資を届けるために、アンティオキアの教会からパウロとバルナバが遣わされたのでした。預言というのは聖霊の賜物の一つです。未来の予知も含みますが、単なる未来予知というよりは、神さまからのことばを預かり、人を育てることばや勧めや慰めを語るものです(Ⅰコリント14:3)。そこに未来の予知も含まれるのですが、それに関しては実際にその通りになったかどうかで、偽預言者かどうか分かります(申命記18:22)。偽の預言者、自称預言者も多くいただろう中で、アガボは本物の預言者であり、有名でした。

11節、そのアガボがパウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛ってこう言ったというのです。「聖霊がこう言われます。『この帯の持ち主を、ユダヤ人たちはエルサレムでこのように縛り、異邦人の手に渡すことになる。』」ことばだけでなく、それに合わせて自分の手足を縛るというような表現方法は、旧約聖書の預言者エレミヤにも見られます(エレミヤ13:1−11等)。アガボは有名な預言者でしたし、聖書の伝統に則った預言の仕方であったことも重なってか、12節、ルカたちパウロの同行者はカイサリアの人たちと一緒に恐れてしまい、エルサレムに上っていかないようにとパウロに懇願しました。

もっとも、エルサレムで困難にあうということは、これまでもパウロ自身が語ってきたことです。ツロで出会った人たちが御霊に示されて忠告したのにも関わらず、パウロの決意は変わらなかったのです。カイサリアでも、恐らくピリポの娘たちが預言したことでしょう。それでもパウロの決意は変わらなかったし、パウロの同行者たちもそれは分かっていたはずなのです。それでも、アガボの預言を聞いたら怖くなってしまった。これは、アガボが有名な預言者だったからだと思われます。他の人たち、例えば9節のピリポの娘たちは二十歳前後でしょう、こういう人たちのことばでは平気だったのに、アガボに言われてしまっては、これはいよいよパウロを思いとどまらせなければならないと思ったのでしょう。

立場のある人が言うことには真剣に耳を傾けるけれども、そうではない人たちが言うことにはそれほどではない、ということがあってはなりません。しかも聖霊の賜物である預言なのであれば、なおさらですね。大切なのは有名な預言者かどうかではない。ピリポの娘たちだって、ツロの人たちだって、聖霊に示されて、御霊の導きによって同じことを言っていたのですから、扱いに差が出るということは、あってはならないことでした。

これはアガボが悪いのではなくて、アガボも、ピリポの娘たちも、ツロの人たちも、みなそれぞれに真剣に聖霊の促しに従い、預言をしたのです。問題はそれを受け取る側、ルカたちにありました。もっとも、ルカもパウロに叱責されてそのことを正直に書き残しています。13節〜14節 「すると、パウロは答えた。『あなたがたは、泣いたり私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことも覚悟しています。』 14 彼が聞き入れようとしないので、私たちは『主のみこころがなりますように』と言って、口をつぐんだ。」私たちは口をつぐんだ。普通なら隠しておきたいような過ちも、すべて正直に載せているルカはやはり信頼できますね。

<キプロス生まれのムナソン>
15節、数日経って、パウロ一行はいよいよエルサレムに向けて出発しました。もう船ではなく、徒歩での旅です。陸路を100キロほど。二日くらいかける道のりです。16節、カイサリアの弟子たちが何人か同行し、一行を古くからの弟子であるキプロス人ムナソンのところに案内したとあります。キプロス生まれで、しかも古くからの弟子だということですから、バルナバとも関係のある人だったと思われます。バルナバはキプロス生まれでしたから(使徒4:36)。パウロのエルサレムへの旅は、このようにこれまでの恵みを振り返るものとなりました。

<旅の締めくくり>
パウロの第三次宣教旅行が、いよいよ終わろうとしています。バルナバと旅をした第一次宣教旅行のことを思い出したり、その前にバルナバと一緒にエルサレムに救援物資を届けに行くことのきっかけとなった預言者アガボとの再会があったり、また自分が直接関わったわけではなかったけれども、自分の働きのための大きな基盤となったカイサリアのコルネリウスの出来事や、そして事の一番初め、まだ自分が教会を迫害していた頃のピリポの働き。これらすべてを思い返し、神さまの不思議な導きに感謝を捧げたことでしょう。詩篇103:2にこうあります。「2 わがたましいよ 主をほめたたえよ。/主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」神さまがしてくださった良いことというのは、自分に対して直接してくださったことだけではありません。他の人を通して、他の出来事を通して、でもそれが自分にも影響を与えてきたということがたくさんあります。私たちも一つ一つ思い起こして、感謝を捧げましょう。礼拝を捧げ続けていきましょう。

パウロは、自分が教会を迫害していた頃のことをどのように思い出したのでしょうか。私たちも、振り返ってみればマイナスのことしかできなかったということが多いですよね。それでも、神さまはそれらをプラスのことに用いてくださったということが何と多いことか。神さまの恵みの大きさに恐れ慄く思いと、感謝の思いが混在するような、静かな気持ちです。これは映画の話なのですが、パウロは自分がしてきた教会迫害、クリスチャン迫害をずっと後悔していて、その時のことを夢に見てうなされるというシーンが「パウロ」という映画にあったと記憶しています。その可能性はありますよね。自分がしてきたマイナスのことも神さまが用いてくださったという感謝と共に、自分がしてしまったこと自体への後悔は消えないというか。その痛みや疼きは抱えながら、それすらも超えていく神さまのみわざにおゆだねするしかないと思います。実際に、パウロは第一コリントでそのように書いています。自分はこういう人間だった。しかし、神の恵みによって私は今の私になりました、と(Ⅰコリント15:9-10)。

パウロの宣教旅行は終わろうとしていますが、私たちの旅はまだ終わりません。私たちの地上の旅はまだ続きます。それでも、今、今日までの歩みはここで一区切りです。そして、今日からまた新しい歩みが始まります。ここまでの歩みを振り返り、神さまに感謝をお捧げいたしましょう。(詩篇103:2)

ーーーーーーーーーーーーー

【3/3】

使徒20:17〜38

​「信仰のバトン」

使徒の働きをここまで読み進めて来ましたが、一つの大きな節目を迎えようとしています。第三次宣教旅行の帰り道、パウロはもうエペソに立ち寄ることはしませんでしたが、ミレトスにエペソの長老たち(指導者たち)を呼び寄せて別れのことばを告げるのです。おそらく、コリントでも、マケドニアの教会でも、別れ際には同じようにしてきたのではないでしょうか。彼は教会を愛していました。

パウロのことばをルカに書き残させたのは聖霊です。聖霊なる神さまが、ルカにこれを書かせています。それと同じ聖霊が、今、私たちにも語りかけます。かつて、パウロからエペソの長老たちに語られたこのことばは、今、私たちに向けられていることばでもあるのです。自分のこととして、これを読んでいきましょう。

<エペソで過ごした日々>
18節、パウロはエペソに来た日のことから振り返ります。教会には、神の恵みの歴史があります。「あなたがたは、私がアジアに足を踏み入れた最初の日から、いつもどのようにあなたがたと過ごしてきたか、よくご存じです。」彼はもともと第二次宣教旅行の時からアジア州、つまりエペソがある地域に行こうと思っていたのですが(使徒16:6)、本格的に滞在できたのは19章の第三次宣教旅行になってからです。長く願っていたエペソでの伝道に、やっと取り組むことが出来るようになったのでした。彼は、聖霊のことは聞いたこともないという人たちに福音を正確に伝え、ティラノの講堂で二年もの間毎日福音を語り続けました。そして、アジアに住む人はユダヤ人もギリシャ人も多くの人が主のことばを聞くことになり、福音は驚くほど広まっていったのでした(同19:10,20)。先ほど読んだように、彼は三年間エペソの町で福音のために仕え続けたのです(同20:31)。

19節に「ユダヤ人の陰謀によってこの身に降りかかる数々の試練」とあります。パウロはどこへ行っても、度々、信じないユダヤ人からの攻撃を受けてきました。イエスが救い主であると信じるユダヤ人ももちろんいたのですが、信じようとしない人が多かったわけです。人は自分が慣れ親しんだ自分の安全圏を守ろうとします。ユダヤ人のように律法を守るということが救いの条件ではないとしたパウロの福音理解は、多くのユダヤ人たちの反感を買いました。どの町でも、暴言を受けたり嫌がらせを受けたりしてきたのです(同19:9、17:13)。ローマ人への手紙にも書いてあるように、パウロは同胞ユダヤ人の救いを心から願っていましたから(ローマ9:3、10:1)、その人々から迫害されるということの心痛はどれほどだったことでしょう。エペソでの事件といえば、銀細工職人デメテリオが引き起こした暴動もありました(使徒19:23−41)。町中が大混乱に陥りました。パウロの歩みはこのような困難の連続だったのです。そのような困難の中で、彼は「謙遜の限りを尽くし、涙とともに主に仕えてきた」と自分の歩みを振り返っているのです。

<「謙遜の限りを尽くし」>
日本語で「謙遜」というと、自分の能力を控えめに表現するというような意味です。自分で自分のことを謙遜だったと表現しているのですが、これは別に嫌味を言っているわけではありません。パウロがこのことばを、他ではどんな場面で使っているかというと、ピリピ2:3に同じギリシャ語が出てきます。「何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。」という箇所の「へりくだって」がそれに当たります。これが「謙遜」ということです。そして、大切なポイントは、それは「イエスさまこそそういうお方だったから」という文脈であることです(ピリピ2:5〜8)。イエスさまが謙遜なお方だったから、あなたがたもそうでありなさいということです。そして、イエスさまの謙遜について説明されます。

2:5〜8「キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。6 キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、7 ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、8 自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。」

自分の権利や立場を捨てて、父なる神に従う。つまり自分を神さまの御用のために明け渡す。これがイエスさまの謙遜、へりくだりなんですね。その思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。私たちは、イエスさまに似た者として成長させていただきましょうということです。パウロはこういうニュアンスで「謙遜」ということばを使っているのです。

私たちが十字架にかかる必要はありません。救いのために何かをする必要はありません。そこがずれてはなりません。でも神さまのご計画のために自分を明け渡す。自分をお任せしてしまう。神さまのみこころのためにあえて自分の立場を捨てるんです。それが十字架です。私たちは十字架でイエスさまと共に死に、イエスさまと共に生きるのです。イエスさまと一つにさせられた者として、イエスさまに似た者として成長させられていくんですよね。その意味で、パウロは確かに、「謙遜の限りを尽くして」主に仕えてきたのです。先ほども言ったように、彼は宣教旅行中に本当に多くの試練や苦難に会いました。そういう生き方から、そういう生活から離れようと思えば、離れることも出来たのです。辞めようと思えば、辞めることも出来たのです。彼ほどの賜物があれば、例えば律法の教師として生きていくことも出来たはずです。でも、彼は「謙遜に」、主に仕えていました。福音を宣べ伝えること、特に異邦人世界に福音を宣べ伝えるという神さまのご計画のために自分自身を捧げていたのです。それは、まずイエスさまが彼のためにご自身の立場を捨ててくださったからです。パウロはその恵みをよく理解していました。そして、神さまへの感謝の捧げ物として自分自身をささげていたんですね。

パウロはエペソの教会の人々にもそうあってほしいと願っているのです。自分が受けて当然のものをあえて手放して、神さまに従う。福音を伝えるというような特別な場面でなくても、生活の中で、家族や友人など人との関係の中で、自分が受けて当然の権利を手放してでも神さまに従う。神さまが願っておられるあり方、喜ばれるあり方を目指す。そのような生き方へと、神さまは私たちのことも招いておられます。

<悔い改めと信仰>
21節には、パウロが誰に対してもはっきりと証ししてきたこととして、神さまを信じて生きるとはどういうことか、その大切なことがまとめられています。それは「神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰」です。これは二つ別々のことではなくて、一つのことですね。私たちは神さまに対して悔い改める必要があります。悔い改めとは、悔やんで終わるものではなくて、向きを変えることです。悔い改めなさいということの意味は、自分はダメな奴だと自分を否定したり、セルフイメージを低く持つということではありません。神さまが願っておられるあり方から的を外した生き方しかできないことをまずは認める。そして認めたなら、神さまに向けて、向きを変えるんです。そのためには、私たちの救いのために来られたイエスさまを信じることが必要なのです。イエスさまが私たちのために人として来てくださったことを、十字架で死なれたことを、そしてよみがえられたことを、今も私たちと共にいてくださることを信じるのです。イエスさまは公に活動を始められた時に、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」と言われました(マタイ5:6)。悔い改めとは、天の御国のものとして生きること。悔やむことじゃない。生きることなんです。旧約の預言者エゼキエルも語ります。「悔い改めて、生きよ。」(エゼキエル18:32)神さまは、私たちが真の意味で「生きる」ことを、何度でも生き直すことを願っておられます。

パウロはコリント滞在中にローマの教会に向けても手紙を書いていたのですが、そこにはこうあります。「義人はいない。一人もいない。」(ローマ3:11)、「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができない。」「(しかし)神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、値なしに義と認められる」のです、と(3:23−24)。だから、イエスさまの方を向きましょう。信じた私たちも、イエスさまの方を向き続けましょう。何回でも、何回でも、向き直り続けましょう。聖霊がそのように導いてくださいます。

悔い改めとは、最初に信じた時のことだけじゃないです。私たちは、神さまに方に向き直り続ける必要があります(Ⅰヨハネ1:9)。私たちはイエスさまを信じているのですから、安心して悔い改め続けることが出来ます。立派な信仰がなくても大丈夫。悔い改める勇気がなくても大丈夫です。聖霊にお任せするんです。聖霊さま、どうか私をつくりかえ続けてくださいと祈り続ける中で、私たちは確かに成長していける。なぜか。これがみことばの約束だからです(Ⅱコリント3:18)。みことばの約束に支えられて、私たちは悔い改めと信仰、この道に歩むことが出来ます。

<22節〜27節 走るべき行程>
使徒の働きに戻ります。今日はすべてを細かく見ていくことは出来ませんけれども、22節〜23節で、パウロは「これから自分の身にどのようなことが起こるのかは、分からない。しかし、苦しみが待っているということは確かなようだ。」とした上で、24節「けれども、私が自分の走るべき道のりを走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません。」と述べています。

人生が道のりにたとえられています。その道のりを走り尽くす、ゴールを目指して走り抜くことが大切だということですね。パウロは第一コリントでも同様のたとえをしています(Ⅰコリント9:24−27)。スポーツの経験のある人はわかりやすいかもしれません。練習をしたり、身体を鍛えたりして、勝利を目指すわけですね。ゴールを目指すわけです。また、スポーツ以外でも、たとえば試験前にはよく勉強して備えたり、夜ふかししないで睡眠をよく取ったりして試験期間を乗り越え、合格をとるための工夫をしますよね。私たちの人生も同じです。ゴールを目指して、与えられている賜物を用いて、人生を生き切る。人生を全うするんです。

私たちには主イエスから、神の恵みの福音を証しする任務を受けています。それは何も、伝道の専門家になれとか、宣教師になれということではなくて、私たちが受けた恵みを、私たちが受けた恵みの福音を、自分なりの方法で、自分なりのあり方で、証ししていくのです。これは私たちにしか出来ないことです。あなたにしか出来ないことです。

走ると言っても、今は苦しくて思わず歩いているという人がいるかも知れません。転んでしまって、擦りむいてしまって、痛くて立ち上がれないという場合もあるでしょう。それでも大丈夫です。マラソンの競技で、一位でゴール直前という選手が転んで怪我をして、動けなくなっていて、後から来た他の選手が助け起こして一緒にゴールするという映像を見たことがあります。とても感動的でした。走り抜くことが大切なんです。そして、そのために助けてくれる人も神さまは備えていてくださいます。そのような家族や友人というのは本当に有難い存在だと思いますけれども、究極的には、やはり私たちの人生にともなっていてくださるのは神さまですね。聖霊なる神が私たちの人生の同伴者、伴走者であってくださる。

26節、27節は、パウロが自分の人生に悔いはないと言い切っている場面です。自分のやるべきことはすべてやった、ということですね。伝道に限らず、神さまから任されている自分の人生を振り返って、このように言い切ることが出来たら幸いです。そのような人生を送りたいと思います。

<28節〜32節 教会>
28節「あなたがたは自分自身と群れの全体に気を配りなさい。神がご自分の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、聖霊はあなたがたを群れの監督にお立てになったのです。」

集められているのはエペソの長老たち、つまり教会の指導者たちです。ここでは監督と呼ばれていますが、どれも同じ意味で捉えて問題ありません。こういう箇所を読むと、牧師として、教会の指導者として立てられていることの重みを感じます。教会の指導者は、まず自分自身に気をつけなければならないということ。これは牧師たち自身だけでなく、信徒の皆さんにもよく理解して祈っていただきたいところです。牧師も同じ人間だからです。みなさん、どうか、牧師のために祈ってください。そして、牧師は自分自身と群れの全体に気を配ります。当然ですね。それが与えられた職務です。

教会は神がご自分の血をもって買い取られた集まりだと書かれています。イエスさまの血は「贖いの代価」と言われます。イエスさまの血によって、私たちを買い戻してくださったというイメージです。イエスさまの血が流されたことによって、私たちは罪の奴隷から神さまのものとされたのです。私たち一人ひとりは、あなたは、それほどに大切な存在なんです。そして、教会は、そのような者たちの集まりです。イエスさまの十字架があったからこその教会なのですね。エペソの教会だけじゃない。私たち関西集会もそう。久遠教会だってそう。世界中のどの教会もそうなんです。

29節、教会はいつも「凶暴な狼」の危険にさらされています。イエスは神ではないだとか、世の中にはいろんな偽の教え、聖書のメッセージではないものが出回っていますから、指導者はよくよく注意していなければならない。実際、関西集会のホームページ経由で、どうやら異端の人からのメールが来たことがあります。異端というのは偽の教えということです。それによって教会が混乱し、バラバラになったり、異端の勢力に乗っ取られるということも実際に起こっているんです。30節、指導者たち自身の中からも、曲がったことを語って人々を自分の方に引き込もうとするような人たちが出てくるだろう、と。牧師の役割は、人々をイエスさまに繋げることですが、自分の方に引き込もうとするような、そんな指導者たちも出てくるだろうということです。

「ですから」と、31節、パウロは語ります。「私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがた一人ひとりを訓戒し続けてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。」教会を守るために、パウロが語り続けてきた福音の内容を思い起こしなさいということです。福音には、みことばには力があるからです。32節「みことばは、あなたがたを成長させ、聖なるものとされたすべての人々とともに、あなたがたに御国を受け継がせることができる」からです。教会はみことばによって守られ、みことばによって立つのです。だから、みことばが大事なのです。みことばが私たちを成長させます。神のことばが私たちに御国を受け継がせるのです。

<33節〜35節 受けるよりも与えるほうが幸い>
33節〜35節は、日頃のパウロの生き方です。パウロはテント作りの職人でもありました。彼は自分の必要のためにも、そして共にいる人たちのためにも、働いてきました。働いてお金を得ることは大切なことです。でもそれはただ自分の必要のためだけではないのです。35節には、そのように苦労してでも弱い者を助けなければならないという、自分の必要のため以外の、働く理由が書かれています。弱い人を助けるために働く。こういう理由で働くことを、現代の私たちは忘れがちかもしれません。自分たちの生活で精一杯という時代です。でも、それを言うならパウロはもっと精一杯だったわけですよね。自分の生活に責任を持って、生活のために必要なお金をしっかり得るということは大切なことです。でも、それだけじゃなくて、誰かを助けるために。そういうお金の使い方ができたらと思います。教会として能登ヘルプに献金したり、九キ災に献金したりすることは、こういった観点からも大切なことですね。

それは、イエスさまが「受けるよりも与えるほうが幸いである。」と言われたからです。ちなみに、このことばは福音書には残されていません。しかし、ヨハネも書いているように、福音書には書ききれなかった、残しきれなかったことばがたくさんあるのです(ヨハネ21:25)。「受けるよりも与えるほうが幸いである。」パウロがこれをここで思い出して語り、ルカがそれを書き残したから、私たちも読むことができます。よく覚えておきたいみことばですね。これは実際的な歩み方、生活の仕方です。パウロがエペソの人たちに、こういうことも伝えていたことの意味は大きいです。教会とは聖書の内容だけを知ればいい場所ではなくて、弱い人、困っている人のために具体的に与えていく、そういう場所なんですね。むしろ、聖書の話も十字架の話も、それでこそ生きてくるのです。「信仰と生活」ではなくて「信仰の生活」と言われますよね。二つはバラバラのことではない。聖書を信じるからこそ、十字架を信じるからこそ、実際の生活の中でどのように生きるかが問われます。

<36節〜38節 パウロとの別れ>
36節以降は、パウロとの別れの場面です。彼らは共にひざまずいて祈り、声を上げて泣いたとあります。何度も口づけをしたというのは、彼らの文化です。私たちであれば、握手をしたり、お辞儀をしあうということでしょうか。別れは寂しいものです。しかももう二度と会えないともなると、彼らの心の痛みはどれほどだったかと思います。このような場面は、私たちの感情を揺さぶりますね。私たちも、愛する人を天に送るなど、もう二度と会うことが出来ない別れというものを経験します。イエスさまを信じる私たちには再会の希望が与えられているのですが、今日のこの箇所では、悲しみそのものをしっかりと見つめたいと思います。復活があるから、希望があるからと簡単に言わないで、まずはしっかりと悲しむことが大切だと思うからです。その上で、その先に、確かに希望があることを思い出したいと思います。パウロはエペソの長老たちと別れて、ミレトスから船出します。エペソの長老たちは、パウロからしっかりとバトンを受け取りました。信仰のバトンです。

私たちもパウロの熱い思いを受け取りましょう。時代は違いますけれども、同じキリストのからだに属する信仰の先輩から、このような信仰のバトンを受け取っていることを思い出し、与えられている道のりを、今日もまた一歩踏み出したいと思います。(ヘブル12:1)

​ーーーーーーーーーーーーー

【2/25】

使徒20:2〜16

「続く旅路」
 

一週、別の箇所を挟みましたけれども、使徒の働きに戻ります。と言っても、今日の箇所は「どこどこへ行った、誰々が一緒に行った」という内容が多いので、他の聖書箇所とも突き合わせながら確認していきたいと思います。

<マケドニア、そしてコリントへ>
エペソを出発したパウロのその後の足取りを、他の聖書箇所と突き合わせながら確認していくと、彼はエペソを出た後、まずトロアスに寄っています。5節にトロアスが出てきますが、これはコリントからの帰り道なので別の時です。エペソを出た後、つまり1節と2節の間でまずトロアスに寄り、そこでテトスと合流して、コリント教会の様子を聞きたいと思っていたようなのです(Ⅱコリント2:12)。コリントの教会のことを彼は非常に気にかけていました。人々がパウロ派だのペテロ派だのに分裂してしまっているというコリントの教会のために、パウロはすでに二度手紙を書いていました。先週も触れましたが、今は失われている一通目の手紙がまずあり、第一コリントとして残っている二通目があり、しかも、どうやら一度は、エペソからエーゲ海をわたって直接コリントを訪問しているようなんです(同2:1)。それから「涙の手紙」と呼ばれている三通目の手紙をすでに書き送っていました(この手紙も、すでに失われています)。パウロはこの三通目を届けたテトスとトロアスで合流するつもりだったのです。コリントの教会のことが気が気でなかったのですね。しかし、この時、トロアスではテトスと落ち合うことが出来ませんでした。トロアスでは「主が私のために門を開いておられた」、つまり伝道に大きな可能性を感じながらも、心に安らぎがなかったといいます(同2:12−13)。それほどにコリントの教会が心配でした。彼はそのままマケドニアに向かいます。マケドニアでようやくテトスに会うことが出来たパウロは、コリントの人々がパウロの「涙の手紙」を読んで悔い改めたことを知り、慰めと喜びに満たされました(同7:5−16)。

使徒の働き20章の2節に入りますが、マケドニアに着いたパウロは、教会を巡りながら彼らを励まして回ります。マケドニアの教会というのは、ピリピやテサロニケ、ベレアなど、第二次宣教旅行の時に生まれた教会ですね。信じようとしないユダヤ人からの迫害など、厳しい状況を通り抜けてきた人々です。むしろ、今もなお困難の中にあったでしょう。パウロは顔を合わせて、彼らを励まして回ったのでした。パウロというと福音を伝える宣教師のイメージが強いと思いますが、牧会者としてのパウロの姿を見ます。彼はガラテヤ、エペソ、マケドニア、アカイアと教会を励まして回ったのです。パウロは伝道と牧会の両方を大切にしていたのですね。

パウロはこのマケドニア滞在中に、コリントの教会へ四通目の手紙、つまり第二コリントを書いています。コリントの人々は「涙の手紙」を読んで悔い改めたという知らせは受けましたが、パウロに反対する人たちが、パウロは使徒ではないとまで言い始めているという報告もありました。パウロは厳しい言葉で、この問題に立ち向かう決意を表現しています(同10章〜13章)。

使徒の働き20章に戻りますが、2節、彼はとうとうギリシャにやってきました。マケドニアの更に先のアカイア、つまりコリントですね。第二コリントに書いていたように、問題を解決させる決意で彼は三たびコリントにやってきたのです。彼はここで三ヶ月を過ごしたとあります(3節)。じっくり人々と向き合い、キリストのからだが分裂していることについて、またパウロ自身が使徒であることについても、語り合い、祈り合ったはずです。もっとも、使徒の働きの著者であるルカはその辺りのことを省略しています。これは視点の違いです。パウロは諸教会を励まし、育てることも大切にしていた訳ですが、そしてルカもそうだったとは思うのですが、でもルカはこの使徒の働きを書くにあたっては、むしろ福音が広がっていくこと、パウロの旅が続いていくことに重点を置いていたということでしょう。著者による視点の違いが確かにありますが、両方読めば全体像がつかめるというのも聖書の面白いところだと思います。福音書なんかもそうですね。四つの福音書にはそれぞれの視点がありますが、全体としての調和があるわけです。そして、単に聖書はそういう仕組みになっているというだけではなくて、私たちの生き方、神さまへの従い方にも、それぞれの視点や立場があるということにも気付かされます。パウロもルカもそれぞれ大切な働きをしました。どちらもキリストのからだにとって必要な働きだったのです。

<エルサレムへの献金プロジェクト>
さて、もう一点、ルカがあまり詳しく書いていないパウロの行動があります。それはエルサレム教会への献金プロジェクトです(使徒24:17で触れるのみ)。当時、エルサレムの教会は経済的に厳しい状況にあり、パウロは諸教会を回って励ましながら、そのことのために献金も募っていました。第三次宣教旅行において、パウロはまずガラテヤの諸教会に献金を募っていて、その後、コリントの教会に対しても手紙でそのように書いています(Ⅰコリント16:1、3−4)。そしてマケドニアで記した第二コリントには、マケドニアの諸教会が経済的には厳しい状況であったけれども、喜んで献金に加わったということが記されています(Ⅱコリント8:1−5)。

献金というのは、ただの募金ではなくて、神さまへの献身として、信仰の応答として捧げるものです。捧げる額が多かろうが少なかろうが、自分自身を捧げる思いで、私自身を神さまの御用のためにお用いくださいという祈りとともに捧げるものですね。

また、特に今回のような「誰かのために捧げる献金」には、交わりという側面があります。困っている他の教会を助ける。教会同士の交わりという意味にもなるのです。例えば、私たちも「能登ヘルプ」を通じて被災地の教会のために献金を送りました。自分はそこには行けないけれども、神さまがこれを用いて、彼らの必要を満たしてくださるようにという祈りを込めた献金は、ただの募金ではなく、彼の地の兄弟姉妹との交わりの形なのです。他にも、ワールド・ビジョンを通して被災地の子どもたちのために献金したり、BFPを通してユダヤ人のため、またアラブ人クリスチャンのために献金をしました。私たちの礼拝献金は、関西集会の通常の必要のために用いられることはもちろん、このような対外的な献金の交わりのためにも用いられています。ぜひ、これらの献金先のために引き続きお祈りください。

パウロがエルサレム教会への献金を募って回ったのは、エルサレム教会と異邦人教会が一つであることをパウロが大切にしていたからだと思われます。エルサレム会議以降、異邦人のクリスチャンは旧約聖書の律法による規定、食物規定や祭儀の規定などを守らなくても良いとされました。ユダヤ人のようにならなければ救われないのではない。救いとは、ユダヤ人のようになるかどうかには依らないからです。一方で、エルサレムの教会に代表されるユダヤ人クリスチャンたちは、ユダヤ人として、旧約聖書の律法を大切にし続けました。それは彼らの生き方であり、文化だったからです。両者はそれでよいということはエルサレム会議で正式に認められたはずだったのですが、自分とは違う実践をしている人たちを簡単に裁いてしまうのが人の弱さですね。実際、コリントの教会にはパウロ派とペテロ派が存在しました。異邦人世界に福音が広がることを重視した人たちと、福音がもともとユダヤで生まれたことを重視する人たちに分裂してしまいました。どちらも大切なことなのですが、対立し、分裂するということが容易に起こるわけですね。パウロはそのことに心を痛め、異邦人教会の兄弟姉妹を、エルサレム教会への献金という交わりに招き、両者の橋渡しをしようとしたのです。

パウロは異邦人のための使徒として、ユダヤ以外の国々に出かけていって福音を宣べ伝えました。しかし、彼がエルサレム教会やユダヤ人のことをとても大切にしていたことは、「ローマ人への手紙」からも明らかです。彼は自分の同胞ユダヤ人の救いを心から願っていましたし(ローマ9:2−5)、異邦人はユダヤ人から聖書という霊的な贈り物を受けたのだから、物質的には彼らのことを支えるべきだと教えています(同15:26−27)。私たち現代のクリスチャンも、ユダヤ人のために祈ることが大切です。それは、イスラエル政府のやることをすべて無批判で受け入れるということではありません。アブラハムの子孫には、世界の祝福の基となるという使命があります(創世記22:18)。そしてパウロがロマ書で書いているように、その賜物と召命は変わらないんです(ローマ11:29)。彼らがその使命に生きることができるように祈り支えるということです。ハマスの残虐行為に対する報復という形であれ、戦争が続いていることは事実です。戦争ではない別のあり方、別の解決の方法があるとすれば、それはまさに世界の祝福のモデルになるでしょう。中東の問題は解決不可能と言われていますが、ここに解決が表されていくように祈りましょう。

<第三次宣教旅行の帰路>
使徒の働き20章に戻ります。3節、コリントで三ヶ月を過ごした後、彼はシリアに向けて船出しようとします。つまり、エルサレムの方面に船で直接向かおうとしたのです。しかし、パウロに反対するユダヤ人たちの陰謀があり、船旅は危険と判断したということでしょう、彼はまたマケドニアを通って帰ることにしました。しかし、パウロは七人の同行者を先に行かせます。この先発隊は船でエーゲ海を横断し、先にトロアスへ向かいました。ベレア人ソパテロ、テサロニケ人のアリスタルコとセクンド、デルベ人ガイオ、リステラ出身のテモテ、アジア人のティキコとトロフィモです。パウロが回った異邦人世界全域から集められた人たちで、異邦人教会の代表者と言える人たちでした。パウロは、彼らとともにエルサレム教会に献金を届けることを計画したのです。彼らのうちの何人かは、パウロの手紙にも名前が出てきます。パウロと苦難をともにした人々でした。

こういった人たちを先にトロアスに向かわせたのは、コリントに来る前、トロアスで伝道の可能性を感じていたことがあったからかもしれません。パウロはエルサレムへの旅路を急いでいましたが、その前に少しでもトロアスに福音の種を蒔きたかったのかもしれません。彼自身は陸路で、マケドニアを経由してトロアスを目指しました。

この時、ここでパウロが陸路を行ったおかげで、彼は医者ルカと再度合流することになります。使徒の働きの著者であるルカです。お気づきのように、5節で一人称の表現が「私たち」に変わっているんですね。つまり、第二次宣教旅行以来ずっとピリピに留まっていたルカが、ここからまたパウロに同行するのです。ルカはピリピの町に留まっていました(使徒16:10で「私たち」となりルカが同行したが、17:1では「彼ら」に戻り、ルカと別れたことがわかる)。彼は医者でした。おそらくピリピに、彼にしか出来ないことがあったのではないでしょうか。およそ六年にわたって、彼はピリピに滞在していたのです。しかし、またパウロがやってきた時に、彼の働きは次のステージに移ったのでした。ルカは再びパウロに同行することを決めました。彼らはピリピから船に乗り、エーゲ海をぐるりと回ってトロアスで先発隊と合流しました。そこで彼らは船を待ちつつ七日間トロアスに滞在し、人々に福音を宣べ伝えました。

<7節〜12節 ユテコ>
さて、7節から12節は少し話のトーンが変わり、トロアスの町で起こった奇跡について記されます。週の初めの日、つまり日曜日に、彼らはトロアスの人々と別れるに際してパンを裂くために集まりました。これは食事会をしたという意味ではなくて、聖餐式のことです。つまり礼拝でした。これが、週の初めの日に礼拝をしたという最初の記事になります。それまでは安息日、つまり土曜日に集まっていたのです。イエスさまが週の初めの日に復活され(ヨハネ20:1)、聖霊もペンテコステの日、つまり五旬節の日曜日に降られたことから(使徒2:1)、礼拝は日曜日に持たれるようになっていったことを、このような箇所からも読み取ることが出来ます。もっとも、ユダヤ式の一日の数え方は前日の夕方から始まるので、私たちの感覚ではこれは土曜日の夜ということになります。ユダヤ式だと、金曜の夕方から安息日、土曜の夕方から主の日ということになるわけですね。

聖餐式とは、イエスさまの死を思い出すための食事です(Ⅰコリント11:26)。聖餐式のたびに言っていますが、洗礼や聖餐などの聖礼典は「見えるみことば」と言われます。イエスさまの臨在をありありと目の当たりにできる食事です。私たちは年に三回行っていますが、毎月や、毎週行う教会もあります。回数は教会によってそれぞれですが、一回一回を大切に、これからも礼拝としてこれを守っていきたいと思います。

さて、パウロたちは翌日に出発する予定だったので、夜中まで語り合っていました。夕方から夜中まで、語り合っていたわけです。大勢の人が集まり、ろうそくでしょうか、ランプのようなものでしょうか、ともしびもたくさんついていたと。ちょっとした酸欠状態です。ユテコという青年が三階の窓のところに腰掛けていたのですが、パウロの話が長かったこともあって眠り込み、窓から落ちてしまったというのです。「抱き起こしてみると、もう死んでいた。」これはルカの医者としての見立てです。仮死状態ではない。確かに死んでしまったのです。しかし、パウロは降りていって彼を抱きかかえ、「心配することはない。まだいのちがあります。」と言いました。

死者をよみがえらせる奇跡は、使徒の働き9章でペテロが行っています(使徒9:36−43)。もちろん、イエスさまがなさっていたことであり、もとをただせば旧約聖書の預言者たち(エリヤやエリシャ)がなしていたことでもありました。先程、コリントの一部の人たちがパウロが使徒ではないと言っていたことに触れましたが、こういった奇跡はパウロの使徒性を証しすることにもなりました(Ⅱコリント12:12)。パウロはペテロと同じように、預言者たちと同じように、ユテコの上に身をかがめて、「心配することはない。まだいのちがあります。」と言い、そして、彼は生き返ったのでした。

ユテコが生き返ることは知っていたとでも言うかのように、パウロはそのまま屋上に上がって行き、またパンを裂きます。奇跡を目の当たりにして、その場で礼拝をささげるパウロの姿です。すべての栄光を主に帰すのです。そして、主のことばを語り続けるのでした。奇跡だ奇跡だと言って大騒ぎしない。これぞ本当の使徒ですね。

12節、「人々は生き返った青年を連れて帰り、ひとかたならず慰められた。」神さまの奇跡は、私たちに慰めを与えます。「ひとかたならず」と訳されたメトリオースというギリシャ語はここでしか使われていない単語です。神さまの奇跡、神さまの慰めは、私たち一人一人にとって、ユニークでかけがえのない、他とは比べられないものですね。私たちが今まで受けてきた神さまの奇跡は、私たちをひとかたならず慰め、励ましてきた、大切な証しです。

<13節〜16節>
翌日、彼らはいよいよ出発しました。13節からは少し駆け足で見ていきますが、先にルカたちがトロアスから船に乗り、アソスを目指します。パウロはトロアスからアソスを陸路で一人で行きました。一人になって祈る時間が私たちには必要です。パウロは今後のことを考えて、一人で祈りながら歩いていったのだと思われます。そして、アソスでルカたちと合流して船に乗りました。その後、一行はミティレネに着き、15節、そこから出発してキオスの沖へ、そして次の日にサモス、そしてその翌日にミレトスに着きました。小アジアのエーゲ海に面した部分を、島々の間を通りながら、北から南へ降りてきたわけですね。16節、エペソには寄らず、通り過ぎました。五旬節(ペンテコステ)の日にはエルサレムに着いていたいと思っていたからです。そう言えば、20:1でエペソを出発したのも五旬節の日を待ってからでした。彼は五旬節まではとエペソに留まっていたのです(Ⅰコリント16:8)。あれから一年が経っていたことになります。五旬節の日には世界各地からユダヤ人たちがエルサレムに集まってきましたので、その日にエルサレムに着いていれば、いろんな人たちに会うことができるという狙いもあったでしょう。また、異邦人教会からの献金を届けるということにおいて、両者は聖霊によって一つのからだであることを表現するには、ペンテコステほどふさわしい日はないと考えたのかもしれません。彼はあれほど熱意を持って留まっていたエペソに立ち寄ることはしませんでした。こだわりは捨てていく潔さとでも言いますか、次のこと、今のことを考えていくパウロでした。ただ、それでもエペソの人たちへの愛は変わりません。彼はミレトスにエペソ教会の長老たちを呼び寄せて、別れを告げます。その内容は次週に見ていくことといたしましょう。

パウロの第三次宣教旅行が終わろうとしています。長らくエペソに滞在し、コリント教会に手紙を書き、マケドニアを経由してコリントに着いて三ヶ月を過ごし、その後陸路でマケドニアを経由し、船でトロアスへ、そして今ミレトスへ。諸教会からの交わりとしての献金を届ける目的もありました。信仰者の人生は旅路です。私たちの歩みにも、ステージがあります。季節があります。本日の招きのことばで読んだ伝道者の書3:1「すべてのことには定まった時期があり、 天の下のすべての営みに時がある。」「時期」という言葉は、英語の聖書では「season」、季節となっています。いろいろな季節を経ながら旅を進めていくのです。その旅は、天の御国、新天新地を目指しての旅です。一つ一つ、丁寧に歩んでまいりましょう。神さまが導いてくださることに耳を傾けつつ、主の臨在の中を歩んでまいりましょう。(伝道者の書3:1)

ーーーーーーーーーーーーー

 

【2/18】

Ⅰコリント12:20〜27

「一つのからだとして」

今日はいつもの使徒の働きではなく、コリント人への手紙第一を開かせていただきます。使徒の働きの講解はもちろん最後まで続けますけれども、この後の箇所をどう区切っていくか、少し悩んでいるということと、今日は音楽室での礼拝なので、賛美を多めにして、いつもと少し違う箇所から語れるタイミングということもあって、思い切って一度別の箇所を挟むことにしました。それでももちろん、使徒の働きの流れに合わせたいので、パウロがエペソ滞在中に書いた第一コリントを選ばせていただきました。

<コリント人への手紙>
コリントというのは、パウロが第二次宣教旅行のときにアテネの次に訪れた町です(使徒18:1〜18)。ギリシャのアカイア地方にあります。その後、パウロは第三次宣教旅行でエペソにやって来て、そこで三年間滞在するのですが(使徒20:31)、この三年のエペソ滞在の間に、パウロはエーゲ海を挟んだ向こう側に位置するコリントの教会に手紙を書いていたのです。かつて第二次宣教旅行の時に訪れていたコリントの教会に向けて。しかも、これは実は二通目の手紙でした(Ⅰコリント5:9〜11)。一通目の手紙は失われています。そして、コリント人への手紙の「第一」と「第二」の間にも実はもう一通手紙があったようなんです(Ⅱコリント2:4)。少なくともパウロはコリントの教会に向けて四通の手紙を書いており、そのうちの一通目と三通目は失われているけれども、二通目と四通目が残っている。それらが「第一コリント」、「第二コリント」という形で聖書に残されているということになります。失われている手紙があるというのは残念な気もしますが、聖霊なる神がそれでよしとされたということです。

今日開くのは「第一コリント」で、パウロがコリント教会に向けてエペソで書いた二通目の手紙になります。いろいろなことが書かれている膨大な内容の手紙ですので、そのすべてを取り扱うことは出来ませんが、パウロがこの手紙を書くことにした大きな理由の一つである、分裂問題についてまずは見ていきたいと思います。その上で今日の箇所にも入っていきます。

<1:10〜13>
まず1章10節から始めます。10節〜13節「10 さて、兄弟たち、私たちの主イエス・キリストの名によって、あなたがたにお願いします。どうか皆が語ることを一つにして、仲間割れせず、同じ心、同じ考えで一致してください。 11 私の兄弟たち。実は、あなたがたの間に争いがあると、クロエの家の者から知らされました。 12 あなたがたはそれぞれ、『私はパウロにつく』『私はアポロに』『私はケファに』『私はキリストに』と言っているとのことです。 13 キリストが分割されたのですか。パウロがあなたがたのために十字架につけられたのですか。あなたがたはパウロの名によってバプテスマを受けたのですか。」コリント教会は多くの問題を抱えていましたが、パウロはまずこの分裂問題を取り上げるのです。アポロというのは、使徒の働きにも出てきましたが、雄弁で大胆にキリストのことを話せたというあのアポロです。彼は聖霊のことを知らず、つまりイエスさまに向けて悔い改めるということを知らずにいたわけですが、エペソでプリスキラとアキラ夫妻から福音を正確に聞いて理解し、聖霊を受け、さらにイエスさまのことを力強く語るようになりました。その後彼はエペソからアカイア、つまりコリントに行っています(使徒18:27〜28)。アポロはコリントでも大胆に、力強く語ってコリントの教会の人々を大いに助けたのですが、アポロがエペソに帰ってから、コリントの教会では、人々が「パウロ派」「アポロ派」などというように分裂したというのです。パウロ、アポロ、そしてケファというのはペテロのことです、それぞれ当時の教会に与えられていたリーダーたちですね。現代でも、あっちの牧師がいい、こっちの牧師がいいと分裂し合うことは残念ながらよくある話しです。そしてここには第四極として「キリストにつく」という人たちもいて、一見、彼らが一番まともに思えるのですが、これらの4つはみな並列で書かれています。みな、同じように自分の正しさを主張しているだけなのです。いかに「私たちはキリストにつく」などと言ったとしても、結局自分たちも分裂・分派の一つになってしまっているということですね。コリントの教会がこのような状態になっていることを知らされて、エペソにいるパウロは、再び筆をとってこの手紙を書いたというわけです。

13節「キリストが分割されたのですか。」とパウロは語りかけます。教会はキリストのからだです。しかし、その教会がこのように分裂しているとはどういうことですか。「パウロがあなたがたのために十字架につけられたのですか。あなたがたはパウロの名によってバプテスマを受けたのですか。」そうじゃないでしょう。みな、同じ主イエスの十字架によって救われ、主イエスの御名によってバプテスマを受けた者たち同士なのではなかったのですか。パウロはそうやってコリントの人たちに語りかけます。

分割と言えば、今年のみことばにある「思い煩い」とは「分ける、バラバラにする」という意味のメリムナということばでしたよね。心が一つのものに向けられていない、集中されていない状態です。まさにコリントの教会はバラバラになっていた。教会の中に分裂があった。まさに思い煩う教会になってしまっていたと言えるでしょう。

<考え方は賜物であって、人それぞれ>
ただ、当然のことながら、教会は人の集まりです。考え方が違う時だってあるし、むしろ考え方が全く同じであることなんてないわけです。各々は、自分の考え方を大切にしていいのです。同時に、お互いの違いを認め合い、受け入れ合っていくことが大切です。パウロは「同じ考えで一致してください。」と言いますけれども、それはお互いの違いを踏まえて語り合い、納得し合った上で、落とし所を見つける、一致点を見つけるということです。何も、クリスチャンならこう考えるべきとか、このような考え方はしてはいけないとかいうように、考え方を強制して有無を言わさずに一致させなさいということではありません。私たちは違う人同士、違う人格同士なのですから、考え方が違います。それはお互いに大切な視点を持っているということです。

例えば、パウロ派の人たちは、福音が異邦人世界に広がっていくことを重要視する人たちだったのでしょう。これは大切な視点です。イエスさまはユダヤ人だけの救い主ではなく、世界の救い主、世界の王なる方ですから。一方で、ペテロ派の人たちは、イエスさまがユダヤ人であることを重要視していたのでしょう。これも大切な視点です。つまり、旧約聖書からの連続をしっかりと意識するということですから。イエスさまがユダヤ人であることを忘れてしまうなら、旧約聖書を無視することにもなりかねないですね。でも、旧約も新約も合わせて神のことばであるわけです。またアポロ派の人たちは、アポロが得意とした弁論術を重要視していたのでしょう。これも大切な視点です。弁論術・演説は当時の世界ではとても大切なもので、人に何かを伝えるためには必要不可欠なものでした。福音を人々に伝えるためにはどうしたらいいかという、具体的な側面を考えていた人たちだったと思われます。キリスト派という人たちも、イエスさまの名前を出しつつ分派の一つになってしまっていたわけですが、人間の誰かではなくイエスさまにという視点を持てていたということは大事です。このように、それぞれに大切なことを考えていたと思うのです。

この、それぞれの視点を持ち寄って、語り合って、祈り合って、具体的な歩みを決めていくということが大切です。思い煩いはイエスさまにお委ねする。その都度イエスさまへの祈りとして投げていくことが大切だと、今年のみことばで教えられています(Ⅰペテロ5:7)。互いにイエスさまに祈りながら、語り合う中で、お互いに相手の立場の意味を知り合っていけたら、そしてそこから出発して教会の歩みを定めていけたら、なんと幸いなことでしょうか。それこそが、パウロが1章10節で言っている「どうか皆が語ることを一つにして、仲間割れせず、同じ心、同じ考えで一致してください。」ということの意味だと思うのです。

<12:12〜19>
そして12章に入りましょう。12章から、パウロは賜物についての話をしていくのですが、それこそ、まさにそれぞれの異なった賜物を用い合ってキリストのからだ、つまり教会を建てあげていくようにという話の流れになっています。異なった考え同士の人たちが、同じ心で一致していくようにという話の流れが、賜物の話にも続いていきます。異なったもの同士が、一致していくというテーマです。

12章12節「ちょうど、からだが一つでも、多くの部分があり、からだの部分が多くても、一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。」パウロはからだのたとえでキリストについて、むしろキリストのからだである教会について説明していきます。一つのからだに多くの部分があり、そして多くの部分があっても一つのからだであるように、教会もまたそうなのだということですね。

からだに属するそれぞれの部分に役割があるように、私たち一人一人には役割があります。そしてそれはからだのために必要な役割です。不必要な役割というのはないんです。12章からパウロは賜物、奉仕の役割について話していて、それぞれ与えられている賜物は違うけれども、4節、私たちそれぞれに賜物を与える方は同じ御霊だということ、5節、奉仕はいろいろあるけれども、仕える相手は同じ主だということ、6節、働きには色々あるが、同じ神がすべての人の中で、すべての働きをなさるのだと語っていきます。一見別々な働き方、一見バラバラな考え方があるけれども、同じ主が与えてくださる賜物なのだということです。それぞれに分割されていたとしても、それぞれに賜物を与えてくださったのは同じ神さまです。その分割を思い煩いとするか、それとも異なった賜物同士で仕え合う機会とするかが問われます。私たちは違う存在同士です。違う存在同士。それを思い煩いの温床とするか、それともお互いに仕え合う機会とするかということですね。

15節や16節からは「私はからだに属さない」と言って教会から距離を置く人たちもいた様子がわかります。私は関係ないとする態度ですね。一線をおいて、外から批判する態度です。それもまた一つの分裂になってしまっています。しかし、パウロは言います。それでからだに属さなくなるわけではないのです。イエスさまに救われた人は、みなキリストのからだなのですから。賜物を用いて、キリストのからだを建て上げていくことに、すべての人が招かれています。

<12:20〜22>
そして、先ほどお読みした20節、21節「しかし実際、部分は多くあり、からだは一つなのです。目が手に向かって『あなたはいらない』と言うことはできないし、頭が足に向かって『あなたがたはいらない』と言うこともできません。」

賜物、役割に優劣はないのです。目が手に向かって「あなたは要らない」と言うことはできないし、逆に、手が自分は要らないと思う必要もない。ここ、大事なポイントです。人に向けてあなたは要らないと言うだけでなくて、自分のことを要らないと思う必要もないんです。目も、手も、頭も足も、からだにはすべて必要だからです。

奉仕とか賜物とかいう話になると、自分には何も出来ないと否定的な考え方になってしまうことがあるかもしれませんが、そんなことはありません。doingとbeingの違いでよく説明されますが、私たちが何かをすること(doing)には価値がありますが、私たちが存在すること(being)にはもっと大きな価値があるんです。何も出来ないからと言わないでください。あなたがそこにいてくださることが、この小さな群れにとってどれほど大きな励ましになっているか。また、このメッセージを録音で聴いてくださったり、郵送した原稿を読んでくださっている方々もいます。普段はまったく礼拝には来られなくても、離れていても、同じ主を見上げて、同じ主のことばに養われている方が「いる」ということ自体が、どれほど大きな慰めになっているか。奉仕とは、賜物とは、何ができるかじゃない。そこにいてくださることが何より大きな奉仕です。

同時に、doingの価値もまた忘れてはいけないですね。礼拝とは捧げるものですから、役割が必要になってきます。会場の椅子を整えてくださったり、週報を配ってくださったり、またプロジェクターの操作や会計の係など具体的な役割が必要で、みなさんそのことをよくやってくださっていることを本当に感謝しています。また、先程のbeingの話と重なってきますが、何より大きな奉仕は、礼拝のために出かけて「来る」ということ。朝早くから電車に乗って、ここに来るという行為、礼拝を捧げるという行為その事自体にどれだけ大きな価値があることか。礼拝者として集まってくださる、そのこと自体が、この小さな群れにとってどれほど大きな励ましになっていることか。心から、そう思います。このキリストのからだ、小さいながらにこのキリストのからだにとって、そのことがどれほど大きな励ましになっていることでしょうか。

そして、普段はまったく礼拝には来られなくても、場所は離れていても、そこで「祈っておられる」、そこで「主を礼拝しておられる」ということが(これも礼拝のdoingです)、これが私たちにとってどれほど大きな慰めになっていることでしょう。22節「それどころか、からだの中でほかより弱く見える部分が、かえってなくてはならないのです。」とあるとおりです。

<12:23〜27>
23節〜25節は、たとえ見栄えがほかより劣っていると思うような部分があったとしても、そこには神さまがもっと別の素晴らしいものを与えていてくださり、からだ全体がお互いのために配慮しあえるようにしてくださったということが書かれています。

23節は以前の翻訳だと「尊ぶ」とあったと思いますが、「見栄えをよくするもので覆います」と翻訳が改められました。ある方の解説で、体の部分の中で見栄えのない部分が見栄えをよくする部分で覆われるとはどういうことかというと、例えば、脳や頭蓋骨などの内臓と、顔として外に出ている皮膚や目などの外側の部分だという説明がされていました。大前提として、賜物に優劣はありません。それぞれの部分に優劣はありません。でも脳や頭蓋骨は、ずっと見てはいられない部分ですよね。その意味では見栄えはない。でもそれが皮膚や目などの顔で覆われる。どの部分も必要。どの部分も必要不可欠なんですが、「弱い」部分も確かにある。でもそれを覆う、守る、別の部分がある。体ってそうやって出来ているんですね。

24節の後半にも翻訳の改訂がありました。以前の訳だと「しかし神は」となっていたと思いますが、この「しかし」は削除されました。文章の通りがよくなったと思います。神さまはそのようにして体を組み合わせてくださいました。それは、25節「それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いのために、同じように配慮し合うためです。」この配慮するということばが実は「メリムナ」の動詞形なんですね。同じメリムナでも、心をバラバラにしていくなら思い煩いとなります。しかし、たとえバラバラな違う者同士であっても一つのからだの出来事にしていくなら、そこには思い煩いではなく、お互いへの配慮が生まれるということです。お互いの違いは分裂や分割ではなく、互いに仕え合うための機会、チャンスになるのです。お互いの違い、役割の違い、考え方の違い、賜物の違い、それは、分裂や分割が生まれる場所ではなく、隣人愛をもって互いに仕え合うための場所になるのです。

26節、苦しみも喜びも、分かち合うことができます。案外、喜びを共有することって難しいかもしれないですね。でも、このような生き方へと、私たちは、教会は、招かれているのです。いや、教会とはそういうところなんです。キリストのからだとして。そして27節、私たちは一人一人がその部分部分なのだということです。

これが、パウロがエペソ滞在中にコリントの教会の人々に向けて書いた手紙です。キリストのからだを建て上げるということについて、深く掘り下げらています。

<キリストのからだを建て上げる>
キリストのからだというのは教会のことですけれども、一つ一つの地域教会がまずイメージされると思います。○○教会、xx教会というように。関西集会もその一つです。私たちはキリストのからだとしてのこの教会、自分たちが集っているこの教会を建て上げていきます。

同時に、教会には「聖なる公同の教会」という側面もある。使徒信条で告白している通りです。すべての教会が一つとされている。時代も、地域も、国も超えて、すべての教会がキリストのからだを形作っているという事実ですね。他の教会とも協力しながら歩んでいくことが大切です。今、祈らされていることがありますけれども、そのこともまた、広い意味でのキリストのからだの出来事なのだと受け止めつつ、さらに祈っていきましょう。そして、そのためにも、一つの集まりとしてのこの関西集会を愛し、お互いに仕えあっていくことを、ここにキリストのからだを建て上げていくということを、これからもみことばから、聖霊の導きから、教えられていこうではありませんか。(エペソ4:16)

ーーーーーーーーーーーーー

直近の録音メッセージです。過去分はこちらから。

IMG_0054.jpg
bottom of page