関西集会の歴史

 久遠キリスト教会関西集会の歴史は、丹羽鋹之先生の聖書講解テープを用いて関西各地で開かれた家庭集会にさかのぼります。1967年に奈良集会と京都集会、1970年に高槻集会、1971年に中之島集会が始まりました(他にも各地に個人の集まりがありました)。1981年には京都集会が独立し、1995年には奈良と高槻が合同して関西集会となりましたが、1996年に京都と関西の合同で「関西合同集会」としての礼拝を開始します。以下、1994年発行の『久遠基督教会五十年の歩み』から引用します(p.257「地方集会の成り立ちと現況」)。


<奈良集会>
 三浦真照兄は一九六〇年に大学卒業と同時に朝日新聞大阪本社勤務のため関西に移られたが、しばらくしてご自宅で丹羽先生の聖書講解テープによる集会を開かれ、次々と導かれる魂が起こされた。そして春秋二度は丹羽先生が訪問し、夜を徹しての特別集会が持たれ、多くの方が集われたのであった。
 一九七六年、三浦兄が東京勤務になられた後は、山田泰三兄姉宅に引き継がれ、一九九〇年六月、泰三兄召天まで続けられたのであった。その後は各自テープやビデオを通して導きを受け、あるいは近くの教会で礼拝を守る兄姉もある。
 現在(※1994年4月時点)、月に一度、奈良で礼拝と落穂会をもち、一カ月に一度、毎月最終聖日に高槻での関西合同集会に参加しておられる。

 

<高槻集会>
 菅匡夫、孝子兄姉は、関西各地や福岡などへ転勤されることが多かったが、その度毎に社宅の方たちに呼びかけ、東京の聖書講解テープを用いての集会をしてこられた。そして一九七〇年に大阪府高槻市に家を新築されてからは、聖日毎の集会、祈祷会や教会学校も開き、春秋二度の丹羽先生による集会には四十数名の参加をみたこともあった。
 その後も三浦先生によって春秋の訪問集会は続けられ、一九九二年七月に菅匡夫兄が召天された後は、小畑実兄はじめ兄弟方の司会によって東京からのビデオによる集会が持たれ、毎月最終聖日は関西合同集会として奈良方面の兄姉も集って二十数名となり、東京から伝道スタッフの兄弟がつかわされ、あるいは依田賢太郎兄や津田長太郎兄が立てられてメッセージを担当し、よき交わりが持たれている(※1994年4月時点)。

 

(なお、引用中にもあるように京都との合同以前にも1994年時点で奈良と高槻による「月に一回の関西合同集会」と呼ばれる形態がありました。その後1995年に正式に奈良と高槻が合同し、1996年には京都と合同したという流れになります。)

 引用元は二十年前の文章ですが、当時の雰囲気をよく伝えています。その後、2008年10月に京都集会との合同は解除され「関西集会」として再出発しました。礼拝の場所も菅姉の自宅から高槻市内の公共施設へと変わります。この間に敬愛する兄姉らを天に送りつつも、2017年、牧師を迎えて今に至ります。

(2017年10月、田中記)

© 久遠キリスト教会関西集会