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高槻だより 2019

​月ごとの掲載順序を逆にしました。最新のものが一番上に表示されます。

<2019年12月>

 いつもお祈りをありがとうございます。アドヴェントの期間に入り、一週ごとにLEDライトのろうそくを灯しつつ、聖書から「主を待つ」信仰を教えられながら過ごしています。クリスマスの礼拝はワークホテルの会議室で行います。祝福をお祈りください。

 先月号に、末期のすい臓がんで闘病中の方のことを書きましたが、先日病室を訪ねることができました。あまり長居もできない中でしたが、最終的には詩篇百三十篇で「夜明けを待つ夜回り」にご自分のことを重ねる応答をされました。「彼らが待っていて、ついに来られたのが、罪を赦す救い主。クリスマスはそのことを祝う日なんですよ」とお話しし、お祈りして別れてきました。また訪問できることを願っています。

 また、関西集会として「舟の右側に網を下す」新しい工夫が何かできないかと祈ってきましたが、状況が動き出したことも見据えつつ、いくつか考えていることがあります。まずは私が住む団地の集会所で子ども向けのクリスマス会を開催できないか検討しましたが、教会として認知されているわけでもなく、いきなりクリスマス会としてもアプローチが難しいと判断し、まずは「聖書の読書会」を開催できないかと考えました。聖書を一度読んでみたいという方は潜在的に多いと思われるので、読書会という形なら興味を持っていただけるのではないかとアイデアを温めてきたのです。地域の教会と協力の上での開催できればより良いと考え、可能性を打診、好意的な反応を得られました。教会間の協力は今後ますます重要になってくると思いますので、私たちのような小さな歩みであってもこのように道が開かれつつあることは本当に感謝です。

 並行して、普段礼拝のために借りている公共の施設で、教会名を出しても問題ないことがわかりました。音楽室ではなく会議室を借りている関係上、賛美の歌声のことでは常に気を遣っていますので、教会名を明示するかどうかは要検討なのですが(他の利用者からクレームが来た場合に立場が弱い)、こちらでも新しいことが起こっていくような気がして楽しみです。引き続きどうぞお祈りください。

<2019年11月>

 いつもお祈りをありがとうございます。関西集会では、十一月三日に召天者記念礼拝を持ちました。こちらに来てから三回目となります。初めてお会いする方や、久しぶりに来てくださった方々と共に、聖書の語る新天新地の希望について再確認し、慰められました(メッセージの録音はホームページで公開しています)。普段の教会生活の中で、先に召された方々のことは折に触れて話題に出ますが、このように日時を定めて記念礼拝を持つことの意義を感じたことでした。お一人お一人のお話が心に沁みました。昨年同様、ホテルの会議室を借りて行いましたが、お昼の軽食の宅配も含めて、場所のことも守られて感謝でした。
 また、教会員の方の未信者のご家族が末期のすい臓がんであることがわかり、現在闘病中です。ご本人やご家族のために祈ることはもちろんですが、葬儀のことも相談を受け、情報を集めつつ、いつでも動けるようにしています。キリスト教式の家族葬という願いを持っておられますが、自前の会堂がないため、以前北摂牧師会で相談させていただいた近隣の教会にコンタクトを取り、了承を得ることができました。関西集会としても以前から様々な形でお世話になって来た教会なので、有り難く感謝しています。相談のために水曜の祈祷会にお邪魔しましたが、キリストの名の下に集まる方々との交わりに大いに励まされました。
 急に寒くなって来ましたが、みなさんもどうかご自愛ください。

​<2019年10月>

 気持ちの良い秋晴れと、朝晩の冷え込みに季節の移り変わりを感じる日々ですが、いかがお過ごしでしょうか。
 お祈りいただいていますA・F姉より、体調がだいぶよくなってきたことをぜひお知らせしてくださいとのことで、ご報告いたします。三月に心臓の腫瘍を除去する手術を受けたものの再発していましたが、温熱療法が功を奏し、みるみる元気になっておられます。肺に血液を送りにくくなっているため、酸素ボンベが必要ですが、短い時間なら外しての家事も可能になっているようです。ここまでの守りといやしを、神さまとみなさまのお祈りに本当に感謝いたします。今もまだ月に一度程度、日曜礼拝のためにご自宅を開放してくださっています。十一月の召天者記念礼拝にもぜひ参加したいと願っておられますので、どうぞ守られるようにお祈りください。
 個人的には、北摂牧師会でお世話になっているM牧師と感謝な交わりが与えられました。韓国の神学校を出ておられるので、今日の日韓関係のためにどのように考え、祈っていったらいいか、見解を伺うために訪ねました(A福音自由教会)。高校生の頃に、元従軍慰安婦のハルモニの涙を見て以来、問題意識は継続して持ち続けてきたことでしたが、最近はいわゆる「左」や「右」に捉われない建徳的な対話のためにはどのように考えたらいいのかということに興味がありました(「クリスチャンプレス」妹尾光樹師の記事をインターネットで参照)。M師との意見交換はその意味でも大変有意義で、大いに励まされました。時を同じくして、東京でもラブソナタの関係で同様の祈り会が持たれることを知り、今後もこのことに向き合いつつ、両国のために、またシニル教会のためにも祈っていきたいと思います。

<2019年9月>

 いつもお祈りをありがとうございます。8月29日、以前関西集会に集っておられたM・S姉(84歳)が天に召されました。久遠教会に教会籍はありますが、最近は入所施設近くの教会で教会生活を送っておられ(もともと受洗されたのもそこの関係)、そこで葬儀(召天感謝式)がなされたのは自然な成り行きでした。関西集会としては弔電を出し、姉妹方が参列し、久遠教会も教会員としての扱い(連絡網での共有、お花料)をしました。「感謝式」との名の通り、明るく、希望に満ち、伝道的な素晴らしい葬儀であったとのことです。弔電に記した内容をご紹介します。「M姉召天の報に接し、驚きと寂しさを感じています。ひと時でも、歩みを共に出来たこと、感謝でした。信仰の先輩の姿を思い出しながら、地上の旅路を続けてまいります。やがて復活して、共に主イエスにお会いできるその日を楽しみにしております。ご家族の上に、主の豊かな慰めがありますように」。
 8月25日(日)の礼拝には、東京からN・K姉が参加してくださいました。神戸に在住の息子さんご家族を訪ねた帰路に寄ってくださり、懐かしい再会、また初めての方とも温かい交わりをもっていただき、感謝でした。「ここには聖霊様がおられる」と言っておられたのが印象的でした。毎週の礼拝を繰り返していくことで精一杯になってしまう現状がありますが、マルタのように「あれをしなければ、これをしなければ」と忙しく立ち振る舞うことよりも、マリヤのように、主のみそばで、その語りかけを受けていくことを大切にしたい。そのために準備を重ねていくものでありたいと思わされました。
 秋を迎え、今後は11月の召天者記念礼拝と12月のクリスマスに向けての準備も始まっていきます。特にこれらは未信者の方が多く参加してくださるものです。一つ一つ守られていくように、どうぞお祈りください。

<2019年8月>

 暑い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。
 先日、七月二十一日の礼拝には、M・K姉がご主人のS兄とともに顔を見せてくださいました。ご主人の実家が近いということで、足を延ばしてくださいました。小さな群れには大きな励ましでした。
 心臓の手術をしたA・F姉は、状況としては依然として厳しい中にありますが、物が食べられるようになって元気になってきているように思われます。先日はご友人方が企画されて、自宅リビングにて松下佳代子氏のピアノによるサロンコンサートが開かれました。演奏が素晴らしかったのはもちろんのこと、F姉が友情を培って来られた方々の温かさに感動し、またK・Fさんによるギターの弾き語り「ねえ、おかあさん、あのね」という曲は、涙なしには聞けませんでした。「私は奇跡が起こると信じています」とおっしゃったF姉の願った通りになりますようにと祈らされます。どうぞ引き続きお祈りください。
 関西出身のM・T姉のことは、みなさんも驚いて祈っています。手術や検査も順調とのこと、引き続き祈らせていただきます。
 この炎暑の中で、集まるだけでも大変な中にありますが、細々とでも集会が守られていることが感謝です。ホームページだけでなく、紙媒体の教会案内を作ろうという声が上がるなど、私たちにできることを工夫しながら、前進していこうという中にあります。関西集会のために、どうぞ引き続きお祈りください。みなさんの上にも主の守りが豊かにありますように。

<2019年7月>

 いつも、お祈りをありがとうございます。いかがお過ごしでしょうか。六月二十三日、私は中津川集会を訪問させていただきましたが、関西集会の礼拝には東京からY・H兄が来てくださり、詩篇百二十一篇より「主は人生の旅路を守られる」と題してメッセージを取り次いでくださいました。恵まれた礼拝だったとのこと、感謝いたします。実はその日は会場が午前中しか取れておらず、午後には違う部屋に移動することになっていましたが、移動した先の部屋でも一時間だけで、ゆっくり交わることができない状況であることに直前になって気がつきました。慌てて、喫茶店なりで続けて交わりを持っていただくよう連絡を回すというような舞台裏があったのです。複数人で毎週予定を確認できた東京の事務連が懐かしく思われましたが、こちらでも知恵を出し合っていきたいと思います。当日は、礼拝後も喫茶店で六人ほどでよい交わりを持つことができたとのことで、本当に感謝でした。
 私も無事に中津川を訪問し、M・H兄やご兄弟らと幸いな礼拝の時を持つことが出来ました。ご兄弟方が久しぶりに集まる機会となっているとも聞き、召天者記念礼拝のような内容で第一テサロニケ四章九節〜十八節より「神の慰めを」と題して語らせていただきました。礼拝賛美のためにはH兄のギターをお借りして、お父様の愛唱歌などを選曲させていただきました。みなさんからも様々な話を聞かせていただきましたが、メッセージ中に涙ぐんでおられる方もおられ、聖霊が働いてくださっていること、みことばに力があることをまざまざと見せられました。引き続き、中津川集会の上に主のお取り扱いがありますようにと祈らされます。帰りには名古屋駅で、真信牧師との交わりも与えられて感謝でした。
 七月七日の礼拝には、サービス付き高齢者住宅に引っ越されたN・S姉が久しぶりに礼拝に参加され、お元気な様子をみなで感謝しました。礼拝メッセージも久しぶりにマタイの福音書に戻り、七月からは通常運転に戻るという感覚です。十四日の礼拝は、A・F姉のお宅での礼拝です。手術で取りきれなかった心臓の腫瘍が大きくなってきており、厳しい状況にあります。どうぞお祈りください。

 

<2019年6月>

 梅雨の時期、いかがお過ごしでしょうか。
 私は風邪をこじらせて喘息を起こしてしまい、六月二日の聖日はみなで阿佐ヶ谷の礼拝をライブ配信で視聴させていただきました。喘息などの病を抱える牧師にとって、それを克服していく努力が必要なのは当然としても、このような時にどうするのかは大きな課題です。私の場合はライブ配信を利用できることは感謝ですが、「自分がここで語る責任」という使命感から、出来るだけそれは避けたいという思いもあります。しかし、ここで無理をしたら発作は一ヶ月単位で長引いたと思われます。優先順位としてはそれを避けることの方が先です。使命感がいつの間にか「どうしても語りたい」という自我になっているということもあることに気付かされ、自分の限界をわきまえ、謙虚に他を頼らせていただくという経験になりました。
 みなさんの祈りのおかげで咳込みは落ち着き、六月九日のペンテコステ礼拝ではギターを持ち込んでたくさん賛美をささげることが出来ました。そのためにホテルの会議室を借りていましたから、咳が治まった事は本当に主の憐れみでした。賛美と祈りを交互に捧げながら、深く主に祈っていく祈り会になりました。また伏せって身体を休めていた間、礼拝メッセージのゼロからの準備はできませんでしたので、これまでのものに手を入れたのですが、それも「新しいものをゼロから用意して語る」ことにこだわるのか、「今、私たちに必要な内容を吟味して語る」ことが大切なのか、自分の状況に照らし合わせて臨機応変に対応する訓練になりました。そして、一度語った内容ではありましたが、本当にこれは今の私たちへの主のことばだと思われる箇所からのメッセージをさせていただき、礼拝後、何人もの方から「本当に今必要な内容だった」との反応を得たことも大きな経験となりました(コロサイ三章一節~一四節「新しい人として生きる」、ホームページで録音を公開しています)。自分のこだわりではなく、聖霊の導きにゆだねていくことの訓練をさせていただいた、幸いなペンテコステとなりました。
 引き続き、関西集会の歩みを覚えてお祈りください。

<2019年5月>

 木々の緑が心地よい季節となりました。いかがお過ごしでしょうか。
 四月二十一日のイースター礼拝は、M・N姉のご自宅で捧げることができました。初めての場所でしたが無事に集められ、イエス様の復活をお祝いすることができました。ヨハネの福音書二十一章十五節〜十七節より「キリストの友として」と題してみことばを取り次がせていただきました。久しぶりにギターを持ち込んで、「よみがえりの主」などを賛美することもできました。午後はそれぞれのお弁当を開きつつ、地元老舗の焼き菓子や、道の駅の特産干し柿
などを囲みつつ、それぞれの近況や祈祷課題を聞きあい、祈りあって散会となりました。
 四月二十八日にはC・S姉が礼拝に参加してくださり、嬉しい再会となりました。
 五月十二日はA・F姉のご自宅での礼拝となります。F姉は自宅療養中ですが、自分や息子さんも礼拝に出られるからとの強い希望をお持ちでした。これを書いている時点で、次聖日の礼拝となります。久しぶりのFさんのお宅での礼拝を楽しみにしています。また知り合いが紹介してくれたクリスチャンの青年がこの日の礼拝に参加してくれることになりました。よい関係を築いていけたらと願っています。
 元号が変わり、時代が変わっていく中にありますが、私たちは主の年を覚えつつ、変わることのないみことばに生かされていきたいと願っています。今後もどうぞ覚えてお祈りください。

<2019年4月>
 こちらに来てから三年目の春を迎えています。一年目はこれまでのものを継続・維持することに腐心し、二年目は新しい事を始めたくてもなかなか事が動かないということを経験しつつ、そうこうしている間に怪我や病気、年齢の事などでなかなか礼拝に集えなくなるメンバーが一人、また一人と増えてくるという中にあります。今後、関西集会がどのように歩んでいくのか、今は大きな岐路にあると思います。場所のことなど様々な制約や不便がありますが、それらを逆手に取った教会形成ができないか、神さまの導きを求めています。昨年来祈っている「舟の右側に網を下す」ということがどういうことなのか、ますます祈り求めていきたいです。
 四月六日(土)には北摂地区牧師会主催でイースターフェスティバルが開かれ、私はプロジェクターの奉仕をさせていただきました。関西集会からも四人参加しました。講師の大嶋重徳師は「私は信じない」というタイトルで語ってくださり、イエス様の復活を信じられなかったトマスの葛藤を見事に描きつつ、私たちをそこに重ねてくださいました。賛美ゲストの福原タカヨシさんの賛美も素晴らしく、引き込まれました。企画側の反省点は多々ありますが、よい集会となったと思います。お祈りをありがとうございました。
 四月二十一日(日)にはイースター礼拝がもたれます。A・F姉のお宅での予定でしたがご自宅で療養中のため、高槻の隣の島本町に引っ越されたM・N姉のお宅で行う事になりました。初めての場所に行く事は、高齢の方々には負担が大きいです。ぜひスムーズに行えるようにお祈りください。
 六月二十三日には真信牧師と一緒に中津川集会を訪ねる事になりました。関西にはY・H兄が来てくださり、礼拝メッセージの労を取ってくださいます。ぜひお祈りください。
 みなさんの上にも主の豊かな臨在がともにありますように!

<2019年3月>

 こちらに来てから丸二年になろうとしています。神さまに守られ、みなさんの祈りに支えられての日々でした。心から感謝しています。一回一回の礼拝で聖書のみことばを取り継ぎ続けること。それが礼拝者お一人お一人の生活に根付いていく様子を見届けること。メッセージ準備だけでなく、場所の手配も、週報やプロジェクター投影の準備も、すべてはそのためであることを肝に銘じていたいと思います。主から託されたことに忠実でありたいと願います(最近、うっかりミスが続いていますので、お祈りください)。
 お祈りいただきましたA・F姉の手術は無事に終了し、現在はリハビリに励んでおられます。お祈りを本当にありがとうございました。術後の経過のためにどうぞ引き続きお祈り頂ければと思います。
 個人的には、娘の幼稚園の父親仲間の方々との交流が与えられて感謝しています。教会の外で「地の塩・世界の光」として生きることを語り続けている自分が机にかじりついていては本末転倒です。しかし悲しいかな、日曜に向けて平日に準備をするわけですから、どうしても教会の中のことに終始してしまいがちです。人々のことばや文化に寄り添う形で語ってくださった神のことばを取り次ぐのですから、私自身がそのように生きなければならないと自戒してい
ます。この者の牧師としての歩みのために、どうぞ祈っていてください。
 家族も守られていて感謝です。健康や安全のために、引き続きお祈り頂ければ感謝です。
 みなさんの日々の上にも、聖霊の満たしと励ましが豊かにありますように!


<2019年2月>

いつもお祈りをありがとうございます。
 先月は、ひと月阿佐ヶ谷のメッセージを聞くことができました。自分は福音をまだまだ知らない、もっともっと知っていきたい、そのように思わされて感謝でした。
 一月十七日には奈良県のK・O姉を、I・Y姉と一緒に伺いました。九十歳とは思えない元気な方でした。場所としての教会、礼拝には集えなくても、神さまにしっかりつながっておられる様子に励まされました。遠くの方を訪ねるといつも思われることです。
 また新しい試みとして、創世記の連続講解で手元に蓄積されたメモをホームページ上で公開することにしました。現在、ホームページにはそれなりに各地からアクセスがあり、閲覧されているようです。未信者の方にも聖書に興味を持っていただけるように、説教の準備段階でのメモですが、週報に掲載してきた「メッセージのポイント」と合わせて公開することにしました。現在、少しずつ整理して公開し始めたところです。二月から始まったマタイの福音書に関しても、随時公開していく予定です。集会の皆さんにも紙でお配りすることで、関西では作成していない「要約」の代わりとして用いられればと思います。あえて原稿や要約といった文章ではなく、箇条書きのメモですが、それを追えば内容を思い出せるようなものにします。お一人お一人がみことばに養われるために試行錯誤です。また変わるかもしれません。
 みなさんの様子としては、体調を崩されたり、怪我をされたり、入院された方もおられます。また具体的にお祈りをお願いすることがあるかと思いますので、どうぞ今から関西のことを覚えていてくださればと思います。感謝しつつ。

<2019年1月>
 主の年二〇一九年、明けましておめでとうございます。昨年は、丸々一年間を牧師として過ごした最初の年でした。日々の説教準備、毎週の礼拝の用意、毎月の会場ネット予約、不定期の訪問などに加え、六月の大阪北部地震や、また九月の台風二一号など災害時の安否確認、交通状況を鑑みての礼拝開催の可否の判断など、様々なことを経験させていただきました。十一月の召天者記念礼拝やクリスマス礼拝では、未信者のご家族にも聖書の語る希望を取り次がせていただき、本当に感謝でした。今年はどんな年になるか、今からワクワクしています。
 クリスマス礼拝はホテルの会議室で行い、ルカの福音書より「知らせを受けたものとして」と題してみことばを取り次がせていただきました。羊飼いたちのように私たちもこの知らせを喜んでいたい、そしてそれをもって人々に仕えていきたいと、みことばの励ましを確認しました(録音をホームページで公開しています)。H・N姉のアルバ(ハープの一種)による特別賛美も礼拝に彩りを与えてくださり、午後は各自持参したお昼ご飯の後にケーキやお菓子を楽しみながら、K・T姉のオカリナをお聴きし、我が家の子どもたちも特別賛美やゲームの司会に加わってくれました。最後はLEDのキャンドルだけ灯しての「きよしこの夜」。幸いなクリスマス礼拝&祝会となりました。
 その後、年末最後の礼拝では創世記の講解説教を語り終えることができました。牧師として派遣された二〇一七年の春に十二章から連続講解を始めましたが、毎週聖書と格闘しながら、この恵みのメッセージをそのまま取り継ぐにはどうしたらいいか試行錯誤を繰り返す日々でした。新年一月中は阿佐谷からのライブ配信で「今年のみことば」のメッセージを拝聴し、二月からはまた新しく講解説教と、月に一度テーマ説教を取り入れていく予定です。今後とも、私たちの歩みのためにどうぞお祈りください。

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