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「越境する聖霊」への寄稿
〜異言への抵抗感を乗り越えて

以下の「異言の祈り」に関する証は、雑誌『舟の右側』に掲載された連載記事「越境する聖霊」に寄稿したものです(2020年4月号掲載)。この連載では、いわゆる聖霊派以外の教会も含めて、諸教会でどのように聖霊の体験がなされているのか、様々なケースが紹介され、分析されていきました。既存の聖霊論まずありきではなく、フィールドワーク的に様々な事例を集めて、そこから見えてくるもので帰納的な聖霊論の構築を目指したいという趣旨に賛同し、お引き受けした次第です。自分自身にとっても、信仰の歩みを振り返る良い機会となりました。

異言で祈るタイプの方には、ご自分の祈り方を客観的に説明するための参考になればと思いますし、異言で祈らないタイプの方には、これが決して熱狂主義や自己絶対化とも違うことを理解していただきたいと思います(残念ながらそういうケースもあるとは思いますが、それは異言の有無にかかわらずすべてのクリスチャンが自戒すべきことです)。クリスチャンではない方にとっても、こういうこともあるのかと読んでいただけたら幸いです。

それにしても、この異言ということが混乱の元になってきたことは事実です。私は自己相対化に導かれていきましたが、異言を語るようになって力を得たかのような錯覚をし、自己絶対化して他者を裁くケースが過去たくさんあったのです。それこそ、新約聖書の時代からそのような混乱がありました。そして、それゆえの反動か、聖霊の賜物はもう終わったのだという「終焉説」がはびこり、異言で祈るという実践が全否定されてしまったということもあります。多くの方が、この両極端の中で痛み、傷ついてきたと思います。私のケースは、それこそ事例の一つです。

雑誌側の快諾も得たので、私の証の部分だけをここに掲載いたします。なお、紙面の方には明治学院大学の深谷美枝先生(横浜聖霊キリスト教会牧師)による解説が含まれます。もしよかったら、これも合わせてお読みいただければと思います。

なお、​いわゆる福音派の方々からも好意的な反応を多く得られたことに感謝しています。異言云々にかかわらず、悔い改めて聖霊に触れられるということはすべてのクリスチャンに共通の体験です。そこを丁寧に説明でき、またそれを読み取ってもらえたのだと思います。感謝です。

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​越境する聖霊 〜異言への抵抗感を乗り越えて

​​田中 殉

1.罪意識で打ちのめされてからの大逆転、聖霊に触れられる

 私は生まれも育ちもいわゆる福音派で、異言はおろか、聖霊についてもあまり詳しく聞いたことがありませんでした。神さまに導かれてとしか表現しようのない経緯で久遠キリスト教会に集うようになりましたが、初めて異言の祈りを聞いた時には驚きました。礼拝の中ではあまり聞かれませんが、祈祷会ともなると意味不明な言語で祈ったり歌ったりしている方々が大勢おられたからです。しかし、聖霊の賜物が力や能力のようなニュアンスで語られることはなく、聖霊とは徹底した罪理解と十字架信仰に導くための助け主というメッセージに養われていくうちに、私自身も「聖霊の満たし」を求めるようになっていきました。
 それまでの私は、救われたんだから頑張って神さまのために何かしていこう、頑張って神さまに喜ばれる生活をしよう、と信仰の主語がどこまでも自分だったのです。しかし「私たちのうちからは何もいいものは出てこない、100%の罪人だ」という徹底したメッセージを受け続ける中で、目からうろこ・目から涙の連続でした。私たちが達成するのが義なのではない、イエスさまの十字架こそが義なんだということ、私はただの罪人で、からし種ほどの信仰すらも自分にはなく、だからこそ十字架が有り難いのだということを受け取らされていきました。
 ある時、祈祷会でマタイの7:21-23からメッセージが語られました。その後、祈りだしたら涙が止まらなくなったのです。

わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者が入るのです。・・・わたしはそのとき、彼らにはっきりと言います。『わたしはおまえたちを全く知らない。不法を行う者たち、わたしから離れて行け。』

 頭を殴られたような衝撃でした。自分はKGKのリーダーなどを務めて信仰が充実していると思っていましたし、後輩たちの信仰の成長のために用いられているという自負があったのです。しかし、上の御言葉を聞いたとき、私は口先だけで「主よ、主よ」と言いながら、どれだけ神さまの御心を尋ね求めてきたのだろうと不安にさせられました。神さまから「わたしはお前を全然知らない」と言われたらどうしようと思いました。主よ、こんな者でしかありません、お願いです、あわれんで下さい、知らないなんて言わないで下さい…。ボロボロ泣きながら、牧師と一緒にしばらく祈っていました。

 しかし、祈りながらIヨハネ3:1の御言葉が思わされたのでした。

御父がどんなにすばらしい愛を与えてくださったかを、考えなさい。事実、私たちは神の子どもです。

 平安が与えられて、安心して寮に帰ったことを覚えています。今思うと、確かに聖霊が心に平安を下さったのでした。こんな罪人でしかない自分が、それでも愛され、赦されて神の子どもとされているということ、この感動に打ちひしがれるのはまさに聖霊のなせる業です。この「罪意識で打ちのめされてからの大逆転」は、その後も折にふれて体験させられるキーワードになりました。

2.しかし、聖霊に対してぞんざいな態度を取り続けた

 しかし「聖霊体験」という単語をかたくなに拒否していた私は、その平安も御霊が下さっているという事実に向き合いませんでした(ローマ8:15)。イエスさまを信じた時点で聖霊は受けているはずだからと(Ⅰコリント12:3)、さらに聖霊に満たされていくことを求めては祈らなかったのです。しかし、聖書は聖霊に満たされ続けていく必要性を語っています(エペソ4:18)。そして聖霊体験とは、神が内におられることを自覚的にはっきりさせられるために与えられるものでしょう。異言に限らず、信仰者は実存的な信仰の体験をしてきたはずであり、それらは一つ一つが聖霊の体験だったと思うのです。信仰が観念的なものにならないためにも、さらに祈り求めていけばよいのだと思います。
 「聖霊体験」という単語を拒否していた私は、つまりは神の内住はもう十分わかっているという態度を取っていたわけです。それでいて、興味半分で「異言が出るかも」という実験(?)をしたりと、ずいぶん聖霊さまに対してぞんざいな態度をとっていたと思います。「ハレルヤと言い続けていたら異言が出た。」という証を読んで、興味半分でハレルヤハレルヤと言いながら寝てしまったこともありました。神さまをたたえるための言葉を、興味本位の実験のようにして使ってしまったわけですが、その夜は汗をぐっしょりかいて、ガタガタ震えながら目を覚ましたのでした。震えで目が覚めるなど初めての経験で、とんでもないことをしてしまったことに気づかされ、その場で悔い改めの祈りをささげました。この出来事を通して、霊であられる主が生きておられること、そして霊的なことだけに、悪霊も確実に機会を狙っているのだということを思い知らされました。
 それ以降も「聖霊体験」という単語を拒否する態度は続いていたように思いますが、教会の祈祷会には毎週のように参加していました。そこで捧げられる祈りの渦の中に身を置き、一緒に祈ってくださる方の賜物を通して聖霊ご自身がとりなしてくださることの中に最大の平安を感じるようになっていたのだと思います。

3.絶望のどん底の中で異言を与えられる

 ある時、親友が洗礼(堅信礼)を受けることになりました。それは大きな喜びでしたが、その彼がクリスチャンの友人とちょっとしたことでいがみ合ってしまったのです。私は両方から話を聞いて心を痛め、なんとか二人にイエスさまを見上げて和解してほしいと、それぞれと時間を取り、彼らと涙と祈りを共にしました。しかし状況はあまり好転せず、明日は堅信礼という土曜日の夜に、私はその彼に「神さまの前に信仰を告白するその日に、人を赦せないままの心ではいてほしくない」という内容のメールを送りました。何度も四時間くらいかけて推敲しながら、文章を作ったのです。
 しかし返事が来なかったのです。無性に不安になりました。今でこそ、すぐに返信がこないことぐらいでと思えるのですが、当時の私は、信仰を告白する大事な日に友の心に波を起こしてしまったのではないだろうか、最悪の場合、彼は堅信礼を取り止めてしまうのではないかとまで考えました。人の信仰のために用いられるどころか、全くためにならない自分に絶望したのです。彼の堅信礼を見届けようと、仲間で駅に集まることになっていましたが、それよりもさらに朝早く、私は久遠教会の祈祷室にこもりました。向かう途中、電車の中で今にも泣きだしそうでした。
 祈祷室では、文字通り叫んでいました。もう何をどう祈ったらいいのかも分かりません。どう祈っても見当はずれのようで、どのようにとりなしたらいいのか、呻く言葉しか出てこないのです。ただただ神さまにあわれんでいただきたくて、こんな者の心に目をとめていただきたくて、祈るというよりわーわ一叫んでいました。ローマ8:26にあるように、御霊がとりなしてくださるというその祈りにお任せしようとしてのことでした。理性的に考えて言葉を発しているのではありません。しかしとにかく神さまに向けて訴えるように、祈るようにと促されるのでした。
 今思うと、異言で祈ったのはこの時が最初でした。神さまとの一対一での深いやりとり、異言は、自分の罪深さへの絶望のどん底で与えられたのです。泣きついたその祈りを主は確かに聞いておられ、すべてにまさる神の平安をいただいて会場に向かいました。彼の信仰告白を聞きながら涙がにじみました。堅信礼が終わって、彼とそのもう一人の友人が固い握手をしたのを見て、主の御名をたたえました。

4.御言葉がつながりだす

 このようにして自分の罪深さに打ちのめされ、神さまのあわれみなしでは祈ることすら出来ないことを思い知らされた時、教会でずっと受けてきた「自分には信仰はない」というメッセージが生きて迫ってきました。この者の罪を示してください、あなたの十字架をないがしろにさせないで下さいと祈っていた祈りは聞かれていました。そして、不思議と異言に対する拒否感も薄れていき、まず聖霊ご自身に満ち続けていただきたいということ、そして御心なら異言の賜物も与えてくださいと祈るようになっていきました。そのような祈りを励まし合う友人がいたことも幸いなことでした。そして気がつくと、教会を探していた数年前のあの頃のように、自分を取り囲むようにして聖書の御言葉がつながりだしていました。ヨハネ14:17、エペソ1:13、ヤコブ4:5-6、ローマ8:26など、枚挙にいとまがありません。

5.励まされて異言で祈り続ける

 ある時、何気ない会話の中で「自分は救われている。自分は神さまに愛されていて、それは絶対確実なのだ」ということをスッと受け取らされたことがありました。パズルがはまっていくような、不思議な感動でした。そして祈りました。教会で、異言の祈りも知性の祈りも、御霊によって祈る祈りは霊の祈りだということを励ましていただいていましたから、知性を用いて日本語で、そして、時折バラバラとロからこぼれ落ちる言葉が異言なのか何なのか分からないでもそのままに、とにかく祈りました。これが何なのかも分からない、そんなものでしかない、とにかく祈りなさいと励まされていたこともありました。祈りながら、「主がおられる」と思いました。
 その日はそのまま教会に行って祈祷会に参加しました。多くの方が聖霊の満たしを求める若者たちのためにと祈ってくださっていましたが、二人三人で祈る時間、祈っていたら伝道師の方が、「あらー、田中くん、異言で祈ってるじゃない」とおっしゃったのです。私は「よくわからないんです」と答えました。その前の日曜日には他のメンバーにも同じことを言われて一緒に祈ってもらっていたのです。「異言は田中君が祈ってるんじゃないの、田中君の賜物じゃないの。だからあれこれ心配する必要はないの」と、伝道師は異言の持ち主はあくまでも主であることを確認してくださいました。賜物として与えられた私が所有して、私が使って、私が祈って…ではないのです。祈る主体は私ですが、聖霊が私たちの完成のために呻いておられる(ローマ8:23-26)、その祈りに同調して祈らされるのです。言語化する前の言葉で、聖霊が祈っておられることに同調していくとでも言えるでしょうか。このように整理できたのはずいぶん後になってからですが、聖霊にお任せして祈っていけることがとても嬉しく、平安でした。牧師にも「異言ですね」と確かめていただきました。3月の半ば、大学の卒業式を目前に控えたある水曜日のことでした。

6.喜びが満ち溢れる

 それ以来、聖書の御言葉に心が動かされることが多くなりました。外出先でローマ8章を読んでいた時は、嬉しさと有り難さが入り混じって震えと涙が止まりませんでした。Ⅱコリント5:17からは、まるで異言が御霊の祈りであるように、私の人生も主の所有であるということを示されました。「キリストのうちにあるなら」、つまりこのお方に人生を明け渡すなら、「見よ、すべてが新しくなりました」と完了形で語られるこの御言葉が成就していくのだと思います。自分の信仰がとても楽にされました。

7.自己の相対化

 このようにして異言への抵抗感を乗り越えてきたわけですが、その歩みは自分を相対化していく作業とも重なっていたと振り返っています。福音派の教会で育ち、高校や大学でリベラルな神学に触れ、福音派と聖霊派の中間のような教会で養われての異言体験を経て、福音派の神学校で学ぶに至ったわけですが、その折々で様々な神学や立場の方々と出会い、影響を受けてきました。一見バラバラな各要素は、自分の中では互いに「越境」し、統合されていったのです。それに先駆けての異言体験であったという側面に、今回気がつかされました。学生時代は様々なタイプの信仰者に出会い、刺激を受けつつ葛藤も大きかったことを思い出します。あの頃は自己の相対化など出来ませんでした。今振り返ると残念な物別れもいくつか経験しました。神さまは私たちの小さな神学理解の枠組みになど収まりきらないはずなのに、自分がすべてを分かったつもりになって相手を否定するのは奢りでしょう。そのように我の強い自分でしたが、自分が握りしめているものを手放して自己を相対化していくためには、自分の舌を明け渡すという祈り方が私には必要だったのだと思います。学生時代の締めくくりに、将来の献身も決意していたあの時期に異言が与えられたのは、そのことの象徴だったのかもしれません。
 献身して神学校で学んだ時にもそうでした。私が学んだのは福音派の牙城のようなところでしたので、聖霊信仰ゆえの葛藤がなかったわけではありません。それでも大学が併設されていたり、超教派が謳われていて、視野の広がり、キリスト教世界観の広がりが大切にされており、印象深い対話もずいぶんとすることが出来ました。それらの一つ一つは私の糧になっています。カルヴァン神学と聖霊信仰の違いに苦しむかと思っていましたが、違う表現だけど言わんとすることはきっと一緒だということを探すことを楽しんでいたように思います。例えばカルヴァンの言う「人間の全的堕落」ということも、久遠教会が大切にしてきた霊的遺産と合致していましたし、「自分の信仰で救われるのではない、自分には誇れる信仰なんてない、しかしイエスさまの信仰で救われるのだ」と聞かされてきたことも、神学的に整理することができたのでした。葛藤よりも、自分の中でバラバラだったものが統合されていく喜びの方が大きい期間でした。そのためには自己を相対化していく必要があります。自分の理解、自分の枠組みを取っ払い、自分の舌を明け渡して祈る異言の祈りが、そのためにも私には必要だったのだと思います。
 異言で祈る自分は自己相対化がしっかりとできるようになった、と自信を持って言うことなど今もなおできません。変なこだわりをもっていて、牧会の上でも、家庭においても、自我を押し通す場面がよくあります。しかし、異言で祈る中でそれらが溶かされていくこともまた経験しています。自分の罪が示されたなら、悔い改めるのです。そしてまたさらに祈っていく。聖霊とともに祈りあっていく中で、私の人生は進んでいくのだということの平安を味わっています。

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