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20230924(使徒16:11〜40)御国の市民として
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テキスト版

【10/1】

使徒16:11〜40

「御国の市民として」

パウロの第二次宣教旅行の様子を追っています。第一次宣教旅行で福音を伝えた町を回って教会を訪ねるために、パウロとシラスはガラテヤ地方にやってきました。リステラで出会ったテモテを助手として加え、南ガラテヤ地方を巡回した彼らは、今度は小アジアの西部を目指そうとしますが、聖霊に道を閉ざされました。北へ向かうも、その道も閉ざされて、彼らがやってきたのは北西の港町トロアスでした。そこでパウロは「マケドニアに渡ってきて、私たちを助けてください。」と懇願するマケドニア人の夢を見ます。そしてパウロは、エーゲ海を渡ってギリシアで福音を伝えることが主の導きであることを確信するのでした。なお、ここで使徒の働きの著者であるルカが一行に加わりました。ルカの福音書を書くことになる人です。彼は医者でした。石打ちの刑に遭うなど、パウロの身体はボロボロだったと思われますので、パウロを心配してついて来たのかもしれません。ルカの名前も、後のパウロの手紙にはよく出てきます。

<11節〜15節 リディアとその家族>
さて、彼らはトロアスから船に乗り、サモトラケを経由して、翌日マケドニアのネアポリスに着きました。同じローマ帝国内ですが、今で言えばトルコからギリシアへ、つまり、アジアからヨーロッパへ最初の一歩を踏み出した瞬間でした。この後、パウロはギリシアの諸地方を周り、最後はイタリアのローマにまで向かいます。キリスト教はその後ローマ帝国の国教となっていきます。「キリスト教はヨーロッパの宗教」という誤解がよくあるのですが、むしろアジアの宗教で、このような経緯を経てヨーロッパへ伝わったということを意識しておくと、歴史の流れが掴みやすいように思います。

さて、マケドニアに渡ったパウロ一行は、そのままピリピに向かいました。ピリピはもともとマケドニアの王にちなんで作られた町でしたが、その後ローマ帝国の支配下に入り、皇帝アウグストによってローマの植民都市となっていた場所です。退役軍人たちがローマの法律、ローマでの権利によって暮らしており、市民もまたローマの市民扱いがされていました。近くにはギリシャ半島を横断する大きな幹線道路もあり、人や物が行き交い、農業も経済も豊かな、まさにその地方第一の町でした。パウロたちは不思議な導きでここにやってきたわけですから、まさにこの大きな町で、神さまの大きなみわざが現されるのかと期待が膨らむところです。パウロ一行はこの町に数日滞在しました。

今回のこのピリピへの滞在で、いつもと違ったことがあります。それは「安息日にユダヤ教の会堂へ行く」というパターンではなかったということです。いつものように安息日にはユダヤ人や、聖書に興味のある異邦人を探すのですが、彼らは会堂ではなく川辺に向かいました。ピリピの町にはユダヤ教の会堂がなかったからです。ユダヤ教の規定によれば、ユダヤ人男性が10人がいれば会堂を形成できたそうなので、この町にはユダヤ人が、つまり聖書を読む人が10人いなかったということなのでしょう。この町に会堂がないことには、ここ数日間の滞在で気がついていたので、彼らは川に向かいました。会堂のない町のユダヤ人たちは川岸に集まって祈っていたからです。

このようにして、ピリピの川岸でパウロ一行は話を始めたのですが、14節、リディアという女性がパウロの話に耳を傾け、よく聴いていました。ティアティラ市の紫布の商人で、「神を敬う人」、つまり異邦人のユダヤ教改宗者でした。ユダヤ人ではないけれども、イスラエルの神を敬い、聖書に親しむ人だった。パウロが行く先々でユダヤ教の会堂を回ったのは、このような改宗者と出会うためでもあったわけですが、今回も神を求める改宗者に出会うことができました。そして彼女とその家族までもがバプテスマ(洗礼)を受けたのでした。ここで大切なのは「主が彼女の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされた」ということです。信仰は人が自力で掴み取るものではありません。神さまがその人の心を開いてくださるのです。このことは、周りが伝える必要はないということではありません。神さまはパウロを用いられました。パウロが語らなければ、リディアが福音を聞くことはなかったのです。神さまは私たちを用いてくださいます。ただ、あくまでも人に信仰を与えるのは神さまだということです。聖霊の働きです。聖霊が私たちに、「イエスは主です」という信仰を与えてくださるのです(Ⅰコリント12:3)。

彼女はもともとイスラエルの神を敬う人でした。聖書が証しする救い主を待ち望む人でした。そして、ナザレのイエスこそその救い主だと確信したのです。そして家族もろともバプテスマを受けました。彼女が家族にも伝え、パウロも改めて語ったことでしょう。家族もイエスさまを信じ、彼らがピリピ教会の初穂となりました。リディアは無理やりパウロたちを家に泊めます。「私が主を信じる者だとお思いでしたら、泊まってください」というのですから、断れないわけですね。パウロだけでなく、シラス、テモテ、ルカともよい交わりが与えられたことでしょう。イエスさまがどういうお方だったか、またこれまでのパウロたちの旅がどのようなものだったか、語り明かしたことと思います。

<16節〜 占いの霊を追い出す>
その後、またパウロたちが川辺の祈り場に行く途中、占いの霊に取り憑かれた若い女奴隷に出会いました。占い専門の悪霊というのがいて、この若い女奴隷に取り憑いていたわけです。彼女はパウロたちについて来て、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えています」と叫び続けました。

占いとは、人間の運命を知りたいという願望のために行う魔術の一種ですね。魔術ですから、悪霊、特に占いの霊が関係しています。今日も、科学が発展した世の中なのに、不思議と占いが流行っています。新聞にもインターネットにもちょっとしたかわいい体裁で占いが載っています。その方が売れるわけです。それほどに人は自分の運命を知りたい。不安な世の中だということでしょう。しかし、神さまはご自分の民に占いを禁じておられます(レビ19:31、申命記18:10-14等)。占いの霊、悪霊の助けを借りて未来を知ろうとする必要はありません。私たちには、将来と希望の計画を持っておられる神がおられるのだからです(エレミヤ29:11)。以前も学んだ通り、律法が禁止してくるということの意味は、「あなたはそれをする必要がない」「わたしがあなたを守るのだから」という神さまの思いなんですよね。私たちは、占いをする必要はありません。

さて、この占いの霊に取り憑かれた人は、パウロたちの後についてきて、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えています」と叫び続けました。それが何日も続いたのです。言っていることは正しい内容です。しかし、パウロは困り果てて、イエスさまの御名でこの女奴隷から占いの霊を追い出したのでした。この辺りでは有名な占い師だったようですし、彼女が宣伝してくれれば、もっと多くの人が集まります。パウロとしては、そのようにこの事態を利用することもできたはずです。しかし、主が禁じておられることには関わらないと、確固とした態度で臨んだわけですね。「困り果てた」ということばは、他の箇所では「苛立った」と訳されていることばですので(使徒4:2)、どうしようどうしようと思い悩んだのではないのです。初めは無視していたのでしょうが、何日も続くうちに堪忍袋の尾が切れてしまったという感じでしょうか。「わたしがあなたを守る」と言ってくださっている神さまを宣べ伝えているのに、悪霊が関わってくるなどどういうことか!というわけです。

このような箇所を読むと、私は占いはしていないから大丈夫と思われるかと思います。しかし、サタンは巧妙です。表立ったわかりやすい占いであったり、偶像礼拝はしていなくても、私たちの心の中には偶像があります。信仰心だって偶像になるのです。私はこんなに熱心に信じているという高ぶりが偶像になることだってある。みことばによって、いつも自分自身を点検させられていきたいですね。「あなたがたに将来と希望を与える計画がある」「わたしがあなたを守る」と言われる神さまを、もっともっと信頼していきたいですね。

<19節〜 獄中の賛美>
さて、女奴隷の主人たちは、もう彼女が占いをすることができなくなったのを見て、金儲けをする望みがなくなったのを悟り、パウロとシラスを捕らえて役人たちのところに引き立てていきました。そして、「この者たちはユダヤ人で、私たちの町をかき乱し、ローマ人である私たちが、受け入れることも行うことも許されていない風習を宣伝しております。」と訴えました。「ローマ人である私たちが」というのは、ここは植民都市ですから、ここの人は皆ローマ市民なのでこう言うわけです。長官たちは何の取り調べもせずに、彼らの服を剥ぎ取って鞭打ちにさせた上で牢に入れました。パウロとシラスは奥の方の牢に入れられ、足には動けないように木の足かせまではめられたのでした。

25節、真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていました。祈りと賛美はよく一つなります。賛美の歌詞はそのまま私たちの祈りとなります。祈っているうちに、私たちの口に賛美があふれてくる。そういうものですね。しかも、絶体絶命、明日はどうなるかわからない、そういう状況です。でも彼らはそこで賛美と祈りをささげていたというのです。

賛美を捧げることは、私たちの力です。詩篇を読めばよくわかります。詩篇は賛美の歌詞ですが、絶望の中でも神さまだけが私の光である、私は揺るがされない、そういった歌がたくさん残されています。取り調べもなく投獄されるなどという状況は、普通はそんなにないと思いますが、私たちもそれなりに、普段絶体絶命の状況を経験します。そんな時に、賛美を歌うことができたら幸いです。そのためにも、讃美歌を覚えられたらいいですね。

心の中で歌うのでもいいのですが、この時のパウロとシラスは声に出して歌っていたようです。他の囚人たちもじっとそれに聴き入っていました。祈りの言葉も聞いていたのです。これは後に彼らの行動に大きな影響を及ぼす証しとなりました。

26節、突然、大きな地震が起こります。そして牢屋の扉が全て開き、全ての囚人の鎖が外れてしまったというのです。それに気がついた看守は、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとします。ローマの法律では、牢屋の看守は、囚人が逃げてしまった場合には自分が同じ刑罰を受けることになっていたからです。そんなことは耐えられない。彼は自ら命を絶とうとしました。

日本の自殺者は年間3万人ですよね。どうか、どうか、命を投げ捨てないでほしい。生きてほしい。そう思います。「生きよ」と言われる神さまがおられることを知ってほしいと思います。

看守が自殺しようとしているのを見たのか、それとも剣を抜く音が聞こえたか。パウロが叫びました。「自害してはいけない。私たちはみなここにいる!」その通り、他の囚人たちも全て、誰も逃げてはいなかったのです。彼らはパウロとシラスが祈る祈りを、また歌う賛美を聴いていました。そして、神がおられるということ、神に信頼して生きる生き方があることを目の当たりにし、感動にも似た畏れを抱いたのでしょう。

パウロの声を聞いた看守は明かりを取って牢の中に駆け込み、パウロとシラスの前にひれ伏します。そして30節「先生方。救われるためには、何をしなければなりませんか。」この看守はユダヤ教の改宗者というわけではありません。聖書を読んだこともなかったでしょう。彼が言った「救い」という言葉は、聖書の言う「救い」とは多少意味が違ったでしょう。それでも、彼はパウロとシラスが信じ、仕えている神が本物だと肌で感じ取ったのです。私たちクリスチャンは、正しく聖書を理解すること、聖書的に正しい表現をすることにこだわり過ぎてしまう時があると思います。それは大切なことではあるのですが、未信者の方々の疑問であったり、または感動を無下にしてはいけません。神さまは私たちのこだわりを大きく超えて働かれます。この日、その夜に、看守とその家族全員が主イエスを信じ、バプテスマを受けたのです。大きな喜びがこの家にありました。

31節は有名です。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」これは、あなたがイエスさまを信じれば自動的に他の人も救われるという意味ではないです。あなたがイエスさまを信じれば、家族の人たちもあなたの姿を見て、福音を聞くことになる。あなたが、家族の救いのきっかけになるということですね。そして、その通りになりました。彼が連れてきたパウロとシラスの話を、その家の者たち全員が聞きました。そして、全員が信じてバプテスマを受けたのです。「あなたもあなたの家族も救われる。」家族の救いを祈る私たちにとって、何と大きな慰めのことばかと思います。自動的に、機械的に、あなたの家族も救われるということではありませんが、神さまは「あなた」を、「私」を、家族の救いのために用いてくださるのです。

<35節〜 ことの顛末>
さて、町の長官たちは警吏たちを遣わして、「あの者たちを釈放せよ」と言ってよこしました。取り調べも何もなしに鞭で打って投獄し、今更「釈放せよ」と人を遣わして言って来たわけですね。看守はそのことばをパウロに伝え、「さあ牢を出て、安心してお行きください」と言いました。看守の家でもてなしを受けた後、彼らは牢に戻っていたのですね。立場としては囚人のままでしたので。

しかし、ここでパウロは使いの警吏たちに言いました。「長官たちは、ローマ市民である私たちを、有罪判決を受けていないのに公衆の前でむち打ち、牢に入れました。それなのに、今ひそかに私たちを去らせるのですか。それはいけない。彼ら自身が来て、私たちを外に出すべきです。」パウロもシラスもローマの市民権を持っていました。加えて、この町は植民都市であり、みなローマ市民の扱いでした。ローマ市民がローマ市民を公衆の面前で鞭でうち、取り調べもせずに牢に入れたというわけです。これはローマの法律に反することで、下手をすれば長官たちは自分の立場が危うくなるような話です。長官たちは、二人がローマ市民であると聞いて恐れ、自分たちで出向いて来て二人をなだめ、謝罪して、町から立ち去るようにと頼んだのでした。

パウロとシラスは、自分たちの権利を主張して溜飲を下げようとしたのではありません。あの占いの霊を追い出したのもそうでしたが、この福音がきちんとしたものであることを証明したかったのだと思います。「鞭で打たれて牢に入れられた人たちが話している、何だか知らないが怪しい話」になってしまわないように。不当な扱いを受けたのなら、正々堂々とその疑いを晴らしたのです。それは生まれたばかりのピリピの教会のためでもありました。

<ピリピの教会>
40節、パウロとシラスはリディアの家に向かいます。リディアの家には十分な広さがあったのでしょう、ここが教会となっていました。そこには主にある兄弟姉妹たちがいました。リディアの一家、ローマの看守とその家族、そして悪霊から解放された元占い師もいたことでしょう、彼らでピリピの教会が形成されていました。トロアスで幻を見るというような、劇的な展開でマケドニアにやって来て、植民都市ピリピにやって来て、大勢の人が福音を信じたかと言われれば、パウロが他の町で経験して来たような大人数ではありません。でも、ここに教会が生まれました。紫布の商人と、ローマの看守、また元占い師というばらばらな人たちでした。でも確かにここに教会が誕生したのです。主にある兄弟姉妹たちがここにいたのです。彼らを励ましてから、パウロたちは次の町へ移動して行きました。

ちなみに、17章からまた、ナレーターの主語が「私たち」から「彼ら」、パウロとシラスに戻ります。使徒の働きの著者であるルカはこのままピリピに留まったようです。「私たち」という表現は20:6でまた出て来ますので、ルカはかなり長い間ピリピで過ごしたようです。彼にしかできない、彼の使命がここにあったのでしょう。

後に、パウロがピリピの教会に宛てて書いた手紙があります。「ピリピ人への手紙」です。短い手紙ですので、ぜひ時間をとって読んでみてください。植民都市ピリピの人たちに宛てた手紙であることがよくわかる表現があります。彼らはローマ市民であることに誇りを持っていましたが、それ以上に「御国の市民として」生活するように(ピリピ1:27脚注)、また、私たちの国籍は天にあることを忘れないようにと励ましています(同3:20)。手紙には、ピリピの人たちがパウロのために献金を送っていた様子も書かれています(同4:15-16)。使徒の働きを読むと、パウロの書簡の内容もまた立体的に見えてきますね。

私たちの教会も小さなものですけれども、私たちも御国の市民として生活していきたいものです。それぞれのところで、地の塩として、世の光として生活していきましょう。また、私たちも多様な人たちの集まりです。年齢も、仕事も、住んでいる場所も違います。それでも、主にある兄弟姉妹としてここに集まり、共に礼拝を続けているのです。主にある兄弟姉妹としての集まりであることを改めて思い返しつつ、互いのためになおなお祈り続けてまいりましょう。(詩篇27:1、ピリピ1:27)


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【9/17】

使徒15:36〜16:10

「聖霊の導き」

間が空いてしまいましたが、引き続き、使徒の働きの続きを読んでいきましょう。初めに前回のところを少し振り返ります。15章の前半はエルサレム会議について書かれた場面でした。ユダヤ人クリスチャンの中には「割礼派」と呼ばれる人たちがいて、彼らが主張する「異邦人クリスチャンにも割礼を受けさせるべきだ」という主張にパウロは毅然として反対しました。救いは信仰のみによるのであって、ユダヤ人のようにならなければならないということではないのです。初代教会はこれまでもこの問題に振り回されてきましたが、エルサレム会議において、異邦人クリスチャンに割礼を受けさせる必要はないということが再確認されたのでした。教会がいつも同じ問題で堂々巡りしてしまうのは、今も昔も変わらないのかもしれません。しかし、聖霊の導きを思い出し、聖書の約束を確認して新しい歩みを始めたエルサレム教会の姿は大きな手本になりますね。今日はその続きです。

<36節~>
このような出来事を経て、36節、パウロは先の宣教旅行で回った町を巡り、そこに生まれた教会を訪ねてこようと提案します。これらの教会は「割礼派」の問題に翻弄され、主イエスへの信仰だけで救われるというパウロが伝えた福音から外れてしまうという混乱を経験していました。パウロとしては、すでに「ガラテヤ人への手紙」を書き送ったけれども、今、改めて、エルサレム会議の内容を直接伝えに行きたいという思いがあったのでしょう。救いはイエス・キリストへの信仰のみによります。異邦人クリスチャンは、ユダヤ人のようにならなくても大丈夫です。同時に、ユダヤ人クリスチャンはその文化を大切にしていけばいいのです。パウロはこれを直接伝えに行きたかったのだと思います。これは大切な旅でした。

その大切な旅に、37節、バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネも一緒に連れていくと言います。マルコと言えば、第一次宣教旅行の際に途中で帰ってしまった人物です。彼は旅の途中でエルサレムに帰っていったのです(13:13)。その理由は書かれてありませんが、パウロはこのことをよく思っていなかったようです。38節、彼は「パンフィリアで一行から離れて働きに同行しなかった者は、連れて行かないほうがよいと考えた」のでした。マルコがエルサレムに帰った理由は書かれていないのですが、パウロはこの旅を「働き」と表現しています。つまり、これは異邦人世界に福音を伝えるための旅、異邦人伝道の働きだったのであり、マルコはそれに最後までついては来なかったというわけです。マルコはこの時まだ年若い青年です。それまではユダヤ人社会の中で生きてきて、おそらく初めて外に出た人でした。マルコが割礼派だったとは思いませんが、それにしても初めて異邦人世界に出て行って、そこでユダヤのしきたりに従わなくても人が救われるということを目の当たりにして、混乱したことは十分考えられます。異邦人に直接福音を語ることへの戸惑いがまだまだあったはずなのです。彼はアンティオキア教会に戻るのではなく、エルサレムに帰って行きました。エルサレム教会が自分のことをどのように考えるかという不安があったのかもしれないとも言われています。そのようなマルコを連れていけば、また同じことに時間を取られてしまいます。今回の旅には、パウロの個人的な思い入れ以上に大切な意味がありました。異邦人は異邦人のままで救われる、イエスさまへの信仰だけで救われるという福音の根幹を確かめにいく、非常に大切な旅だったのです。パウロはマルコを連れていくべきではないと判断したのでした。

しかし、バルナバはマルコを連れていくと言って聞かず、39節、「激しい議論になり、その結果、互いに別行動をとることに」なったのでした。今まで、多くの論敵を相手にともに論戦を張ってきた彼らでしたが、ここへ来てお互いの間で議論をするようになってしまいました。バルナバとしては、マルコにチャンスを与え、一緒に旅をすることで彼が成長することを重視したのでした。バルナバってそういう人なんですよね。バルナバは、パウロが最初にエルサレムに来た時に、皆が彼を恐れた中でもパウロのことを引き受けました(使徒9:26-27)。パウロが故郷のタルソでくすぶっていた時にも、彼を探しに行きました(11:25)。バルナバは人を育てる人なんです。私たちとしては、マルコに自分を重ねることが多いので、バルナバのような人がいると安心できますね。有り難いなと思います。私自身のことを振り返ってみても、ここまでいろんな人に迷惑をかけてきたこと、それでもあきらめずに育ててくれた人たちがいたことを思い返します。お一人お一人に、そのような出会いがあったことと思います。私たちもバルナバのように、人を育てる人でありたい。そう思います。

もっとも、パウロだって自分がバルナバの世話になったことを忘れたわけではないでしょうし、後には彼自身がバルナバのように、信仰の後輩のために一肌脱いだという手紙が聖書に残されています。「ピレモンへの手紙」です。ピレモンという人の奴隷(オネシモという名前です)が逃げてきて、捕まって、牢屋の中でパウロと出会い、イエスさまを信じて救われます。パウロはこのオネシモのことをどうかよく面倒を見てやってほしいと、ピレモンに手紙を書くんですね。オネシモのことを我が子と呼び、私を迎えるように彼を迎えてやってほしい、金銭面で負債があるなら私がそれを払います、そんな手紙を書くのです。パウロにもそういうところはあるんです。ですので、今日の場面でも、ただ感情的に「マルコなんて、けしからん」と駄々をこねたわけではないと思います。彼にだって人を育てる気持ちはある。ただ、働きが大きく進もうとしているこのタイミングでは、働きを進めることに集中すべきだと判断したのです。パウロとバルナバのどちらの判断が正しくて、どちらかは間違ったということではないでしょう。

ただ、それを理由にしてマルコを切ったことは事実ですし、人を育てるバルナバと対称的に描かれていることは事実です。ちょっと後味が悪くはありますね。しかし、このことがどういうことに繋がっていくか。人の側の限界、後味の悪さすらも用いて、神さまのみわざがどのように広がっていくか。聖霊がどのように導いてくださるか。そのことが使徒の働きには書かれているということだけははっきりと言うことができます。

<39節〜>
使徒の働きの著者ルカはパウロに焦点を置いていますので、使徒の働きにはバルナバはもう出てきません。その後のバルナバの歩みはどのようなものだったのかは、推測するしかないのですが、パウロの手紙に彼の名前が出てきます。コリント人への手紙第一で彼は、自分と同じように働いている人としてバルナバの名前を出していますので(9:6)、この時は喧嘩別れしましけれども、お互いに連絡を取り合い、意識し合う関係は続いたのだと思われます。

特筆すべきはマルコです。後にパウロは、マルコについて「(彼と一緒に来てください。)彼は私の務めのために役に立つからです」と言っています(Ⅱテモテ4:11)。かつては、パウロから一緒に行動することを拒まれたマルコですが、「マルコを連れてきてくれ!」と頼まれるほどに成長したということです。他の手紙には、パウロが牢に囚われていた際にも一緒にいた人物としてマルコの名前が特筆されています(コロサイ4:10、ピレモン24、Ⅰペテロ5:13)。マルコはパウロと別れてから大きく成長しました。むしろ、パウロと一緒にいたらここまでの成長はしなかったかもしれない。先ほども触れたように、人の側の限界すらも用られて、神さまのみわざは広がって行きます。それぞれに成長が与えられ、和解が与えられていくのですね。

一方パウロはシラスを選び、シリア、キリキアのルートから小アジアの内陸を目指して出発しました。シラスはエルサレム教会からの手紙をアンティオキアに届けた人物です(15:22)。エルサレム教会の代表として、会議の内容を語ることができます。また、預言の賜物があり、みことばで人々を励ますことのできる人でした(15:32)。また、パウロと同様にディアスポラのユダヤ人であり、ローマの市民権も持っていました。実際にこれから二人は不当な逮捕をされることになるのですが、その際に「私たちはローマ市民です。」と訴えることができたんですね(16:37)。パウロの宣教旅行が次のステージに進む上で、シラスは欠かせない人物だったのです。

こうして第二次宣教旅行が始まりました。彼らが道の途中で諸教会を力づけたとあるのは、パウロの宣教以外で誕生した教会だったり、このルートにはパウロの故郷であるタルソがあるので、彼がタルソにいた時に宣教して出来た教会もあったことでしょう。それらの教会を回りながら、彼らは主イエスの福音を語り伝え、またエルサレム会議の内容を伝えて、人々の不安を取り除いて回ったことと思います。

<16章1節〜>
今日はもう少し進みますけれども、16章1節、パウロの一行はデルベとリステラに着きます。デルベは第一次宣教旅行で回った一番奥の町、そしてリステラはパウロとバルナバがギリシャ神話の神々扱いされた町ですね。これらの教会では、パウロが書いたガラテヤ人への手紙がすでに回覧されて読まれていたはずです。パウロとしては気が気でなかったはずなので、再会を喜んだことでしょう。

さて、リステラの町にテモテという弟子がいました。クリスチャンであるユダヤ人女性の子で、父親はギリシア人だということでした。リステラの町では少し前に大混乱があったわけですが(パウロとバルナバが神々扱いされたり、イコニオンから反対するユダヤ人たちがやってきて騒ぎ立て、パウロが石打ちにあったり)、しかし、そういう中でも救われる人たちがいて、教会が誕生したのです。テモテの家族もその時に救われた人たちだったと思われます。パウロは、ここでテモテと再会したのでしょうね。テモテはやがてエペソの教会を任される牧会者になりますが、そのテモテにパウロが手紙を送って「あなたは、年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい」と言っています(Ⅰテモテ4:12)。リステラでパウロと再会したこの時、彼は二十歳前後だったでしょう。パウロはこのテモテを連れていくことに決めました。このことから、パウロにも人を育てる思いがあったことが分かります。彼も、やはりマルコを育てたかったのだと思います。でも、自分のキャパシティを考えた時に、働きを進めることと人を育てることの両方は無理だと判断したのでしょう。しかし、その後もずっと、心のどこかで人を育てたいと思っていたのです。テモテは異邦人世界で生まれた人ですし、マルコのように異邦人世界で思い悩むこともありません。働きを進めながら、同時に育てることができます。パウロにとっては、テモテとの再会は慰めだったことでしょう。

3節後半には気になることが書かれてあります。「その地方にいるユダヤ人たちのために(以前の翻訳では「その地方にいるユダヤ人の手前」)、彼に割礼を受けさせた。彼の父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである。」パウロは異邦人クリスチャンに割礼を強要することには断固として反対してきたわけですが、なぜテモテには割礼を受けさせたのでしょう。当時、父親が外国人・異邦人であるならば、たとえ母親がユダヤ人であってもその子はユダヤ人とは見なされなかったようです。であるならば、テモテは正式には異邦人だということになります。パウロはなぜ割礼を受けさせたのでしょう。テモテへの手紙によると、テモテは祖母のロイス、そして母のユニケから聖書を教えられ、イスラエルの神を信じてユダヤ人として、ユダヤ教徒として育った人でした(Ⅱテモテ1:5)。パウロは、救いの根拠として割礼を受けさせることには断固として反対しましたが、ユダヤ人が文化として、慣習として割礼を受けることにまで反対したわけではありません。ユダヤ教徒として生きてきたのであれば割礼を受けることには問題がありませんでした。「彼の父親がギリシア人であることを、皆が知っていた」、つまり彼は正式には異邦人だけれども、聖書を大切にし、まことの神を信じ、割礼まで受けたなら「改宗者」としてユダヤ人社会から認知されることになります。そのことは、この地方のユダヤ人たちの理解を得るためにも大切なことでした。ああ、テモテは正式には異邦人ではあるが、ずっとユダヤ教の教えの中で育ち、割礼も受けた改宗者として、会堂にきちんと関わってくれている人だと、皆が受け入れてくれるわけです。第一次宣教旅行もそうでしたが、パウロはユダヤ人の会堂を訪ねて回りますから、テモテが割礼を受けているのであれば、話が通りやすくなります。パウロが彼に割礼を受けさせたのはそのような実際的な理由でした。決して、救いの条件として受けさせたわけではないのです。

4節、5節、彼らは町々を巡ってエルサレム教会からの知らせを伝えました。人々は信仰による救いを再確認し、その信仰は強められ、人数も日毎に増えていったのでした。第一次宣教旅行で生まれた教会を訪ねるという当初の目的は果たされました。

<6節〜 聖霊の導き>
6節、それから彼らはさらに旅を続けようとします。アジア、つまり小アジアの西海岸、エペソの辺りまで行ってみことばを伝えようとしたようです。しかし、その方面に行くことを聖霊に禁じられたというのです。具体的にどのような出来事があったのかは分かりません。しかし、彼らは聖霊の導きを信じて進路を変えました。西を目指すのではなく、フリュギア・ガラテヤの地方を通って、小アジアの内陸部を北に向かいます。そのまま小アジア最北のビティニアに行こうとしましたが、「イエスの御霊がそれを許されなかった」といいます(7節)。イエスの御霊というのは、聖霊のことですね。三位一体ですから、同じ神です。ここでも、具体的に何が起こったのかは分かりません。ペテロの時のように夢でお告げがあったのかもしれません。聖書のみことばを読むうちに、これはこっちへ行くべきだと考えを変えられていく経験をしたのかもしれません。もしくは、この時はただただ不思議と道が閉ざされていき、選択肢がなくなっていったのだけれども、後から振り返ると確かに主の導きだったことがわかったので、ルカはこのような書き方をしたのかもしれません。私たちも、自分の人生を振り返ったときに、今なら聖霊に導かれてここまで来たことが分かるということがありますよね。パウロたちも、最終的には道が閉ざされたことの意味を知ることになります。そして、自分たちが進むべき道を確信したのです。

それは、海を渡ってマケドニアに行くことでした。小アジア(今のトルコ)からエーゲ海を渡ってギリシアに行くというわけです。道を閉ざされてたどり着いたトロアスでパウロは幻を見ました。一人のマケドニア人が立って、「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願していたというのです。この幻を見て、彼らはこれまで道を閉ざされ続けてきたことの意味がわかりました。そして、今度はギリシアに渡って福音を宣べ伝えるのだ、神はそのために私たちを召しておられる、つまりそれが私たちの使命なのだと確信したのでした。

聖霊は、私たちの道を閉ざしてでも、進むべき道を教えてくださるお方です。パウロとバルナバの決別もそうだった。彼らが一緒に旅をすることは導きではなかった。彼らが一緒に行ったのだったら、マルコの成長もなく、テモテを連れていくということにもならず、マケドニアへ渡ることもなかったでしょう。神さまは私たちの人間的な弱さや限界をも用いて、神の国の福音を広げてくださいます。

次回から、パウロ一行のマケドニア伝道の様子を見ていきます。パウロ一行と言えば、10節から主語が「私たち」に変わります。使徒の働きの著者であるルカが、このトロアスから一行に加わりました。「私たち」という表現には、私たち読者も自分を重ねやすいですよね。使徒の働きも半分以上進んできましたが、改めて、自分もパウロ一行に加わっている気持ちでこれを読んでいきたいと思います。(詩篇37:5)

 

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【9/3】

使徒15:1〜35

「教会の歩み」

<1節〜3節 繰り返される問題>
今日から、使徒の働き15章に入ります。パウロとバルナバが第一次宣教旅行から帰ってきた後になりますが、ここで大きな事件が起こります。場所はシリアのアンティオキア教会です。1節「ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに『モーセの慣習にしたがって割礼を受けなければ、あなたがたは救われない』と教え」たというのです。これはつまり、ユダヤ人のようにならなければ救われないという意味です。この「ある人々」というのはユダヤから、つまりエルサレム教会からやってきたユダヤ人クリスチャンですね。ユダヤ人のクリスチャンたちは、もともとユダヤ人ですから割礼を受け、食物規定を守って生きています。でも異邦人クリスチャンにはその必要はない。ユダヤ人のようにならなくても、ギリシア人ならギリシア人のままで、ローマ人ならローマ人のままで救われる。ユダヤ人の文化である祭儀律法を守らなくても、イエス・キリストへの信仰で救われる。大切なのは、ユダヤ人のようになるかどうかではなくて、イエスさまを救い主として信じることなんだ。パウロはそのように教えてきましたので、当然彼らとぶつかります。2節、激しい対立と論争が生じました。

パウロは以前にもこのテーマで大きく論争したことがありました。以前、パウロがエルサレムに行った際、同行したテトスという異邦人クリスチャンが割礼を受けさせらることがないように、パウロは一歩も譲歩しなかったというガラテヤ2章に書いてあるのですが、これは使徒11章に載っている救援物資を届けに行ったときのことだと理解されています(違う見解もある)。ここでもいわゆる「割礼派」の人たちとの論争があったわけです。第一次宣教旅行中に、行く場所行く場所でユダヤ人の反対にあったのとは少し事情が違います。旅行中にパウロたちを迫害したのは、ユダヤ教のユダヤ人たち。でもエルサレムで論争したり、今回アンティオキアにやってきた割礼派の人たちはユダヤ人のクリスチャンです。クリスチャンも、そうではない人も、似たようなことが気になって、右往左往しているわけですね。

実は14章と15章の間にもそのような出来事、事件があったと思われます。「ガラテヤ人への手紙」がその内容になりますけれども、ここで(つまり、第一次宣教旅行が終わった後、アンティオキアで)ガラテヤ書が書かれたとするならば、ガラテヤ書に書かれている割礼派の人たちの問題が、15章に入る前のこの行間にもあったことになる。ガラテヤ書の執筆場所と年代については諸説あるので、断定的には言えませんけれども、少なくとも内容について言えば、ガラテヤ書の内容というのは、「異邦人クリスチャンには、ユダヤ人のように割礼を受けたり祭儀律法を守る必要はない。救いは信仰のみによる。そうやってあなたがたは救われたばかりのはずだ。それなのに、何でこんなにも早く福音に何か別のものを付け加えようとするのか」というものです。そして、ガラテヤというのがどこかというと、それはパウロが第一次宣教旅行で訪れた地域のことなんです。イコニオンとかリステラですね。「救いは信仰のみによる。そうやってあなたがたは救われたばかりのはずだ。それなのに、何でこんなにも早く福音に何か別のものを付け加えようとするのか。」ガラテヤ書がこのタイミングで、ここで書かれたとするならば、第一次宣教旅行で誕生した教会はすでに、もう、割礼派の教えに振り回されていたことになる。「モーセの慣習にしたがって割礼を受けなければ異邦人は救われない」という教えに振り回されていたということになります。それでパウロはあの激しい口調の手紙をガラテヤの諸教会に書き送ったのでした。

今日の箇所である使徒15章は、どうやらその後のことなんです。生まれたばかりのガラテヤの諸教会で異邦人クリスチャンにも割礼を強要して教えた人々、彼らは「割礼派」と呼ばれるユダヤ人クリスチャンですが、その彼らがシリアのアンティオキアにもやってきた。そしてここでも、「モーセの慣習にしたがって割礼を受けなければ異邦人は救われない」と教え始めたというわけです。「パウロやバルナバと彼らの間に激しい対立と論争が生じた」のは当然のことでした。

信仰によって救われるのは当然であって、そこにプラスアルファするなんてあるはずがないと私たちは思います。同じ問題を何回も繰り返していて、初代教会の人たちは何も学んでいないように思えてしまう。でも、私たちにも同じようなことがあるんです。信仰義認について、ああだ、こうだと言うことはないかもしれません。でも、他の信仰者に対して「あなたも、私のようにこうあらねばならない」ということを強制してしまうことが、私たちにも結構あるんですよね。「そうでなければ救われていない」とまでは言わなくとも、クリスチャンとして劣っているなどというような考えを押し付けてはなりませんよね。私たちは「割礼派」の問題とは無縁のように思いがちなのですが、「自分たちと同じようになれ」という圧力は私たちの間にも容易に起こり得るのだということを忘れてはならないでしょう。

さて、2節後半、パウロとバルナバ、そのほかの何人かが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになりました。使徒というのはイエスさまから直接薫陶を受けた12弟子のこと。長老たちというのはエルサレム教会のリーダーたちで、その筆頭はイエスさまの実の弟にあたるヤコブです。

3節、彼らはアンティオキアの教会の人々に送り出され、地中海に沿ってフェニキア地方を通り、サマリアを経てエルサレムに向かいました。その行く道々で、彼らは異邦人の回心、異邦人の救いについて詳しく語り伝え、その知らせは喜びとなって広がっていきました。

<4節〜12節 エルサレム会議>
4節、エルサレムに着いたパウロとバルナバは、自分たちの正当性を訴えるというよりも、「神が」なさったことの証しをしました。これって大事なことですよね。自分がいかに正しいかではなく、神さまがなさったことを淡々と証しすればいい。パウロはこの福音をイエスさまから直接啓示され(ガラテヤ1:12)、またその通りに宣教旅行で福音が広がり始めていることを目の当たりにしてきたのですから、堂々と、淡々とそれを報告すればいいのです。

「証し」などと言うと大袈裟で緊張してしまうかもしれませんが、私たちも交わりの中で感謝のご報告という形で証しをすることができます。神さまがしてくださったことを報告すればいい。自分を立てるのではなく、神さまがしてくださったことを分かち合う。それが証しですね。

さて、ところが5節、もともとパリサイ派だった人々が、異邦人にも割礼を受けさせ、モーセの律法を守ることを命じるべきだと意見を述べます。先ほども言いましたが、この人たちはクリスチャンです。もともとユダヤ教パリサイ派の信仰を持っていたのが、イエス・キリストに出会ってクリスチャンになった人たちですね。パリサイ派というのは、ユダヤ教の中でも律法を重視する人たちですが、彼らはクリスチャンになったからと言って、パリサイ派の考え方を捨てたわけではないのです。ユダヤ人クリスチャンにはユダヤ教から離れた意識はなかったのです。エルサレム教会は「ユダヤ教ナザレ派」と呼ばれ、ユダヤ教の中に位置付けられていたので、彼らからしたら、異邦人にも割礼を求めるのは当然と言えば当然だったわけです。別に意地悪をしているわけではなくて、当然のこととして言っているわけですね。旧約聖書が証ししている救い主を信じるのであれば、当然割礼を受けてユダヤ人のようになるべきである、というわけです。時代の影響もありました。当時のユダヤ地方では、ローマ皇帝カリグラへの反発から民族主義が盛り上がっていたようです。ローマの国に対抗するため、教会でもユダヤ人の証である割礼をマストにするべきだ、我々はユダヤ人なのだからという考え方でした。そういう時代でもあった。

パウロやバルナバと、そして割礼派のユダヤ人クリスチャンたちの主張はこのように真っ向からぶつかりましたので、6節、使徒たちと長老たちはこの問題を協議するために集まりました。エルサレム会議と呼ばれます。7節によると、多くの論争があったようです。パウロやバルナバは、ユダヤ人が割礼を受けるのは文化だからいいけれども、異邦人クリスチャンにもそれを要求するのは違うと譲りませんでした。ユダヤ人だろうが、異邦人だろうが、人が救われるのは律法によるのではなく、イエス・キリストへの信仰によるのだと。そもそも、教会はユダヤ人だけのものではなく諸国民のものなのだと。だから、ユダヤ人のようになれなどというのは、これはナンセンスだということです。

多くの論争があった後に、7節、ペテロが立ち上がって発言しました。ペテロは、以前カイサリアで「異邦人とも食事の交わりをして良いし、信仰のことで両者の間に差別はない」ということを神さまから示され、またそのことをエルサレム教会に報告していました。そこで人々は「それでは神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ」と言って、神をほめたたえたのです(使徒11:18)。それなのに、エルサレム教会はまた同じことで堂々巡りしているわけですね。それくらいに根深い問題であったわけです。ペテロは10節で律法のことを「くびき」と表現しています。くびきというのは牛を二頭つなげて畑を耕す農具ですが、ペテロは律法のことを「私たちも、先祖たちも負いきれなかったくびき」だと表現しています。律法を守ることによっては誰も救われないのです(ローマ2:17-24、3:20)。救いは恵みによるのです。ユダヤ教は行いによる救いを説いているという誤解がありますが、本来はユダヤ教においても救いは恵みによるそうですね。11節「私たちは、主イエスの恵みによって救われると信じていますが、あの人たちも同じなのです。」以前、律法は神の民の生き方のガイドであり案内標識だということを学びましたが、律法を守ることは救いの条件ではないのです。本来、もともとユダヤ人にとってもそうだった。それなら、ましてや異邦人クリスチャンにもそうである。救いはイエス・キリストへの信仰によって与えられる。それはただただ、神の恵みなんだということです。ペテロはカイサリアで異邦人に聖霊が降るのを目撃しています。実はガラテヤ書を読むと、そんな彼でも割礼派の人の目を気にしてしまったことがあったようです。そのような経験を経て、ここではしっかりと恵みの福音を弁護することができました。これを聞いた全会衆は静かになり、続けてパウロとバルナバが話す内容に耳を傾けました。

<13節〜29節 会議の決定>
13節、イエスさまの弟のヤコブが発言しました。14節のシメオンというのはシモン、つまりペテロのことです。今ペテロが話したように、神さまが異邦人世界の中から神の民をお召しになったことは、預言者たちのことばとも一致している、と。そして、アモス書とイザヤ書を引用して、イスラエルが回復することと、異邦人が主を求めるようになることは聖書が語っていることなのだと確認します(アモス9:11-12、イザヤ45:21)。ペテロは聖霊の働きを証しし、ヤコブは聖書を確認しました。みことばと聖霊の両輪が大切ですね。

19節、ヤコブはエルサレム教会のリーダーとして決断します。神に立ち返る異邦人を悩ませてはいけない。つまり、割礼派が主張したように異邦人にも割礼を受けさせたり、律法を守ることを命じてはならないということです。それと同時に、ユダヤ人クリスチャンへの配慮も忘れませんでした。ユダヤ人クリスチャンが逆に悩んでしまわないように、ちょうど良い着地点を見つけることができました。

聖書が預言しており、聖霊が働かれて今実現していることについて、私たちはお互いに相手を悩ませる存在であってはならない。大切なことは、ユダヤ人も異邦人も、共にキリストのからだである教会を建て上げていくことである。そのために、ユダヤ人が異邦人に割礼を強要することがあってはならないし、逆に異邦人は、ユダヤ人が傷つくようなことをしてはならないということですね。「偶像に供えて汚れたもの」というのは、当時市場で売られている肉は、まず偶像に供えられたものだったわけです。異邦人世界ではよくあること、仕方のないことですが、ユダヤ人はそれに傷ついてしまう。今も、ユダヤ人は豚肉を食べない、イスラム教の人は豚肉を食べないということがあるわけですよね。相手の文化を尊重することは大切なことです。先日、ネットで見かけたニュースなのですが、ある日本の小学校にイスラム教の外国人生徒がいて、その女の子は暑い中ヒジャブをかぶって運動会に参加しており、熱中症で倒れてしまったというのです。命に関わるので、先生方でしょうか、大人がヒジャブを取って応急処置をしようとする時、クラスメートたちが背中合わせに輪を作って、その子を周りから隠したというのです。イスラム教の女性にとって、ヒジャブを取った姿を見られるということは恥ずかしいこと、辛いことです。クラスの子たちは、周りの人たちの視線から彼女を守るために、そして自分たちも彼女を見ることがないように、背中合わせに輪を作って彼女を守った。自発的に、自然発生的にそれは起こった。そして彼女は担架に乗せられて救護室へ向かったという動画でした。相手の文化を尊重する。これをすると相手が傷つくということは避ける。外国の人を慮るという話だけではなく、これは生活のあらゆるところで必要とされる知恵であり、愛ですね。

20節に戻りますが、他にも「淫らな行い」というのは、ギリシア・ローマ世界では当たり前のように行われていた不倫とか売買春のことです。キリスト者となったのなら、当然、神さまが喜ばれる性のあり方を求めていくべきです。異邦人世界ではよくあることという理由で、自分たちもそれに流されてしまうことがないように。また、「締め殺したものと血」というのは、ユダヤ人の食物規定に関係します。ユダヤ人は律法の規定により、完全に血抜きした肉しか食べなかったので、そのことですね。先ほどの市場で売られているものと同様に、これらも異邦人世界ではよくあることというか、仕方のないことです。でも、ユダヤ人を傷つけないために、血抜きをしていない肉は避けなさいということですね。21節、町ごとにユダヤ教の会堂があって、ユダヤ人たちがモーセの律法を守って生活しています。彼らが傷つかないように、混乱が生じないようにしてくださいということです。

22節以降は少し端折りますが、エルサレム教会はヤコブの提案を受け入れ、ユダとシラスという二人を選んでアンティオキア教会への手紙を託しました。注目すべきは28節です。「聖霊と私たちは」とあります。この会議の決定が聖書のみことばにも、聖霊の出来事にも合致していることから、これは神さまの導きの中で進められたことであり、聖霊と私たちによる決定なのだという確信が彼らにはあったということです。そして、先ほど読んだ通り、ヤコブが提案したことを述べて、最後に29節で「祝福を祈ります」と手紙を閉じています。ここは以前の翻訳では「以上」でした。「以上です」だけだと事務的な感じがしますが、別れの挨拶のニュアンスがある箇所なので、「祝福を祈ります」というのは良い翻訳だと思います。

その後、アンティオキアにてその手紙は喜ばれ、ユダやシラスともよい交わりが与えられたこと、パウロやバルナバもますます福音を宣べ伝えたというところで今日の箇所は終わります。

<まとめ>
エルサレム会議やガラテヤ書のことでは、信仰だけで救われるのか、それともそこにプラスアルファするのかという問題がまず注目されます。これはもちろん、大事な問題です。私たちは神さまの恵みにより、イエスさまを信じる信仰によって救われます。ここがずれてはなりません。自分自身も、またあの人も、この人も、そうやって救われたのです。

同時に、ここから私たちが読み取れるのは、自分たちと同じようにならなければならないというプレッシャーを相手に与えていくことの愚かさです。当時、ユダヤ地方では皇帝カリグラの圧政に反対して、反ローマというスローガンでユダヤ人が一致していく状況があったということに触れましたが、今の時代の私たちも気をつけなければいけません。行き過ぎたグローバル社会と、その反面の自国中心主義が問題になっている時代です。自分たちの正しさ、自分たちの利益のために、自分たちだけで集まり、他の国の人を排除してしまうことが容易に起こります。特に、割礼派のクリスチャンと異邦人クリスチャンという、同じクリスチャン同士でも繰り返しそれが起こったように、私たちは教会という場所では、いよいよ愛と知恵が必要です。それが教会の歩みなんです。私たちの罪は根深いので、何度も同じことを繰り返してしまいます。でも、その度にあきらめずに語り合ったパウロの姿を思い起こしましょう。そしてエルサレムの教会が愛のある着地点を見出すことができたことを思い返しましょう。キリストのからだである教会が愛に満ちているなら、その様子は社会の中で証しになると主は言われました(ヨハネ13:35)。そのような教会を目指して、私たちも成長させられていこうではありませんか。一人一人が、そしてこの教会が、神の宮としてますます成長させられていきましょう。

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【8/27】

使徒14:19〜28

「恵みによる旅」

パウロとバルナバの第一次宣教旅行の締め括りです。リステラの町では、神々に仕立て上げられ礼拝されそうになる出来事がありました。二人は人々の中に飛び込んでいって神の恵みをわかりやすく説明し、なんとかそれを止めさせたというところまでを見ました。今日はその続きです。

 

<19節 追いかけてきた人々>

なんと、その場にピシディアのアンティオキアとイコニオムのユダヤ人たちが二人を追いかけてやって来ました。これらの町は、パウロたちがリステラに来る前に回ってきたところで、クリスチャンたちが誕生してきた町ですが、どの町でもユダヤ人たちが彼らに対して大きな反対運動、騒ぎを起こしていたのでした。特にイコニオンのユダヤ人たちは二人を石打にしようと企てていたのです。パウロとバルナバはリステラのあるリカオニア地方に難を避けたのですが、なんとそこまで追いかけてきたというわけですね。

 

信じようとしないユダヤ人たちがパウロとバルナバを毛嫌いした理由については、以前にも整理しました。彼らは「自分たちのように食物規定などの律法を守ることで、神との関係が正しい、つまり義と認められる」と考えていたからです。真理を求めて聖書を読みにやってきた異邦人たちに向けて、ユダヤ人のようにならなければ義とは認められないと言っていたわけですね。しかし、パウロは「人が義と認められるのは律法の行いによるのではない、イエス・キリストへの信仰によるのだ」と説きました。ユダヤ人のようにならなくても、イエス・キリストへの信仰によって、ギリシア人ならギリシア人としてそのままのあなたで救われるのだということです。異邦人と比べて自分たちの方が優位だと思っていたユダヤ人たちには、これは受け入れがたいことでした。また、彼らにとっては、神を求めて会堂にやってくる異邦人たちは、多額の献金をしてくれるいわばパトロンでもあったので、彼らがユダヤ教の会堂から離れてしまうと困る、そのような事情もありました。そして、ここまで追いかけてきた。なんという執念でしょう。私たちにも、似たようなところがないでしょうか。自分の立場を守るために、とことんまで相手を追い詰めようとするのは罪人の性質なんでしょうね。

 

彼らはリステラの群衆を抱き込み、騒ぎを大きくしてパウロを石打ちにしました。パウロ とバルナバを、ゼウスだヘルメスだと礼拝しようとしていたリステラの群衆は、そのままパウロ に石を投げる人々に変わりました。群衆の集団心理というのは恐ろしいものです。これが正しいことなのか、良いことなのかということを考えず、みんなやっているからという理由でそのまま流されていくわけですよね。群衆の暴力は恐ろしいです。きっとこの中には、ふと正気に返って、あれ、これっておかしくないか?と思った人もいたと思うんです。でも、もう誰も反対しない。反対できない状況になってしまいました。

 

かつてエルサレムでステパノが死んだ時のように、彼らはパウロに石を投げ続けました。パウロは重傷を負って意識を失ってしまいます。彼らは、パウロが死んだものと思って町の外に引きずり出しました。

 

<立ち上がったパウロ>
後にパウロはこの時のことを振り返っています。自分が経験してきた苦難の中の一つとして「石で打たれたことが一度」と第二コリント11:25にあります。ユダヤ人の石打ちは、対象者が絶命するまで続けられるものなので、「一度、石打ちにあったことがある」というのは、これは大変なことです。このほかにも、鞭打ちの刑にあったこと、船が難破して海を漂ったこと、ユダヤ人から受ける迫害、異邦人から受ける迫害、飢えや渇きなどが記された後に、パウロはこのように書いています。「だれかが弱くなっているときに、私は弱くならないでしょうか。だれかがつまずいていて、私は心が激しく痛まないでしょうか。」つまり、私も他の人同様、弱くなるし、激しく痛むんだと言うことです。彼は万能選手、スーパースターじゃない。人並みに弱くもなるし、心が激しく痛むこともある、いや、痛んでばかりだったわけですね。

しかし、パウロは立ち上がりました。20節「弟子たちがパウロを囲んでいると」、弟子たちとは、リステラで生まれたばかりの教会のことです。彼らがパウロを取り囲んで祈っていると、パウロが息を吹き返しました。そして立ち上がったのです。ここは「復活した」という意味の単語が使われています。神さまには、パウロに任せていることがまだまだおありだったということです。まさに復活した、立ち上がったパウロはそのまま町に入っていきました。自分に石を投げた人たちのところへ行くなど、普通に考えれば正気の沙汰ではありません。しかし、彼は戻っていったんですね。使徒の働きを書いたルカが、福音書の方にイエスさまの次のようなことばを残しています。「からだを殺しても、その後はもう何もできない者たちを恐れてはいけません。」(ルカ12:4)これは、危険を回避してはいけないということではありません。パウロだってイコニオンで身の危険を感じてそこを去ったわけですよね。危険を回避することは大切なことです。でも、彼らを恐れる必要はない。律法が「してはならない」という時、それは「する必要がない」という意味だと先週学びましたが、ここもそう理解できます。私たちは、からだを殺しても、その後はもう何もできない者たちを恐れる必要はないのです。

パウロが群衆を恐れずに再び町に入って行ったのは、何のためだったのでしょうか。人々に対して、イエス・キリストの福音の力強さを証明するためだったのか。でも、だとしたらそここそが重要な場面だったでしょうに、ルカはそこは記していません。何にせよ、パウロは人々を恐れていなかったということです。パウロとは困難のレベルが違っても、私たちもそこから去るのか、それとも困難の中にまた行くのかを選択しなければならない場面がありますよね。どちらを選んでもいい。ただ、離れるにしても、留まるにしても、困難を恐れる必要はない。敵を恐れる必要はない。イエスさまはこう言っておられます。「世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」(ヨハネ16:33)

パウロとバルナバは、翌日にはリステラを出発し、デルベに向かいます。そして、そこで福音を宣べ伝え、多くの人々をキリストの弟子としてから、またリステラへ、またなんとイコニオンやアンティオキアにも引き返していきます。そして、それぞれの町で生まれたばかりの教会を励まして回りました。いろんな事件がありましたが、それぞれのところで神さまはキリストの弟子を増やしてくださいました。彼らの心を強め、信仰にしっかりとどまるように勧めて回ったのです。パウロとバルナバの宣教旅行は、みことばを語りっぱなし、福音を伝えっぱなしではなく、励まして回る旅でもあったのですね。

<22節b 神の国に入るため>
さて、22節の後半に気になる表現があります。「私たちは、神の国に入るために、多くの苦しみを経なければならない」というパウロのことばです。これは「多くの苦しみを経なければ神の国に入ることができない」という意味ではありません。多く苦しむことが神の国への入国条件なのではないのです。歯を食いしばって我慢しろという根性論が言われているのではありません。

「神の国」とは天の国のことですが、死んでから行く「あの世」のことを言っているのではありません。ここで言われていることは、「この世で多くの苦しみを経ないと、あの世で天国に行けない」ということではないんです。

人が死んでからイエスさまの御もとに行くという意味での天国については聖書はあまり語っていなくて(もちろん明記はされています、ピリピ1:23)、それよりも、聖書は神の国を「行くところではなく、来るもの」としています(主の祈りでも「御国を来らせたまえ」と祈ります)。神の国とはこの地に実現していくもの。神の支配が広がることです。ただキリスト教の考え方や価値観が広がるというだけでなく、福音によって生まれ変わる生き方が証しされ、イエス・キリストを王として生きる人々が、地を管理していくんです。そこに神の国が広がっていくんですね。それは最終的にはイエスさまの再臨で完成します。

パウロが「神の国に【入る】」という表現を使ったのは、私たちが神の国の広がりに参加するという意味でしょう。今、この時も広がり続けている神の国に参加する。その意味では、神の国に「入る」のです。

問題は「多くの苦しみを経なければ」という表現です。先ほども言ったように、苦しむことが神の国への入国条件なわけではありません。そうではなくて、この地に、ここに神の国が実現し、広がるためには、私たちは多くの苦しみに会うということです。この地は、この社会は、福音を受け入れないので、私たち神の国の民は苦しみに会うのだということです。

それほどに、神の国の生き方は、この世の生き方とは正反対だからですね。先週、「律法」についての学びをしました。有名な十戒は「〜してはならない」ではなく「あなたは〜する必要がない」という意味であることを学びました。「あなたは、わたしの他に神があってはならない」「神を造ってはならない」とあるのは、まことの神さまがおられるのだから、あなたは自分の思い通りになる神をわざわざ造る必要はないということです。でも、この世の中は違うんです。物事を、いや、神を自分の思い通りにしようとする。むしろ、自分が神になろうとする。でも、神の国の生き方は違います。私たちは神さまの恵みを思い起こします。その際たるものは十字架と復活です。そして、主が良くしてくださったことを数えて、この方を信頼していくんです。だから、真っ向からぶつかってしまうのです。苦しみや迫害は避けられない。今この地に神の国が広がっていくとき、私たちは苦しみに会うことは避けられない。

ただ、神さまはそれらの苦しみが起こることをただ「許可」なさったのではなく、それらは「神さまが一緒にいてくださるからこそ起こる」ということを、忘れずにいましょう。「癒されない苦しみ」ということを扱ったときに触れましたが、何事も、父なる神が伴ってくださることなしには起こらないのです(マタイ10:29)。私たちは、この地上においては確かに艱難があります。しかし、「勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました」と言われるお方がおられます(ヨハネ16:33)。

<23節 教会を主に委ねる>
パウロは、自分がいなくても大丈夫なように、教会を整えていきます。具体的には教会ごとに長老、リーダーを選んだのです。教会と言っても人の集まりなので、治める人が必要になります。もっとも、自分の思い通りに強引に運営するリーダーではなく、人々に仕えるしもべとしてのリーダー、「サーバントリーダー」であることが大切です。教会はキリストのからだであり、みなそれぞれに役割があります(Ⅰコリント12:25-27)。リーダーに限らず、みなに「仕え合う」姿勢が大切です。パウロとバルナバは長老たちを選び、断食して、つまりそのことだけのために集中して祈って主におゆだねしたのでした。

また、この箇所のポイントは「パウロがいなくなっても大丈夫なように」ということでしょう。信仰は個人で守っていくものではないので、パウロがいなくなってからは各自がそれぞれで、というわけにはいかないんですよね。

今月の月報にも書かせていただきましたが、関西集会をどのように整えていくか、ということを意識して、祈り、考えていきましょう。今年の久遠キリスト教会の年間テーマは「神の宮を整えよう」でした。一人一人が神の宮として整えられていくのと同時に、教会が整えられていくことが大切です。

教会というのは牧師のワンマンプレイで成り立つものではありませんので、私がコロナだなんだということで来られない時にどうするか。これは一つの課題だと思います。今はスマートフォンで阿佐ヶ谷のメッセージ聞くこともできます。すでに利用している方もおられますが、使ってみたことがないという方もおられるでしょう。一度、みんなで練習してみてもいいですよね。また、スマホでメッセージを聞くことにこだわらず、聖書箇所を決めてそれをみなで読んで分かち合うということでもいい。そういった経験をする機会もなかなかないと思うので、そのような礼拝プログラムの日があってもいいのかもしれませんね。

誤解しないでいただきたいのですが、すでに、みなさんは多くのことをしてくださっています。これは以前も話したことですが、プロジェクターの操作をしてくださる方、礼拝後の後片付けをしてくださる方、何よりも大切なのは、礼拝者としてここに集う、みことばを聞く、それも大切な役割だということです。そのために時間も、体力も、お金も犠牲にしてここに集っておられるお一人お一人であることを思います。私は私の役割を果たしますが、同時に、もしかしたら今後、みなさんにお願いすることがあるかと思います。無理のない範囲で、無理をしたら元も子もありませんので、ご協力いただければ感謝ですし、申し出ていただければと思います。これからも、みなで助け合って、この教会を形作っていこう、神の宮を整えていこうではありませんか。

<24節〜28節>
さて、パウロとバルナバはいよいよ帰路に着きます。アンティオキアのあるピシディア地方から、地中海に面したパンフィリアへ、来た時と逆のコースを辿ります。以前も紹介しましたが、こんな道を歩きながら、この旅で神さまがしてくださったことを語り合っていたと思います(画像)。最後はペルガでみことばを語ります。ペルガはキプロス島から海を渡ってやってきた時、最初に訪れた町です。しかし、ここではみことばを語ったという記録はありませんでした(13:13-14)。心残りというか、ずっと気にかかっていたのかもしれませんね。そして、少し西のアタリアへ移動して、そこから船に乗ってアンティオキアに帰りました。そこは、彼らを送り出してくれた教会のあるところです(26節)。多くの苦難を経験しましたけれども、この働きは神の恵みにゆだねられて、送り出されて始まったものでした。この旅には苦難も多かったですが、それ以上に神さまの恵みが溢れていました。彼らは、主の良くしてくださったことを忘れず、つまり一つ一つ数え上げるようにして帰ってきました。そして、それを報告した。分かち合いました。自分たちを送り出してくれた教会の人々に、神が自分たちとともに行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告したのです(27節)。「神が」なさったこと。自分たちの働きの成果ではなく、神さまがしてくださったことの報告です。

教会が支援する働きがあり、また働き人たちがその報告をする。そこでは福音の広がり、神の国の広がりを知ることができ、神に感謝を捧げることができるわけですね。例えば、私たちは九州キリスト災害支援センターやワールド・ビジョンの働きのために献金しています。私たちは被災地に行って、そこでイエスさまの香りを放つことはできません。でも、教会に送り出されて、教会の支援を受けて、そこに出かけていく人たちがいる。そこで「キリストさん」と呼ばれながら、人々に仕える人たちがいる。そこでの様子を、私たちは映像や書籍、ニュースレターなどで知り、感謝することができます。これも大切なことです。

教会が神さまにおゆだねして送り出す人がいて、神さまにゆだねられて送り出される人がいて、その人がまたその行った先でリーダーを立てて神さまにゆだねてくる。彼らの旅は「神さまの恵みにゆだね、ゆだねられる」という旅だったということができるでしょう。22節で彼らは神の国の広がりに参加する、参画することについて触れました。まさに宣教旅行とは神の国をそこかしこに広げていく旅だったと言えますが、そのすべてが神の恵みによるものだった。彼らの能力とか、熱心ではなく、すべては神さまの恵みによるものだったということが26節には強く滲み出ているように思います。

私たちの人生の旅もまた、神さまの恵みに満ちています。困難も、危険もたくさんありますが、その度に私たちは「復活」を経験し、立ち上がることができます。そうやって今日まで守られてきたことを感謝し、今日からの歩みをまた、主におゆだねしていきましょう。

28節、その後、彼らはしばらくシリアのアンティオキアに滞在しました。第一次宣教旅行の終了です。彼らはまた旅に出ていくことになりますが、その前に15章で大きな出来事が起こります。引き続き、使徒の働きを読み進めていきましょう。

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【8/20】

使徒14:11〜18

「恵みを証しする」


パウロとバルナバはリステラの町で、生まれつき足の不自由な人を癒しました。これは14:3にもあったように、主ご自身が彼らを用いて証しをされたということでしょう。主が彼らの手に奇跡をおこなわせたのですね。

 

先週は、ここで触れられている「癒されるにふさわしい信仰」について触れました。癒しとは信仰深い人に与えられる勲章ではありません。パウロが癒されなかったことがいい例です。私たちは癒されることを通しても、そして癒されないことを通しても、神さまの栄光を表すことができる。私たちの苦しみは神さまの「許可」によって起こるのではなく、神さまが伴っていてくださるから起こるのです。それを踏まえて、癒しを求めて祈ることを大切にしたい、また、癒されないことを通して私自身の弱さが用いられることも忘れずにいたいと思います。

 

さて、この人が癒されたことで騒ぎが起こりました。今日はその様子を見ていきます。

 

<11節〜13節 群衆の勘違い>
11節〜12節「群衆はパウロが行ったことを見て、声を張り上げ、リカオニア語で『神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになった』と言った。そして、バルナバをゼウスと呼び、パウロがおもに話す人だったことから、パウロをヘルメスと呼んだ。」

生まれつき足が不自由で歩いたことのない人が、飛び上がって歩き出すなど、普通なら考えられない奇跡です。驚くべき神のみわざを目撃して、彼らは現地の言葉で「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになった」と言い出したのでした。

ゼウスもヘルメスもギリシア神話に登場する神々です。ゼウスは最高神、ヘルメスはその息子であり、伝令の役割を持っていました。実は、この二人に関する言い伝えというのがありました。ある時、ゼウスとヘルメスが旅人の姿でやってきたのですが、村人たちは冷たくあしらってしまいます。しかし、ただ一軒だけ、彼らを温かくもてなした夫婦がいたと。ゼウスとヘルメスはこの二人を山の上に連れていき、村は湖に沈められてしまったという内容の言い伝えでした。リステラの人々はこれを教訓としていて、次に神々が訪れた時には、盛大にもてなすという意識があったのでしょう。パウロとバルナバを見て、ゼウスとヘルメスの再来だと勘違いしたわけですね。

13節、この町にはゼウスの神殿がありました。そこの祭司が、雄牛数頭と花輪を門のところに持ってきて、群衆と一緒にいけにえをささげようとしました。彼らはリカオニア語で叫んでいましたので、ここまでパウロとバルナバは何が起こっているのか分かっていなかったと思います。しかし、ゼウス神殿の祭司がいけにえを持ってきたことで、今何が起きているのか、彼らにもわかりました。パウロとバルナバは神に祭り上げられそうになっているのです。唯一まことの神を宣べ伝えている彼らにとって、自分たちが神として扱われることほど苦しいことはなかったでしょう。唯一まことの神にされそうなわけではなく、彼らにとっては異教の偶像ではありましたが、それでも「神格化」自体が苦痛でした。異教のものであっても、自分が礼拝の対象になるのですから。

十戒に明らかにあるように、「あなたがたには、わたしの他に神があってはならない」「あなたがたは偶像を造ってはならない」これらは信仰の土台ともいえるところですから、パウロとバルナバは焦ったと思います。

<14節〜15節 神格化への違和感>
パウロとバルナバは衣を裂いて群衆の中に飛び込んで行きました。衣を裂くことは大きな悲しみを表す行為です。自分が神とされることは、彼らには大きな悲しみでした。彼らは叫びました。15節「皆さん、どうしてこんなことをするのですか。私たちもあなたがたと同じ人間です。」

「神格化」への違和感と言えば、靖国神社の問題がありますね。戦争で命を落とした軍人たちを「英霊」として、いわば神として祀っているわけですが、クリスチャンだった父親が勝手に祀られているのを取り消してくれ、という訴訟をカトリックの神父の方が起こしています。当時、靖国神社にまとめて祀ってしまった経緯があったようです。この方だけでなく、自分の愛する家族が勝手に祀られ、神格化されているというケースは結構あるようです。

一般的な日本人の感覚から言えば、この国を守るために死んだ人を悼み、記念してお参りすることの何が悪いのかということになるのだと思いますが、それなら、千鳥ヶ淵戦没者墓苑があるわけですよね。靖国神社は、死んだらここで祀ってもらえるから安心して死ねというために作られたものという指摘からは逃れられないでしょう。そこで神として祀られる、神格化されるということは、私たちにとっては二重の痛みですね。自分が礼拝の対象となるというだけでなく、私たちにとっては偶像礼拝ということになりますので、いわば自分が偶像として礼拝されてしまうということだからです。

戦中、国家神道は宗教ではなく文化であると言われ、靖国神社はその筆頭でした。日本のキリスト者は、そういう時代のことを忘れてはならないし、これからまた世の中がそのような風潮にならないようによく見張っていく必要があるでしょう。日本は宗教に寛容だと言われる時がありますが、そんなことはないのです。これは文化だからというプレッシャーがいつでも起こりうる。私たち少数派はそのことをよく知っているはずです。時代と世の中をよく見ておかなければなりません。戦争のことを思い起こす季節に、私たちはこのこともまた胸に刻みましょう。

もっとも、それはそういう社会と自分を分離させる、切り離すためではありません。そのような社会のために祈ること。そのような社会のただ中で、地の塩として、世の光として生きることが大事だからです。ここはぶれてはならないところです。

<15節b〜17節 創造主を知らせる>
パウロとバルナバもそうでした。彼らはこのピンチを上手に用いました。自分たちの信仰を理由にして、リステラの人たちとは付き合えないと距離を置いたのではない。むしろ、このことをきっかけにして、彼らの中に飛び込んで行きました。

 

そして、彼らにもわかる表現で福音を伝えていったのです。ここでパウロとバルナバは、旧約聖書を引用してとか、イエス・キリストの十字架と復活とか、今まで話してきたような内容のことは話していません。相手はユダヤ人ではありませんし、ユダヤ教の会堂に集まるような、聖書に興味のある異邦人でもないのです。旧約聖書の知識という前提がない人たちに、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造られた生ける神がおられるというところに焦点を合わせて話をしていきました。

すべてのものを造られた神がおられる。これは福音の大前提ですよね。その神に立ち返りなさいということは、つまり、人はその神から離れているということです。旧約聖書直接の引用ではありませんが、創世記の一章から三章を凝縮したようなメッセージになっています。

16節「神は、過ぎ去った時代には(つまり、これまでは)、あらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むままにしておられました。」つまり、ユダヤ人に聖書が与えられ、救い主誕生の約束が受け継がれていった間の、他の国の人々のことですね。神さまは何も、ユダヤ人以外の人々のことは何も考えておられなかったわけではない。神さまはやがて救いの福音を世界中に広げるおつもりでした。最初から。異邦人にも救いが広がっていくというテーマは、旧約聖書のあちこちにすでに見られます。

しかし、今や、キリストが来られ、その福音は世界中に広げられていくようになったわけですね。パウロとバルナバはそのために旅をしているわけです。

17節、とは言え、これまでも神さまは自然を通して、季節の移り変わりを通して、食物と喜びを通して、ご自身のことを証ししておられたのですよ。あなたがたもそれは見てきた、経験してきたはずです、ということですね。

聖書のことを「特別啓示」と言います。そしてこの世界で起こることを「一般啓示」といいます。どちらも大切です。福音を語るときに特別啓示、つまり聖書が大切なのは当たり前ですが、もっと一般啓示も大胆に語っていっていいのでしょうね。たまに話すことですが、ヘブル語でことば、みことばをあらわすのは「ダーバール」という単語です。これには「出来事」という意味もあるのです。聖書の記述だけでなく、この世界、神さまが造られたこの世界で起こるあらゆることを用いて福音を証しすることができます。

そのためには、先ほども言いましたが、世の中との間に壁を作ってはなりません。信仰を理由に分離させていくのではなく、信仰を持つからこそ、社会のただ中で、地の塩として、世の光としてそこに飛び込んで行きたいですね。主は必ずや、私たちをそのように導いてくださいます。

18節、二人は、群衆が自分たちにいけにえを捧げるのを、かろうじてやめさせることができました。一般啓示をもとに話した内容が、相手に届いたのでしょうね。それにしても、これほどの騒ぎを収めることができたのは、神さまの助けなしにはできなかったでしょう。ここでは数行で書かれていますが、これは大変なことです。神さまの守りと助けがありました。

 

<神の恵みを思い起こそう>
最後に、17節でパウロが語った神の恵みについて、思い巡らせたいと思います。私たちも多くの恵みを神さまから受け取っていますね。移りゆく季節の美しさ。最近は春とか秋が短くなってきているように思いますが、地球が悲鳴を上げているのでしょう。環境保全のために私たちにできることはないでしょうか。ここに「食物」ということばがあるのも嬉しいなぁ、と思います。食べ物をおいしいと感じ、心が満たされるということは神さまからの恵みなのです。

 

これまでの人生を振り返ってみて、感謝できることはなんでしょう。詩篇の作者は歌いました。「わがたましいよ 主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(詩篇103:2)その恵みの話を、証ししてみませんか。その話は、あなたにしか語ることのできないストーリーです。人が聞きたいのって、聖書のあれこれというよりも、あなたがどのように神さまと出会ったのか、神さまはあなたにどのようにしてくださったのかということ。そして今あなたは神さまとどのように生きているのかということなんですよね。神の恵みを証しすることは、力強い福音の宣教です。あなたにしかできないことなんです。私たちがそれを語るとき、そこには神さまの助けがあります。そうやって福音は、神の国は、少し、また少しと広がっていくのです。

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【8/13】

使徒14:8〜10

「神の癒し」

パウロとバルナバの第一次宣教旅行の最後のあたりを読んでいます。彼らはイコニオンの町で大きな反対に会いましたが、神さまご自身がパウロとバルナバの手によってしるしと不思議なわざ(つまり証しとしての奇跡)を行わせ、神さまご自身がそのみことばの証しをなさいました。信じる人と信じない人の分断という悲しい現実にも直面しつつ、パウロとバルナバはいのちを狙われるようになったので次の町に移動したのです。今日は移った先のリステラでの出来事です。

<8節〜10節 足の不自由な人>
リステラの町にはユダヤ人の会堂はなかったようです。今まで必ず記されていたユダヤ人の会堂のことが、ここでは触れられていません。当たり前の話ですが、旅はいつも同じとは限らない。私たちも同じですよね。いつも同じ方法で日々の生活を立ち回ることなどできません。その時、その時、臨機応変さが求められます。

さて、この町に生まれつき足が動かず、これまで一度も歩いたことないという人が座っていました。おそらく大通りの、目立つ場所で物乞いをしていたのだと思います。そして、そこにやってきたパウロの話すことに耳を傾けていました。

ここで奇跡が起きます。9節後半〜10節「パウロは彼をじっと見つめ、癒されるにふさわしい信仰があるのを見て、大声で『自分の足で、まっすぐに立ちなさい』と言った。すると彼は飛び上がり、歩き出した。」

<癒されるにふさわしい信仰とは>
「癒されるにふさわしい信仰」とは何でしょう。彼にはそれほどの立派な信仰があったということでしょうか。まず言えることは、癒しの奇跡を受ける、癒されるというのは、信仰の深さによって与えられる勲章のようなものではないということです。それは、パウロほどの信仰者が癒されなかったことからも明らかです。彼はおそらく目に疾患があって、それを取り去ってください、癒してくださいと三度も神に祈ったとあります。三度というのは完全数ですから、つまり祈りに祈り抜いたということでしょう。しかし、パウロが癒されることはありませんでした(Ⅱコリント12:7-9)。

今日の箇所で「癒される」とあるのは、脚注にも載っていますが「救われる」という意味のことばです。救われることと、癒されることは同じだということです。この人は初めてイエスさまの話を聞いて、その場で信じたんですね。喜びで顔が輝いたのでしょうか、側でみていても彼が救われたことが分かったパウロは、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい。」と言ったのです。イエスさまを信じて救われたのだから、癒されるのだということです。救いとは、自分の過ちが赦されて心の中が平安で満たされるだけのことじゃないんです。身体のこと、健康のこと、その人に関わるすべてが新しくされるんですね。だからパウロは、この人がイエスさまを信じているのを見て、救われなさい、癒されなさいと大声で宣言したのです。

ただ、このように聞くと、「では、私の苦しみは、私の病は癒されないのか。」と思われると思います。当然です。私たちは病を抱えていますし、身体にも心にも傷を負っています。そして、イエスさまを信じて救われたはずなのに、その痛みは消えていないからです。

でも。救いというものが身体にも及ぶというのなら、私は救われていないんじゃないかなんて、絶対にそんなことはありません。そんなふうに絶対思わないでください。先ほども触れたパウロがいい例です。この時、リステラの男の人に「自分の足で、まっすぐに立ちなさい。」と言いながら、自分のこともまた彼は祈り続けていたはずです。そして、リステラの人は癒されましたが、彼は相変わらず癒されなかった。

パウロの病が癒されないことには、神さまの意図がありました。「あなたの弱さのうちに、わたしの力が完全に現れるためだ」と、主はパウロに言われました。先程紹介した第二コリントに書いてあります。パウロは癒されないことが御心だったというよりも、パウロが癒されないことで、そこに神の力が現れることが御心だったのです。

同様に、リステラの男の人は癒されました。そこにも神さまの意図がありました。彼が癒されたことで、ここから続く出来事が起こり、その結果、この町にも主イエスを信じる人が起こされていったのです。癒されるか、癒されないかは優劣じゃない。勲章じゃない。どちらにせよ、神さまのご計画がある。神さまのご意思によるんですよね。

<神の栄光が現れるため>
ヨハネ9:1〜7に、イエスさまと弟子たちが、生まれつき目の見えない人を見かけた時のことが記されています。当時は、病や障がいは誰かが罪を犯した結果だと思われていたので、弟子たちはこのように尋ねます。「先生。この人が盲目で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。両親ですか。」するとイエスさまはこう答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。」そして、その人を癒されました。その人は見えるようになったのです。癒し主である神の素晴らしさ、神の栄光が現れるための病であり、障がいであった。イエスさまが癒してくださるという奇跡と、それを見て多くの人が神を信じるということのために、この人は盲目に生まれついた。別の言い方をすれば、この人は、神さまの癒しのみわざを体験するべく選ばれた存在だったということになります。ずっと目が見えなくてここまで来るということ、そしてそれが癒されるということは、この人にしか出来ない、この人の使命でありました。癒されることを通して神の栄光を表す。それがこの人の使命だった。

逆に、癒されないということを通して神の栄光を表した人がいます。パウロです。先程の第二コリントをもう一度お読みします。Ⅱコリント12:7〜10「その啓示のすばらしさのため高慢にならないように、私は肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高慢にならないように、私を打つためのサタンの使いです。この使いについて、私から去らせてくださるようにと、私は三度、主に願いました。しかし主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである』と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」

先ほども言ったように、癒されることと、癒されないことの間に信仰の優劣はありません。どちらかが優れた信仰者だということはありません。大切なことは、癒されるにしても、癒されないにしても、そのことを通して、あなたを通して、神さまの素晴らしさが、神さまの栄光があらわされることです。

<父なる神の許しなしには>
癒されるにしても、癒されないにしても、それは神さまのご意思によるものであり、神の栄光が表されていくことが大切と言いました。もう一つ考えたいことは、その「神さまの意思」についてです。栄光を表すためというのは、つまり私たちが苦しみに会うことを、神さまは許可されたということでしょうか。

マタイ10:29にこうあります。「 二羽の雀は一アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。」神殿でいけにえを捧げる際に、羊や牛を買うことができない貧しい人は、雀などの鳥を買いました。それらはとても安く売られていた。一アサリオンはローマ世界で一番安い貨幣です。今日の日本で言えば、一円玉ひとつ。雀とはそういう鳥でした。そんな雀の一羽さえ、父なる神の許しなしに地に落ちることはない、つまり父なる神の赦しなしに死ぬことはないというわけですが、ここの箇所から、この世界で起こることは、悲しいこともすべて、父なる神の許し、許可があって起こっていると言われることがあります。先程の話で言えば、病気も、怪我も、心の傷も、すべて神さまの許可があったんだと。神さまのGOサインがあったのだという理解です。ある意味ではそうだと思います。神さまはこの世界のあらゆることを支配しておられる。しかし、このマタイのこの箇所に関して言えば、ギリシア語の原文には「許し(許可)」という単語は本来ないのです。「父なる神なしには」という文章です。

「許し」とか「許可」ということばが入ってしまうと、神さまが高いところから指図して許可して決まるというニュアンスに聞こえてしまいます。しかし、そうではなくて、「父なる神が共にいてくださることなしには、何事も起こらない」のです。神さまは、私たちの病、私たちの痛みに伴っていてくださる。共にいてくださる。高みの見物をしておられるのではなく、天高いところからGOサインを出すのではなくて、寄り添っていてくださる。そのことが大切です。私たちの神は、インマヌエル(「神は私たちと共におられる」)の神なのです。

だから、癒されていないからといって、ご自分の信仰を卑下なさらないでください。癒しを体験していないからと言って、自分の信仰が足りないからだなんて思わないでください。あなたは神の子とされた、掛け替えのない存在です。イエス・キリストの十字架の血潮によって贖われている、救われているんです。あなたの病、あなたの痛み、そこには主が共におられることを忘れないでください。主は天から指図して、許可を与えてあなたに病を与えられたのではない。自ら地に降りて、私たちの苦しみを共に担ってくださっています。

そのように神さまはわかってくださるんですから、大胆に癒しを願って祈っていきましょう。「パウロも癒されなかったから」ということを理由にして、自分は願わない、祈らないということではもったいないです。あのパウロのことばは、祈り抜いた先で体験することです。私たちは、今は大胆に癒しを祈っていきましょう。

神さまのご計画、神さまの意図がそこにあるなら癒されます。もしくは、癒されないことで神さまの栄光が表されるなら、そのためにあなたの弱さはそのまま用いられます。どちらにせよ、私たちの父がそこに伴っていてくださることを、忘れないでいてください。

<Power of Your Love>
前奏でも聴きましたが、パワーオブユアラブというワーシップソングがあります。もともと英語の曲ですけれども、二つの日本語訳が有名です。一つは「我が弱さ取り去りたまえ 力強いあなたの愛で」と歌います。もともとの英語の歌詞は
Lord, I've come to know
The weaknesses I see in me
Will be stripped away
By the power of Your love
なので、翻訳としてはより正確だと思います。

しかし、もう一つ別の翻訳歌詞があって、「この弱さも御手に委ねれば 誇りとなる あなたの愛で」と歌うんです。この二つ目の訳は、翻訳としては正確ではなくて意訳だと思いますが、でもここには第二コリントのパウロの信仰告白が反映されています。どっちの歌詞がいいという話ではなくて、私たちは自分の弱さ、自分の病、ボロボロに痛んだこの自分自身を、神さまにお委ねしていきたい。先程、大胆に癒しを求めて祈りましょうと言ったことと矛盾してしまうのですが、癒しを求めるということが、「癒されないといけない」「癒されない私は信仰が足りない」というプレッシャーになるようなら本末転倒なんですよね。

繰り返しますが、癒されるにしても、癒されないにしても、そこに神の栄光が表されることを願っていきましょう。人生にはいろんな季節がありますし、祈りに祈り抜いて癒しを求めていく、大胆に祈っていく時があってもいい。それと同時に、この痛んだ自分自身を愛しんで受け入れていくことも大切なのです。それはあきらめとは違います。諦めてしまってはダメです。自分自身を神さまの御手にそのままお任せしてしまうという、これは積極的な姿勢なんです。神さまに自分を明け渡すんですから。神さまのことばを信頼していないと無理なことです。

今日は癒されたリステラの人に「癒されるにふさわしい信仰」があったというところから、癒しについて、また癒されないということについて、パウロの祈りを振り返りつつ、ご一緒に考えてみました。招きのことばで読んだ第三ヨハネ2節のように、神のみことばは私たちに「幸いであるように、健康であるように」と語りかけてくださいます。そのことを感謝しながら、ご自分の抱える病や傷、痛みについて、癒しを求めて祈り、またはあきらめではなく積極的に神さまにお委ねし、お任せする、神のことばに自分自身の生き方を明け渡すという歩みを、一歩一歩進めていきましょう。旅はまだまだ続くのですから。

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【8/6】

使徒14:1〜7

​「キリストの平和を信じて」

まずは、改めまして、この度はご心配とご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。みなさんに祈られていることをひしひしと感じておりました。本当にありがとうございました。

 

家族の中で感染したのは私だけだったのは不思議でしたし、移さずにすんだのは感謝でした。東京の三浦牧師が感染した際にも同様のことを言っておられましたが、周囲には誰も感染者はおらず自分だけ、そして感染経路に思い当たる節もないということで、ここにはきっと神さまのご意図があるのだろうと思わされました。病気というものは神さまの造られた世界の美しさからは外れたものです。つまり、人の罪によって生じた世界の歪みの一つですね。ですから「病気が神さまからのメッセージ」であるわけはないのですが、病気そのものは罪ゆえの歪みであっても、それすらも用いて神さまが強制的に休みを与えてくださり、これからの教会のことを思い巡らせたり、自分自身の課題について祈りを深めることができたのは幸いなことでした。

 

しかし、それも、周囲の助けがあってこそです。本当にありがとうございました。

 

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さて、使徒の働きの続きを読み進めていきましょう。14章は、第一次宣教旅行の締めくくりとなっていきますけれども、今日はその前半部分です。

内容に入っていく前に、以前、この時のパウロの年齢がどれくらいだったのかという話になったので、調べてみました。第一次宣教旅行のこの時、40歳前後だったようですね。彼の行動力に驚かされます。町から町へ、徒歩で回るだけでもすごいことですが、その行く先々で暴動に巻き込まれるわけです。それでもイエス・キリストの良い知らせを告げることをあきらめませんでした。聖霊のなせるわざですね。また、インターネットからいくつか写真を探してきました。ローマ時代の道が発掘された様子、またパウロの出生地との伝承がある井戸の写真があったのでご紹介します。まず、こちらはローマからタルソに向かう道です(←リンク先に写真あり※写真への直リンクに変更しました)。ローマ帝国中にこういう道が張り巡らされていました。パウロたちはこれを歩いて旅をしたはずです。そして、こちらはパウロの出身地であるタルソの町に残る古い井戸で、パウロの出生地だという伝承があるそうです(リンク先に写真あり※同)。伝承ですから真偽はわかりませんけれども、二千年間ここだと言われているということには、それなりの信憑性もあるのだろうなとは思います。パウロはこういうところで生まれて、こういう道を歩いて旅をしました。聖書に書かれている人たちというのは、私たちとは違う種類の人々ではありません。実際に、あの時代に生き、そこで生活した、私たちと変わらない生身の人間です。その彼らに働きかけてくださったのと同じ聖霊が、私たちのことも、みわざのために用いてくださる。聖書はそのことの証言なのです。

<1節 ユダヤ人の会堂へ>
さて、1節から見ていきましょう。ピシディアのアンティオキアを離れたパウロとバルナバはイコニオンに向かいました。小アジアの内陸にどんどん入っていく感じですね。そして、ここでも彼らはユダヤ人の会堂に入りました。パウロは異邦人世界に福音を伝えるのが自分の使命だと理解していましたが(ガラテヤ2:7-8)、彼らは行く先々でまずユダヤ人の会堂を訪れます。ここでもそうでした。少し間が空いてしまいましたので、異邦人に福音を伝えることを使命としていた彼らが、まずはユダヤ人の会堂に行った理由を再確認すると、四つほど考えられます。①共通の文化を持つ人たちのところへ行ったということ。福音を伝えるために、まずは同じ文化の人のところに行ったわけですね。②パウロたち自身が会堂で礼拝を守るため。パウロ もバルナバもユダヤ人として、安息日の礼拝を大切にしていました。③会堂には神を恐れる異邦人たちも集まっていたから。彼らが出会いたい、伝えたいと願う異邦人がそこには多く集まっていたのです。④ユダヤ人には、アブラハムの子孫として世界の祝福のために仕えるという使命があるので、彼らがイエスさまに出会い、そこからまた世界に向けて福音が広がっていくように励ますため、ということですね。いわば、自分たちだけで異邦人宣教をしようとしたのではなく、ユダヤ人たちもまた福音を世界に広げていくようにということです。これらのことは、私たちが福音を伝えようとする時、福音を証ししようとする時にも参考になると思います。たとえば④ですが、福音を伝える時に大切なのは、相手を説得して信じさせようとすることよりも、その人にしかできない使命がある、神さまからの使命があるということを語り、励ましていくことが大切なのでしょうね。

イコニオンでも彼らはまずユダヤ人の会堂に入り、そこで語りました。彼らはユダヤ人と異邦人の両方に語りかけ、それを聞いた多くの人々が、ユダヤ人も異邦人も、イエス・キリストの福音を信じたのでした。

<2節 信じようとしないユダヤ人たち>
ところが、ここでもピシディアのアンティオキアと同じことが起こりました。2節「信じようとしないユダヤ人たち」がいて、彼らが、異邦人たち(つまり町中の人たち)を扇動して、兄弟たちに対して悪意を抱かせたというのです。兄弟たちに対して、というのは1節で信じたばかりのイコニオンのクリスチャンたちのことですね。パウロとバルナバだけでなく、信じた町の人たちも悪意の対象になってしまいました。かなり難しい状況です。

「信じようとしないユダヤ人たち」というのは、ピシディアのアンティオキアにもいました。彼らは「ユダヤ人のように食物規定などの律法を守ることで、神との関係が正しい、つまり義と認められる」として、聖書の神を求めてやってきた異邦人たちに、ユダヤ人のようにならなければ義とは認められないと言っていたわけですね。しかし、パウロは「人が義と認められるのは律法の行いによるのではない、イエス・キリストへの信仰によるのだ」と説いた。ユダヤ人のようにならなくても、イエス・キリストへの信仰によって、ギリシア人ならギリシア人としてそのままのあなたで救われるのだということです。異邦人と比べて自分たちの方が優位だと思っていたユダヤ人たちには、これは受け入れがたいことでした。また、彼らにとっては、神を求めて会堂にやってくる異邦人たちは、多額の献金をしてくれるいわばパトロンでもあったので、彼らがユダヤ教の会堂から離れてしまうとでも思った、そのような事情もありました。自分たちの方が偉い、上であるという思いは人を頑なにさせますね。

<3節 主がなさる>
しかし、3節「それでも、二人は長く滞在し、主によって大胆に語った。主は彼らの手によってしるしと不思議を行わせ、その恵みのことばを証しされた。」特に後半が大切です。「主は」。私たちを通して神さまのみわざがなされていく時、困難が起こります。しかし、主は、主ご自身が恵みのことばを証ししてくださいます。そのために必要なこと、神のことばの証しのために必要なことを、主が、私たちに行わせてくださるのです。私たちの人生の旅路においても同様です。神さまのことばは生きていて力がある。そのことを私たちが力強く証しするために必要なことは神さまが与えてくださいます。主ご自身が私たちを通して証明してくださる。自分の信仰を見て、情けないなと思うことばかりですけれども、主がなさる。主がそれをなさるのです。

<4節 分断される社会>
しかし、神さまのみわざが表されていく時には、それに反対する力もまた働きます。罪の歪みというものは大きくて、この世界は神さまのみわざをそのまま受け入れることができないのです(ヨハネ1:10-11)。町の人々は二派に分かれてしまいました。

「信じる人」と「信じない人」に分かれたということですから、私たちは信じる人たちの肩を持ってここを読むと思います。パウロが福音を伝えて旅をしているという文脈ですから、当然といえば当然です。しかし、今回「二派に分かれた」という表現が心に留まりました。信じる人もいれば信じない人たちもいたということですから、ある意味「二派に分かれた」というのは当然のことです。私たちの身の回りもそう。クリスチャンの人もいれば、そうではない人もいます。しかし、だからこそ、立場が分かれている人たちの間には対話が必要です。お互いに思いやっていかないと対立は深まるばかりなんですね。「信じようとしないユダヤ人」たちが、なぜ信じようとしないのか。先ほども触れたように、彼らには守るべき文化があった。異邦人世界で会堂を維持していくことは大変ですから、理解のある異邦人たちを味方につけていくことも重要なことだった。そういう事情や背景があるわけです。「あの人たちは信じようとしない人たち」だとラベルを貼って、レッテルを貼って対話しようとしないということがあってはならないと思います。

パウロもバルナバもディアスポラのユダヤ人でしたから、彼らの事情であったり背景はよく理解していましたので、決めつけることなく丁寧に話をしたとは思います。問題は私たちです。教会という場所が、クリスチャンかどうかで人を判断するようになってはいけないと思います。イエスさまというのは、私たちと外の人々を分断させるための線ではなくて、すべての人々の中心にあるお方です。

エペソ2:14「実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊(されたお方です。)」壁が壊されたのに、イエスさまを壁にしてはいけませんよね。クリスチャンしか友人がいないなどということがないようにと思います。イエスさまは私たちと人々を分けるための線や壁ではない。私たちすべての真ん中におられるお方です。教会も同じです。信じている人だけの内向きの集まりにならないように、気をつけなければなりません。そうでないと、世界の祝福となることなどできません。

私たち関西集会が、これからどのように歩んでいくか。みなさんで語り合い、祈っていきたいと思います。

<5節〜7節 キリストの平和を信じて>
騒ぎはますます大きくなり、パウロとバルナバはいのちを狙われるようになって、いったん町を離れることになりました。大きな困難がありましたが、この町には確かに主の弟子が生まれました。パウロとバルナバは、新しく生まれた主の弟子たち一人一人を神さまの御手に委ねて、自分たちのなすべきこと、福音を伝える旅を続けていったのです。21節で、彼らはまたこの町に立ち寄り、生まれたばかりのイコニオンの教会を励ましていくことになります。

パウロとバルナバの旅は続きます。私たちの人生もまた、旅です。石の道を歩いて行った彼らの歩みを追いながら、私たちも一歩、一歩、日々の生活を進んでいきましょう。相手にレッテルを貼って対話を諦めるのではなく、キリストの平和を心に刻みながら、もう壁は打ち壊されていることを目の当たりにしていきましょう。

平和と言えば、今日は広島に原爆が落とされて78年目の日です。今もなお、世界には戦争があります。国家というもの同士の戦争に対して、私たち個人ができることはあまりに小さいかもしれません。でも、自分の身の回りで平和を生きることはできる。少なくとも、自分に関する範囲においては、キリストの平和を追い求めていくことはできます。今アメリカで上映されている二つの映画、やがて日本にも来るでしょうが、一つはアメリカ版のリカちゃん人形とも言えるバービーの映画。もう一つが、原子爆弾の開発にリーダーとして関わったオッペンハイマー氏の自伝の映画ですね。ある一般のアメリカ人が、バービーの髪の毛に原爆のキノコ雲を合成したような画像や、核爆発と思われる爆風の前ではしゃぐバービーの画像を作ってSNSに公開し、なんと映画会社の公式アカウントがそれに「いいね」を押して「忘れられない夏になる」というようなコメントをしてしまった。大炎上して、公式アカウントはそのコメントを削除したというような出来事が最近ありました。一般的には、アメリカにおいては「原爆は、戦争を長引かせないために仕方がなかった」と思っておられる方が大半だそうですね。でも、アメリカ人はみなそうだというレッテルを貼ってはいけないですよね。日本に旅行して、原爆資料館に行って、原爆が一般市民を無差別に殺戮したものだということに初めて直面して、あの戦争について自分たち以外の視点を持つというアメリカ人は大勢いるんです。「このような騒ぎが起こって大変申し訳ない」とツイッターに投稿するアメリカ人もいるわけです。今日は、イコニオンの人々が二派に分かれたというところから少し発展させて、相手にレッテルを貼るという行為について考えてみたわけですが、最近のこの出来事からも同じことを考えさせられました。一般的な大きな括りで相手にレッテルを貼るのではなく、相手のことをよく知る。一般的なイメージという色眼鏡ではなく、語り合うことが大事ですね。自分とは立場の違う人との間にこそ、キリストの平和を信じた対話が必要です。

ただ、それってしんどい生き方ですよね。相手にレッテルを貼ってしまえば楽なんです。対話をするというのはしんどい生き方です。でも3節を思い出してください。「主がなさった。」私たちの歩みはおぼつかなくても、主が私たちを遣わし、みわざのために用いてくださいます。和解の福音を、キリストの平和を、私たちを通してあらわしてくださる。主がその旅を続けさせてくださいます。こんなに感謝なことはありません。


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【7/9】

使徒13:44〜52

「福音とは反対の生き方」

アンティオキア教会による、パウロとバルナバの第一次宣教旅行の足取りを追っています。二人はキプロス島から小アジアに上陸し、ピシディア地方のアンティオキアでユダヤ人の会堂に入ります。パウロは旧約聖書から丁寧に掘り下げて、救い主が来られたことを証ししました。二人が会堂を出るときには「来週も同じことについて話してくれ」と頼まれるほどであり、また集会後も多くの人が彼らと語り続けるような状況で、彼らの話は大好評だったように見えました。今日はその続きです。

<44節〜45節 人が変わる状況を許せない>
44節「次の安息日には、ほぼ町中の人々が、主のことばを聞くために集まって来た。」ピシディアのアンティオキアは大きな町です。ほぼ町中の人たちというのは、表現上の誇張があるとは思いますが、そう書かざるを得ないような状況だったのでしょう。会堂に人が溢れたのだと思います。しかし、45節「この群衆を見たユダヤ人たちはねたみに燃え、パウロが語ることに反対し、口汚くののしった。」のでした。このユダヤ人たちというのは、前の週にパウロの話を喜んで聞いていたのと同じ人々だと思われます。一度は喜んで聞いていたのに、何が起こったのでしょう。ディアスポラのユダヤ人たちは何に脅威を感じたのでしょう。

彼らが脅威を感じたのはパウロの話そのものというよりも、それに人々が集まってくるという状況についてであったことが伺えます。パウロの話を聞いている分には問題なかったけれども、人々が変わってしまう、人々の生き方が変わってしまうことには嫌悪感を剥き出したわけです。つまり、このユダヤ人たちは、普段から自分たちの会堂に集まっていた「神を恐れる人々」であったり「改宗者」の人たちを、自分たちの思い通りにしておきたかったわけですね。それが変わってしまうことを恐れて、彼らは尋常ではない怒りをあらわにしました。

<異邦人を思い通りにしたかった理由>
会堂のユダヤ人たちが町の異邦人信者を思い通りにしておきたかった理由の一つ目は、経済的な理由だと思われます。彼らから金銭的な援助を受けていたからですね。現地の異邦人のうち、普段から会堂に出入りしていた人々は「神を恐れる人々」とか「改宗者」と呼ばれていたわけですが、彼らは異邦人でありながら聖書の神とそのみことばに惹かれて会堂に集まる人たちだったわけです。信仰を求めて、真理を求めてやってきた人たちです。中でも改宗者と呼ばれる人は割礼まで受けてユダヤ教徒として生きていました。会堂には、ユダヤ人以外にもこういう人たちが出入りしていたのです。ユダヤ人は選民思想といって、自分たちこそ選ばれた神の民であり、異邦人とは付き合わないというのが基本なのですが、こういう人たちは受け入れていました。そして彼らもまた、ユダヤ人たちが異国の地で会堂を建てて維持していくことを金銭的に援助していた。その中には、身分の高い、裕福な人々も多く含まれていました。50節には「貴婦人」とか「町のおもだった人たち」とありますし、他の町にも同じような構造がありました(17:4)。つまり、会堂側のユダヤ人からしてみたら、彼らは大口の献金をしてくれる大切な現地の人たちでもあったのです。それがみな、パウロとバルナバの方に行ってしまうのではないかと危機感を覚えた、というわけなのでした。

会堂のユダヤ人たちが町の異邦人信者を思い通りにしておきたかった理由の二つ目は、神さまの前では自分たちの方が優位だと信じていたからです。パウロは「律法を行うことによっては義と認められなかったが、イエス・キリストを信じる信仰によって義と認められる」ということを話していたわけですが(13:38-39)、これが問題でした。「義」というのは神さまとの正しい関係のことです。ユダヤ人は律法を守ることこそが神との正しい関係だと信じていました。それによって神との関係が正しいと認められると信じていた。特にユダヤ人として割礼や食物規定を守るということが一番大事だと考えていた。そして、異邦人もそれを守らなければ神との正しい関係に入れないとしていたのです。つまり、異邦人にもユダヤ人のようになることを強要していたわけです。だからこそ神を恐れ、律法に惹かれる異邦人を会堂に受け入れていましたし、実際、そこから改宗者という人たちも出て来たわけですね。救われるためには、ユダヤ人のようにならなければならない。これが彼らの主張であり、スタンスでした。

しかし、パウロは「律法を行うことによって神との関係が正しくなるのではない。」と言ったのです。ユダヤ人ならユダヤ人の文化としてそれを守ればいいし、守るべきでしょう。しかし、それを異邦人に強要してはならないし、ましてや、それによって救われるのではない。それによって義と認められるのではないということです。これは異邦人に関してだけでなく、ユダヤ人に対しても言っています。人を義と認めるのは、律法を守るかどうかではない。主イエスへの信仰のみなんですね。

「信仰義認」ということばをご存知だと思います。律法の行いではなく、イエスさまへの信仰によって救われる、義と認められるという意味です。これは確かにその通りなんですが、では律法は不要になったのかというと、そういうわけではないんですよね。食物規定や割礼は私たち異邦人には当てはまらないものですが、ユダヤ人にとっては今も民族の証しです。また、有名な十戒、これはユダヤ人・異邦人問わずに神さまの御心を示すものとして今も重要です。よく、イエスさまが来られたから律法は不要になったという誤解があるのですが、そうじゃない。律法は神のことばです。イエスさまご自身も、「わたしは律法を廃棄するためではなく、完成させるために来た」とおっしゃっています(マタイ5:17)。律法は引き続き大切なものです。ただ、それを守れば義と認められるというものではなく、律法とは神さまに愛されているから、神さまへの応答として守っていくものなんですね。守れたか、守れなかったかで合格か不合格か判断されるようなものではない。しかし、当時のユダヤ人たちは、特に割礼や食物規定を守るかどうかで義と認められるかどうかが決まるとしていたし、異邦人にもそれを要求していたんですね。そこにパウロが異を唱えたわけです。そして、大勢の人がその話に興味を持ち、彼の方に行ってしまった。ユダヤ人たちが怒るのは当然でした。

<テトスの件>
実はこれは前にも同じようなことがありました。場所は、なんとエルサレムの教会です。シリア(今はトルコ)のアンティオキアの教会が、飢饉の際にエルサレムの教会に支援物資を送ったということがありましたよね(11:27-30)。バルナバとサウロ(今ではパウロですが)の二人は支援物資を携えてエルサレムの教会に出かけました。パウロにとっては救われてから二度目のエルサレム訪問です(一度目はみなに信用されずにいたところをバルナバが彼を引き受けてくれたというあの時。9:26-30)。この「二度目のエルサレム訪問」の時、ガラテヤ書、つまりパウロ自身の述懐によると、この時ギリシア人のテトスという人も連れて行ってるんです(ガラテヤ2:1-6)。ところが、エルサレム教会のユダヤ人の中には、テトスに割礼を受けさせるべきだと言い張る人たちがいたようなんです。パウロはそのとき彼らに立ち向かい、一時も彼らに譲歩したり屈服したりしなかったと書いています。エルサレムに飢饉があり、使徒ヤコブが殺されたりというあの時期に、こんなことまであったんですね。パウロは、割礼を異邦人に強要することがあってはならない。彼らを自分たちとまったく同じようにしようとしてはならない。つまり、自分の常識、自分の文化、自分の思い通りにできる範疇に相手を閉じ込めてしまってはならないということを徹底したわけです。あの時も、パウロはこう言ったはずです。「人が義と認められる、つまり神との関係が正しいとされるのは、律法を守らせられることによってではない。彼らが主イエスを信じることによるのだ」と。異邦人にもユダヤ人の割礼や食物規定を強要するなど、それは福音とは反対の生き方です。何々人だからということではなく、それぞれがそれぞれのまま、イエスさまに出会い、イエスさまを信じて神との関係を正していただけるんです。これが福音です。しかし、福音に反対するあり方は本当に根深いものがあって、信仰にプラスアルファしてしまう。「こうならなければならない」ということを付け加えてしまう。パウロにとっては、これはずっと戦い続けなければならないテーマなのでした。

「福音と反対の生き方」などというと、福音を信じている私たちには関係のないことと思ってしまいがちだと思いますが、私たちにも同様のことがあると思います。神さまへの感謝、神さまへの応答としてやることを、他の人にも強要してしまう。私たちは信仰によって救われたことを重要視していますから、当時のユダヤ人と同じような律法主義には陥っていないと自分では思っているわけですが、自分にとっての当たり前、自分にとっての常識を相手にも強要しがちであるということ自体は、往々にして起こりうることですよね。信仰を教えたり継承しようとする場面では特に起こりがちだと思います。型を教えることはある意味では大切なことなのですが、それが何のためのものか、神さまへの感謝の応答としてのものだということをきちんと押さえて、その点をしっかり伝えていきたいものです。「クリスチャンはこうするものだから、ああするものだから」ではなくて、神さまへの感謝の応答なんだというところをしっかり伝えたいね。今月の学びは「律法」についてですので、今から読んでおいていただければと思います。

<46節〜49節 使命の再確認>
ユダヤ人たちの妨害に会って、パウロとバルナバは自分たちの使命を再確認しました。46節「神のことばは、まずあなたがたに語られなければなりませんでした。」というのは、福音の伝わる順序として、まずユダヤ人ということがあったわけです。これは優劣の問題ではなく、順序ということです。福音はエルサレムからユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまでという順序で広がって行きますが、これは地理的な話であると同時に、ユダヤ人から異邦人へという順番もさしていました。ユダヤ人には、先に福音を聞いて、そこから世の中に福音を広げていく責任と使命があったわけですね。アブラハムの子孫として(創世記12:3b)。だから、まずあなたがたは語られなければならなかった。しかし、「あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者にしています。」として、「私たちはこれから異邦人たちの方に向かいます。」と宣言しました。これはもともとパウロは自覚していたことです。先ほど開いたガラテヤ書にもあったのですが、ペテロは割礼を受けたユダヤ人のために、そしてパウロは割礼を受けていない異邦人のために働くという役割分担ができていて、パウロは自分が異邦人に福音を伝えるのだという使命を確認していました。だからこそ、アンティオキア教会が聖霊の導きによってパウロとバルナバを派遣することを決定した際に、パウロ自身もそれを御心だと確信したのです。そのことを今回再確認したということでしょう。47節はイザヤ書の引用です。文脈上はキリストが地の果てまで神の救いをもたらす者となるという箇所ですが、パウロはこの預言がキリストのからだ、つまり教会を通してなされることを理解していたのです。

もっとも、これは「もうユダヤ人のところには行かない」という意味ではありませんでした。パウロとバルナバはこの後も、町を訪問するとまずユダヤ人の会堂に行くのです。ですからこのことばはピシディアのアンティオキアのユダヤ人たちに向けられたことばでした。

48節、異邦人たちはイザヤ書のみことばを聞き、神さまが昔から福音を世界中に広げようとしておられたことを知って喜び、賛美します。そして、「永遠のいのちにあずかるよう定められていた人たちはみな、信仰に入った。」とあります。これは「予定論」という教えに関係することですが、救われた人はもともと、神さまの聖なる予定、救いの予定に入っていたというものです。これを聞くと「では救われない人はそういう予定だったのか」と反論したくなるのですが、それは誤解です。予定論とは、救われた人が自分の救いの経緯を振り返った時に、この救いが自分のおかげではないこと、100%神さまの恵みによるものだったことを思い返すための教えです。他の人の救いについては、神さまはすべての人が救われることを願っておられると聖書にありますので、救われない予定の人などという人はいないのです(Ⅱペテロ3:9)。ピシディアのアンティオキアの異邦人たちはパウロのことばを聞いてイエスさまを信じました。彼らが後にその時のことを思い返せば、これは100%神さまのおかげだったということがここで表現されています。このようにして、49節、主のことばはピシディア地方全域に広まりました。

<50節〜 反対者たち>
この町のユダヤ人たちは、神を敬う貴婦人たち、つまり信仰を求めて会堂に出入りしていた身分の高い人たちや、町のおもだった人たちを扇動してパウロとバルナバを迫害させました。怒りの感情から人々を煽って暴動を起こしたわけですね。51節、二人は彼らに対して足のちりを払い落とすという動作をします。これは「私たちにはもう責任はありません。」という意味です。イエスさまが弟子たちを伝道に派遣した際にも、人々が聞こうとしないなら、足のちりを払い落として次の町へ行きなさいと言われていました(ルカ9:5)。伝道するときに大切なのは、知らせることです。信じるかどうかはその人の選択です。私たちの責任は、伝えるべきことを伝えるというところまでですね。それはもちろん、機械的にさっさと伝えて、あとは知らないという態度のことではありません。伝えるべきことを、きちんと伝わる形で伝える。それは丁寧に、心を込めて時間をかけて、工夫して伝えていくのです。その上で、拒絶を受けたのなら、あとは神さまがなさいます。神さまの導きによってはまた伝えるということもあるでしょう(実際、彼らはこの町にまた来ています。14:21、16:4)。でもひとまずは、私たちがするのはそこまででいいということです。パウロとバルナバは次の町へ向かいました。少し残念な終わり方ですが、52節は慰めです。「弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。」弟子たちというのはパウロとバルナバだけでなく、この町で新たにイエスさまを信じた人たちのことです。騒動が起き、二人が追い出されるというような、後味の悪い最後でしたが、それでもここで救われた人たちがいた。そして、彼らは喜びと聖霊で満たされていたというのです。

<まとめ>
私たちも、パウロとバルナバのように、自分の使命を再確認しながら、主から任されていること、自分にしかできないことを再確認しながら、主のみことばのために生きていきたいと思います。時が良くても、悪くても、神さまのことばを伝える者でありたい。この存在を持って神のことばを証しするものでありたい。そう思います。相手を自分の思い通りにしておきたいというかつてのあのユダヤ人たちのようにではなく、相手を認め、尊重し、敬意を持って伝えていきたいですね。なかなかその実が結ばないということはありますが、それでも神さまは私たちを喜びと聖霊で満たしてくださいます。そしてまたそこに新たな救いの出来事を起こしてくださる。そうやって人生の旅は続いていくのです。

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【7/2】

使徒13:13〜43

「救い主到来の知らせ」

アンティオキア教会がバルナバとパウロを送り出した第一次宣教旅行の様子を、引き続き追っていきましょう。

<13節 マルコの離脱>
13節、一行はキプロス島から小アジア、つまり今のトルコに渡ります。小アジアの南部地方をパンフィリアと言いますが、13kmほど内陸のペルゲという町に向かいました。ここでヨハネ、またの名をマルコが一行から離れてエルサレムに帰ってしまいます。彼が帰ってしまった理由は定かではありませんが、パウロはこのことをよく思わなかったようです。後に、別の宣教旅行に出かける際、バルナバはまたマルコを連れて行こうとするのですが、パウロは反対するんですね(15:36-40)。そのことでバルナバと激しく議論し、その結果、彼らは別行動を取るようになります。

マルコはバルナバと共に宣教旅行を続け、やがてはペテロの通訳として活躍し、マルコの福音書を書くことになるのですが、それはまだ先の話です。マルコがエルサレムに帰った理由はわかりませんが、第二回目の宣教旅行の時にバルナバが面倒を見てくれたことは幸いでした。後にはパウロとの関係も回復します。後にパウロはマルコのことを、自分の働きのために役に立つ、有能な人物だとテモテへの手紙に書いているんです(Ⅱテモテ4:11)。使徒の働きやパウロの手紙を読み合わせるとこういったことも見えてくるのは感謝なことです。マルコは成長します。もっとも、それはもう少し先の話です。まるで私たちみたいですね。

<14節 ピシディアのアンティオキア>
マルコと別れた後、二人は「ピシディアのアンティオキア」にやってきました。ピシディアというのは内陸地方の名前ですが、ここにアンティオキアという名前の町がありました。二人が出発した町と同じ名前ですが、違う町です。アンティオキアという同じ名前の町が16もあったのです。シリアのセレウコス朝が中東世界を支配していた時代に、セレウコス一世が16もの町に父親の名前に因んでアンティオキアと名前をつけたのでした。同じ名前の町が16もあるとは、まぎらわしい話だと思いますが、これらは特別な町として栄えたことでありましょう。一番有名なのはシリアのアンティオキアで、パウロとバルナバを派遣した教会のある町です(ちなみに、ここはシルクロードの出発点でもありました)。そしてピシディアのアンティオキアも劇場や大きな通りなどが発掘されていて、大きな町だったことが伺えます。彼らはここにやってきて、安息日、つまりユダヤ人にとっては土曜日になるわけですが、土曜日にユダヤ人の会堂に入って席に着きました。

<ユダヤ人の会堂・安息日の礼拝>
前回も少し話しましたが、パウロたちは目的地に着くと、まず現地のユダヤ人の会堂に行くんです。当時のユダヤ人の人口の三分のニはディアスポラ、つまり外国生まれ、外国育ちだったといいますから、各地にはユダヤ人の会堂がありました。彼らはエルサレムの神殿を中心とした信仰生活は送れませんが、会堂(シナゴーグ)がその代わりになっていたのです。会堂は安息日の礼拝だけでなく、ユダヤ人としての教育であったり、生活全般に関わる場所でした。どの町にもそのようなユダヤ人の会堂があったのです。パウロとバルナバは自分たちもディアスポラ、海外生まれのユダヤ人であり、共通の基盤があったわけですね。相手との関係性を大切にしながら福音を伝えようとしているのです。

そもそも、バルナバもパウロもユダヤ人ですから、安息日に会堂で礼拝をすることは当然のことでした。当時のユダヤ人クリスチャンたちは、イエスさまを信じた後もユダヤ人としての習慣は守っていました。弟子たちは新しい宗教を作ったわけではなくて、あくまでもユダヤ教の中のイエス派・ナザレ派という立ち位置だったのです。旧約聖書とイエスさまへの信仰は矛盾しないどころか一つのことですから、当然と言えば当然です。彼らは自ら礼拝を守るために安息日に会堂に出かけつつ、その場で、救い主を待ち続けているユダヤ人たちにイエス・キリストを証ししたわけです。16節以降はパウロが語った内容になりますが、「イスラエル人の皆さん、ならびに神を恐れる方々、聞いてください。」と呼びかけるんですね。そして、旧約聖書に記された救い主の約束を一緒に確認していき、救い主とはナザレのイエスのことであると証ししていくわけですね。これがパウロの語り方の特徴でした。

異邦人へ福音を届けるための旅なのだから、ユダヤ人相手ではなくてもっと異邦人のところに行けばいいという考え方も出来たかもしれませんが、折に触れてそういう出来事もあります。前回も、キプロス島の地方総督のところに行きました。しかし、彼らは自分たちもユダヤ人としてまず安息日の礼拝を大切にしたということです。自分たちがユダヤ人であることを無理やり変えようとはしなかった。ユダヤ人のアイデンティティーを大切にしていました。また、ユダヤ人の会堂には、聖書の教えに惹かれて外国人も出入りしていましたので、彼らに主イエスを伝えることもできたのです。実際、13章の後半ではそういう人たちが救われるという出来事も起きてきます。

パウロたちが安息日の礼拝を大切にしたということに改めて教えられます。私たちも同様に、神さまの働きのためだからと、自分自身を他の何かに変えなくていいのです。自分自身であればいい。礼拝を大切にし、そこで神のことばに養われ、力を受けていくということを大切にしていけばいい。その中から、神さまは新しい出来事も起こしてくださいます。その機会を捉えて、神さまの起こしてくださる出来事に参加していきたい。みわざの目撃者になりたいですね。

<15節 会堂にて>
15節には「律法と預言者たちの書の朗読」があったとあります。つまりは聖書の朗読です。昔は一人ひとりに各自の聖書があったわけではなく、会堂ごとに巻物の形で大きな聖書が保管されていました。聖書は読むものではなく、聴くものだったんですね。私たちの礼拝プログラムの中にも聖書朗読がありますが、大切にしたいと思わされます。

そして、ここに出てくる会堂司というのは、会堂管理者のことですが、建物の管理だけをしていたわけではなく、礼拝を取り仕切ったり、その町のユダヤ人共同体のリーダーとして、人々の相談に乗ったり教えたりしていた人たちです。その会堂司たちがパウロとバルナバに、奨励のことばがあればお話くださいと声をかけてきたわけですね。奨励というのは奨め励ますことばということです。そこでパウロが立ち上がり、ギリシャ式に手振りで静かにさせてから話し始めました。

<16節〜 旧約の歴史の振り返り>
「イスラエル人の皆さん、ならびに神を恐れる方々。」ユダヤ人はもちろん、神のことばに惹かれてユダヤ人の会堂に来ていた外国人に向けてもパウロは語り始めました。

17節からイスラエルの歴史、つまり旧約聖書の内容を振り返ります。ここにいる皆が共有している内容を確認していくわけですね。「父祖たち」というのはアブラハム、イサク、ヤコブ、またヤコブの十二人の子らのことを指します。神はイスラエルの民をエジプトで育て、そしてその地から導き出してくださった。先週学んだ「贖い」というのは、まずはこの場面のことでした。そしてイスラエルの民は四十年間荒野に滞在することになります。それは神の民としてつくり変えられていくために必要な時間でありました。その後、彼らは約束の地カナンに入り、その地を得ることができました。ヤコブがエジプトに下ってから450年ほどが経っていましたが、神さまはヤコブに対して約束されたことを守られました。あなたの子孫を大いなる国民とし、必ずこの地に連れ帰ると主は言っておられた(創世記46:3-4)。旧約聖書の内容というのは、神さまの約束がどのように実現していくのか、どのように神さまが人々に関わってくださるのかということの記録なんですよね。ユダヤ人にとっては、それはまさに自分たちのアイデンティティーそのものでした。

旧約聖書に記されたイスラエルの歴史は、私たちにとっても大切なものです。私たちも、信仰によってアブラハムの子孫とされた者たちです(ガラテヤ3:7)。私たちも自分のストーリーとして聖書を読むことができます。先週の学びの時も触れましたが、イスラエルにとっての出エジプトは、私たちにとっての救いのモデルとなっています。オーバーラップして、重なっているんです。イスラエルの民がエジプトの奴隷生活から贖われた後も様々なことがあったという歴史は、私たちが救われた後も様々なな紆余曲折を経験することと同じですね。四十年とか四百五十年という数字をそのまま当てはめることはできませんが、イスラエルの民がカナンの地に帰るまでには時間がかかったし、さらにそれからの歴史にも長い時間がかかっていくことも、私たちが救われた後に聖められていく聖化の歩みを続けることと同じなんですよね。

21節からはイスラエルに王政が敷かれたことの振り返りです。二代目の王ダビデの子孫として救い主はお生まれになります。ダビデは多くの詩篇を残しましたが、その中には救い主(メシア)の到来を預言したものが多く含まれています。救い主は「ダビデの子」と呼ばれますから、旧約聖書を振り返って救い主を説明する時にダビデは外せない人物でした。

<23節〜 救い主到来の知らせ>
パウロが語ってきたここまでは、みなもよく知っている内容でした。みなもダビデの子孫として生まれる救い主を待ち望んでいたのです。しかし23節、パウロは救い主イエスの到来を語り始めます。ダビデの子孫として、救い主はすでに来られたのだということです。25節、バプテスマのヨハネが言ったように、その方は確かに来られたのです。そして26節、「この救いのことばは、私たちに送られた」のだと。救い主が来られたという知らせ、救いの知らせは私たちに送られたのだ、確かに救い主は来られたのだということです。

ところがです。救い主は権力者たちによって十字架につけられてしまったというではありませんか。イスラエル人はずっと救い主を待ち続けてきましたが、それはローマ帝国の圧政からイスラエルを救ってくれるような、そういう存在として待ち望んできたのです。力でローマをねじ伏せるような、そういう軍事的なリーダーとして救い主を待っていた。なので、十字架につけられて死んだイエスが救い主だと言われても、ピンと来ないわけですね。

しかし、パウロは、この救いはローマ帝国からの救いではない。罪の赦し、罪からの解放なんだと38節以降で力説していきます。そのためにまず、キリストが死者の中からよみがえられたことを語っていくのです。30節、イエスはよみがえられ、31節、弟子たちがその証人となっているというのです。

そして32節、33節、神が父祖たちに約束されたことが今成就したんだということを、私たちは宣べ伝えに来ましたということですね。それは「アブラハムの子孫として来られる救い主によって、この世界は祝福を受けるようになる」というものでした(創世記22:18、ガラテヤ3:16)。イエスがよみがえったことはその証しでした。パウロは詩篇やイザヤ書を引いてその説明をしていきます。36節、ダビデもついには死んでいきましたが、37節、神がよみがえらせた方はもはや死ぬことなく、朽ちることもないのです。

そして38節以降、パウロは罪の赦しについて語ります。救い主が何のために来られたのか。この方は私たちの罪を赦し、解放するために来られたのだということです。以前の翻訳だと38節、39節は「解放される」となっていましたが、「義と認められる」と翻訳が改訂されました。律法を守ろうとすることによっては義とは認められなかった、つまり神さまとの関係が正しいとは認められなかったけれども、イエスさまの十字架による罪の赦しを信じることによって義と認められる。神との関係が正しいとされ、罪から解放されるのだということです。

ローマ帝国から救うための救い主じゃない。圧倒的な力によって相手をねじ伏せるための救い主じゃない。創世記のあの初め、世界の初めに神さまと人との関係が崩れてから、人は罪の力に翻弄されてきましたが、そこから救ってくださる、神さまとの関係を回復させてくださるという規模の話です。その救い主は力に満ちた姿ではなく、私たちのために十字架にかかるほどに低くされ、弱くされたお方でした。この方によって救いが成し遂げられた。私たちは罪から解放され、神さまとの関係が回復した。私たちは神さまと共に歩んでいける。そして、神の国がこの世界に広がっていくためのお手伝いをさせていただける。それが救いです。神さまが約束して来られたことです。

40節、41節でパウロはハバクク書を引用します。これはもともとバビロン捕囚を預言したものです。神さまから再三言われていたのに、ユダの国は神さまのことばを聞きませんでした。それと同じように、この良い知らせを、福音を聞かないということがないようにしてくださいということです。42節、人々は彼らが話した内容に心を打たれ、次の週にも同じことを話してくれるようにと頼みます。43節、集会が終わってからも、多くのユダヤ人、また神を敬う外国の改宗者たちとの交わりが続きました。二人は彼らに神の恵みにとどまるようにと伝えます。そう、これは恵み。神の恵みなんです。恵みとは、私の側には与えられる価値はないのにもかかわらず、神さまからの贈り物として無償で与えられるものですね。無償、ただとは言っても、安いものではありません。イエス・キリストの血の代価が払われている。

私たちも、この恵みの福音に今一度、堅く立ちましょう。私たちは、自分が神の基準を達成できたから救われたのではありません。私たちは恵みで救われた。イエスさまの十字架によって罪が赦され、神さまとの関係が回復しました。神さまの願い、神さまの御心のために私たちは用いていただけるのです。パウロとバルナバが安息日の礼拝を大切にしていたように、私たちも主の日の礼拝を、これからも大切にしていきましょう。そこで神のことばに養われ、聖霊に満たされて、また日々の生活に出ていきましょう。それぞれが置かれているその場所で、そのところに神の国が広がっていくために、私たちに任されていることがあるのです。恵みによって救われた私たちは、それぞれが今いるところで、神さまの国が広がっていく様子を目撃することができます。そのことのために用いていただける。パウロたちのような大きな働きではないかもしれません。でも、あなたにしかできないことがあります。救われた喜びをもって、神さまの恵みへの感謝の応答として、目の前のことに取り組んでいきたいと思います。そこに、神の国が広がっていくのです。

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