高槻だより 2018

<2018年1月>

 明けましておめでとうございます。昨年は多くの方の祈りと励ましによって、関西集会にとって、また私個人や我が家にとっても、新しい歩み出しとなりました。心より感謝申し上げます。本年もよろしくお願いいたします。

 先月のクリスマスはF姉のお宅で守ることができました(経緯は先月号の月報参照)。高槻駅からのバスの便がよく楽器も使用可能で、12月10日にお試しで使わせていただく予定を組みましたが、その前の週にF姉のお姉様が亡くなられ、急遽、24日のクリスマス礼拝になりました。(世田谷の施設に入所していたお姉様は、11月27日にK・Y伝道師とJ・T姉の訪問を受け、認知症等の苦しさの中でもF姉ともどもに大変喜んでおられた矢先でした。祈りと交わりの中で、それまでの怒りに満ちた表情がうそのように平安に満ちた穏やかなものとなり、最後は明るく手を振って別れたとのこと。幼少時より触れてきた福音に心を寄せられたのでしょう。葬儀にはY師も駆けつけ、F姉の息子さんによるギター演奏によって三人でしめやかに送られました。それまでのご家族の苦労は相当なものでしたが、「姉は十分幸せで神様の御許へ召されたと思います。今はもう全てが神様の御心だったと信じています。心から感謝です」と、F姉の証しです)。

 24日は、気兼ねなく歌える賛美にオカリナや独唱も加わって、クリスマスの喜びあふれる礼拝となりました。メッセージはルカ2章1節~20節より「世界で初めのクリスマス」と題して、半年かけて読んできたアブラハムのストーリーを思い返しながら、人々の中で「良い知らせ」を伝えていった羊飼いたちのように、私たちも地の塩・世界の光として神さまのみわざの目撃者となっていきたいと取り次がせていただきました。その後はお昼を囲みながら、みなでこの一年の恵みを振り返りました。大きな変化のあった年でしたが、みなさんが主にあって喜んで受け取って来てくださったことを知れて感謝でした。最後は時間のある人で映画「マリア」のDVDを鑑賞。よく出来た映画でおすすめです。

 今後とも、関西集会の歩みを祈りのうちに覚えていただけると幸いです。感謝しつつ。

<2018年2月>​

 いつも関西集会のためにお祈りくださり、ありがとうございます。日本各地での積雪のニュースには驚きましたが、高槻市内はたまにうっすら雪化粧という程度で、バスでの移動も守られています。一月はライブ配信で礼拝を守らせていただきました。みなで今年のみことばをじっくりと味わうことができて感謝でした。二月からは創世記の続きから、また講解説教を続けています。
 お祈りいただいている礼拝場所については、公共施設の予約を月に二回ほど入れ、その他の日はF姉のお宅をお借りしながら様子を見ていくことになりそうです。先日はクリスマス以来二回目の布施宅での礼拝でしたが、じっくり賛美と祈りの時間を持つことができました。アコースティックギターで奏楽しながら賛美のリードができるのは、私にとっては大変ありがたいことです。慣れている分、礼拝全体を見渡しながらメッセージにも集中できます。公共施設の方でも、今まで敬遠してきた音楽室の申請をしてみたところ、月に一度程度当選するようになりましたので、月に二回はF宅、一回は音楽室、一回は会議室というペースを想定しています。
 また先月から、第一聖日の午後を定例会として課題のために話し合い、祈る時間を始めました。主に礼拝の持ち方や関西集会のあり方といった内容ですけれども、話し合いの持っていき方やリードの仕方も牧会上の大きく問われる点だと痛感しています。牧師の一声や独断で物事が決まっていくようではいけないので、全員参加型で群れを導いていくことの難しさと醍醐味を知らされています。
 早いもので、こちらに来てから一年になろうとしています。この一年の守りを神さまとみなさまのお祈りに心から感謝しています。

<2018年3月>

 主の御名を賛美します。今月で、こちらに来てから一年になります。祈って送り出してくださった東京の皆さん、祈って迎えてくださった関西集会の皆さんをはじめ、祈りに覚えていてくださったお一人ひとりに、何よりも神さまに心から感謝しています。牧師として一つの教会を任されることの責任の大きさを感じつつ、勝手の違う新しい環境に慣れることからまず始まった一年前でした。家族と一緒の引越しでもあったので、子どもたちの学校や幼稚園のことなど不安に思うことも多くありましたが、神さまは折に触れて助けてくださいました。阿佐谷で伝道師として経験させていただいたこと、見聞きしてきたことは大きな力になっていますし、家族もそれぞれに良い友人たちとの出会いが用意されていました。主に感謝します。
 二年目は「慣れてきた」ところから少し進めたらと願っています。力みすぎて疲れてしまうのではなく、焦らずに、細く長く続けていきたいと思います。「こうなったら良いのではないか」「ああしたらいいのではないか」と思い描くことは多々ありますが、時を待ち、神さまからのGOサインが出たら迷わずに進むという歩み方を訓練されているような手応えがあります。神さまの臨在の中で祈り、待ち、決断するものでありますように。礼拝メッセージで創世記の講解を続けさせていただいていることも大きいでしょうか。アブラハムやイサク、ヤコブという決して完璧な人物ではない、むしろ混乱と痛みを抱えていた彼らが神さまから取り扱われていく様を追っていると、自分が深く取り扱われます。みことばと向き合い、その内容を伝えるために論理立てて考え、作文するというのは強いられた恵み(特権)です。神さまのことばの奥深さをこれからも味わい、解き明かしていきたいと思います。そして、それに則ってみなで祈りと交わりを楽しんでいきたいと思います。特に年長の方が多いので、話されることの一つ一つが貴重です。神の家族、キリストのからだとしての教会をまた深く味わえる一年となりますように。

<2018年4月>

 イースターおめでとうございます。イエス様は復活されたのであり、お会いできるのだし、声を聞けるのだという事、「舟の右側に網を下す」という新しい道を教えてくださるのだという事をみなで語り合い、祈り合った幸いなイースターの礼拝でした。
 イエス様は実際に「舟の右側」を教えてくださったと思います。昨年は礼拝をとにかく続けるということを意識してきましたが、今年はもっと対外的にアピールしていきたいという願いがあります。定まった住所もない私たちには、ホームページの活用が大切になってきますが、借りている公共施設の名前が出てしまうので、施設側に迷惑がかからないよう、検索に引っかからないクローズドなものとしてきました。楽器の事で施設側に迷惑をかけた経緯もあるので、やぶへびを恐れてそのまま来ましたけれども、イースター礼拝の帰りに「舟の右側」を意識して聞いてみたところ、団体のホームページに施設名が載っても問題はないことがわかりました。過去には教会名で施設を借りていた時に周りからクレームがあり、「久遠のつどい」という名前に変えた経緯がありますが、以前は個人でしか借りられなかったのが昨年の10月から団体も利用できるようになったとのこと、その活動の告知にここの施設名が載っていても問題はないと。主に感謝しました。その後四月の定例会でみなさんと話し、ホームページをグーグルの検索に対応させました(適応されるのには時間がかかるようです)。また北摂イースターの当日配布物に「教会名+牧師名+ホームページアドレス」を載せていただくこととしました。小さな一歩ですが、次のステージに向けてイエス様が網のおろし方を教えてくださったと思います。今後とも私たちの歩みが守られますよう、どうぞお祈りください。
 その日の定例会では、他の議題に関しても「主がみことばと御霊とで教えてくださってから物事を決める」ということの証がなされ、一同心を燃やされたことでした。主との人格的な交わりの中で、確かに御声を聞かせてくださる主の導きに目を凝らし、耳を澄ませていきたいと強く願っています。

<2018年5月>

 主の御名を賛美します。関西集会ではイースター以降、私たちにとっての「舟の右側」(ヨハネ21:6)とは何なのかを祈り求めているところです。しかし、示されたことが次の展開を見せるまでに時間がかかることもあるということもまた、教会として体験しています。礼拝メッセージではヤコブの箇所も佳境にさしかかっていますが、彼がカナンの地に帰ろうとしたことは(創世記30:25)、それがアブラハム契約の継承者としての彼の使命であり、主の御心だったからです。しかし、その時はまだ神さまの時ではありませんでした。御心に沿う方向性ははっきりしていても、明確なゴーサインが出るまでに六年が経過したと思われます(31:3, 38)。神さまの時を待ちながら、じっと備えをしていたヤコブの成長した姿に大いに励まされ、教えられています。
 牧師のなすべきこととして「牧会」と「伝道」は両輪です(最優先が「礼拝」であることは言うまでもありません)。牧会という「内側」のことだけでは、私自身の言葉が内向きになってしまうことに危惧を覚えており、その意味でも「外側」に向けた言葉を語れるように、伝道という意味で舟の右側を求めていきたいと願います。しかし、いたずらに焦るのではなく、神さまの時を待ちながら、その時その時に出来ること、なすべきことを誠実になしていくことが大切だとも教えられています。特に、「新しいことをしなければ」という焦りで何かを企画しようとしても、お年を召されたお一人お一人に過多な負担をかけることになってはいけません。先日の定例会で、「日々の生活を気をつけて送り、日曜日に礼拝に来るだけで精一杯である」ということが差し出されましたが、正直にそのままを差し出してくださったことが本当に感謝でした。同時に、「何も出来なくて申し訳ない」という声も挙がりました。しかし、何も出来ないどころか、ともに礼拝を捧げる中でどれほど励まされているか知れないのです。それぞれが日々生きているその現場で、どれほど主のみわざがなされているか、そのことを語り励ましていくことが、この群れの牧師である私の枠割だと感じています。「外に向けて」の言葉と姿勢には引き続き気をつけつつ、「内に向けての牧会」とのバランスは人間業ではないなと痛感しています。ペンテコステのこの季節、聖霊の満たしを祈り求めていきます!

 

<2018年6月>

 いつもお祈りをありがとうございます。梅雨の季節となりましたが、みなさまはいかがお過ごしでしょうか。先月五月二十日のペンテコステ礼拝はワークホテル高槻の会議室を借りて礼拝をお捧げしました。コロサイ三章一節~十四節から「新しい人を着た」ということについて聖書のみことばを取り次がせていただき、午後には祈り会を持ちました。昼食を囲みながらいろいろと差し出された祈祷課題も合わせて、聖霊の満たしを求めてじっくり祈り、賛美する時となりました。ある方は「今朝は身体がきつくて来られないと思っていたけど、不思議とフッと楽にさせられて、押し出されるようにして今日は来ました」とのこと。聖霊さまは日常の何気ないところで私たちを励まし、礼拝へと向かわせて下さるのですねと感謝しました。

 また五月二十六日~二十七日には真信先生を送ってくださり感謝します。二十六日には高槻駅近くの喫茶店で二時間近く話し込んだ後、我が家にも来ていただいて、家族ともゆっくり交わってくださいました。子どもたちも大喜びでした。翌日の礼拝ではメッセージを取り次いでいただき、午後の交わりも豊かな時間を与えられて、本当に感謝でした。エペソ六章十八節~二十節を中心に「大切な祈り」と題して、今の私たちにピッタリなメッセージを取り次いでくださいました。久しぶりに畑中兄も来られ、ずいぶんと回復された様子を見ることができ、みなで喜んだことでした。

 教会としてどのように歩んでいくのか、祈りながらの模索は続いています。礼拝に集われるお一人お一人も、それぞれの生活の場で神さまの導きを求めており、互いに祈り合っています。時間をかけて導かれていった聖書の登場人物たちの姿に励まされながら、神さまが一人一人に、この教会に、ぴったりの語りかけをしてくださることを信じ、期待しつつ、なお祈っていこうと思います。

<2018年7月>

 主の御名を賛美します。6月18日に発生した大阪北部地震では、お祈りをいただいて本当にありがとうございました。大阪では観測史上最大の揺れだったようです。高槻近郊の教会員にも怪我はなく守られましたが、高槻市と茨木市では一部断水に加えて都市ガスも不通となり、特に震源に近い市内南部の方では一週間近くガスが止まりました。土砂崩れの恐れから一部で避難勧告も出されましたし、屋根瓦が損壊していまだに屋根にブルーシートを覆ったままの家も多いです。
 余震はだいぶ落ち着きつつありますが、7月5日からは停滞した梅雨前線による記録的な大雨で、連日大雨警報、避難勧告などの緊急放送が流れました。活断層に大量の水がしみこんでいる状況であり、気が抜けません。岡山や広島のニュースを見聞きすると、その被害の大きさに言葉を失っています。
 6月24日の礼拝は、それぞれが自宅で守りました(地震の影響で会議室が臨時休業のため)。7月1日は久しぶりに集まることができ、ともに礼拝を捧げられることを感謝しました。自前の会堂を持たないので、教会としての物的被害は何もなかったことは良かったと思います。その後、田中が喘息を発症し、7月8日の礼拝はインターネットのライブ配信を利用させていただきました。完全な回復のためにお祈りいただければ幸いです。
 一連の災害時の経験を通して考えさせられたことは、私たちはどのように地域社会に仕えていくのかということです。教会として例えば建物を持ち、定期的に地域とのつながりを保ち、法人として社会の一部であるならば、地の塩・世界の光として地域社会のために仕えるために、やるべきことは多いでしょう。では関西集会の場合はどうか。一人ひとりが自立的にそれぞれの地域で隣人に仕えるということに尽きるのだと思います。その核に主イエスへの信仰があり、それを励まし合うために教会として集まることを続けているのだということです。しかし、これはどの教会にも当てはまることだと思います。お互いに、主の民としての在り方をなお教えられつつ、歩んでまいりましょう。

<2018年8月>

いつもお祈りをありがとうございます。地震の次は大雨、そして記録的な猛暑と続いています。変則的な動きをした台風もありました。しかし、主なる神さまは何があっても変わらずに真実なお方だということを教えられているような、そんな気がしています。
 八月五日の礼拝準備をしていた時のことです。聖餐式のためにメッセージの時間を短くする必要がありつつも、創世記の続きの箇所を短く区切ることが困難でした。そのため詩
篇121篇を選んだのですが、思いがけずヤコブの歩みが重なってきて驚きました。神さまには私たちに語りたい、伝えたいと思っておられることがあるのだと確信しましたし、毎回の礼拝がそれを聞く場として用いられていることに畏れと感謝を覚えました。実際にその日の礼拝と午後の交わりでは、「主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」(121:8)とのみことばに、時にかなった慰めと励ましを多く与えられることになりました。今後も毎週の礼拝を大切にしながら、神さまの語りかけに耳をすませていきたいと思います。
 対外的な動きとしては、お休みをいただいた七月二十九日に、自宅近くの高槻バプテスト教会の礼拝に参加させていただきました。地域の方々との出会いもあり、牧師会でお世話になっている先生の日曜日のお姿からも多くを教えられ、貴重な機会となりました。また、十月十三日に北摂地区牧師会として日本国際飢餓対策機構の「食料デー」を開催しま
すが、牧師会内での実行委員として書記をさせていただくことになりました。主から管理を任されているこの地球上で、食料のいわゆる南北問題に私たちは無関係ではありません。多くの人の目が世界に向く機会となることを願います。またゲストで招く「ナイトdeライト」は、2016年のイスラエルツアーでもご一緒したクリスチャンロックバンドです。彼らの演奏も本当に楽しみです。
 気がつけば、八月も半ばを過ぎようとしています。暑い日はまだまだ続きそうですが、みなさんのお身体が守られますように。

<2018年9月>

 いかがお過ごしでしょうか。超大型の台風21号が大きな爪痕を残し、特に関西空港や大阪市などの状況を知るにつけ、大きな被害に遭った方々のために祈らされます。自宅のある高槻市街地北部の山沿いでは、暴風と豪雨で団地内の植栽が倒れて道がふさがってしまうなどの被害が見られました。また後日、同じ区域の中の違う棟では窓ガラスの損壊や停電があったことを聞きました。我が家が守られたことは感謝であり、その分地域のために何かできることがあればと思わされています。
 九月六日には、以前関西集会に集っておられたM・N姉のお見舞いに行かせていただきました。京田辺市のケアハウスに入られてからは、近くの教会に通っておられましたが、転倒して骨折、入院して二回の手術、今はリハビリ中であり、久遠教会の方々にもぜひ祈っていただきたいとのことでご家族から阿佐ヶ谷の方に連絡が入りした。私から返信させていただき、当時を知る方々と相談の上、I・Y姉、K・T姉とともに入院先の病院に伺わせていただきました。個室で思う存分賛美もでき(M・S姉の愛唱歌と聞いて楽譜を持参した「球根の中には」、またその場で最近よく歌っていると教えてくださった「主に任せよ」)、思い出話に花が咲き、祈らせていただき、とてもよい時を過ごすことができました。とても感謝な訪問でした。
 関西集会全体としては、夏の暑さで体調を崩された方、ヘルニアが悪化している方、足の怪我の回復に時間がかかっている方など、健康に不安を持たれる方が多くおられます。みなで祈り合い、励ましあっていきたいと思います。

<2018年10月> 

 いつもお祈りをありがとうございます。だいぶ肌寒くなってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。

 9月30日の礼拝は台風24号の影響を考えて休会としました。大きな被害を出した21号並みの勢力とのことで、突風の危険や交通機関の大幅な混乱や予想され、高齢の方が多い私たちが集まって礼拝を持つことは難しいと判断しました。もともと第五週でライブ配信を利用する日だったので、各自が家で礼拝を持つように連絡を回しましたが、今回初めて、インターネットを使わない方のためにデボーションシートを用意しました。ローズンゲン日々の聖句の該当個所から短く黙想できるような内容で作成し、メールやファックスで送信しました。集まることが困難であっても、それぞれのところで主の御言葉を読み、祈ることができるように、今後も折に触れて励まし合っていきたいと思います。

 それぞれでの礼拝を励ましつつ、私が出掛けて行って共にミニ礼拝を持つことの意義も実感しています。9月27日に神戸のSY姉を訪問し、ひとしきりお交わりをいただいた最後に礼拝の時を持ちました。体調のこともあり、高槻まで出てくることは難しいと連絡を受けて一年ほどになります。その後も、阿佐ヶ谷や高槻の礼拝メッセージを聞き続けてくださっていましたが、今回やっと訪問することが出来、共に礼拝することが出来ました。直近の礼拝メッセージを分かち合い、賛美にとても慰められました。会議室での楽器問題以降、あまり出番がなくなってしまっていたクラシックギターでしたが、つま弾いて弾けば居間での礼拝のためには最適な音量です。生の音を聞いていただいて大変喜ばれたのも印象的でした(会議室で使っていた時には人数のこともあり音が聞こえなくなってしまうので、不得手ながら小さなマイクをセットしていましたが、生楽器のつややかな音は再現できずにいました)。

 そう言えば、礼拝中の私の話す声の音量についても、マイクがあるため油断してしまうのか、却って小さく聞き取りにくくなってしまうことも分かってきました。声にしろ、楽器にしろ、それを会衆に届けるためのPA(音響システム)とは、小さな私たちの集まりにとってですら何と大切なことでしょう。

 いろんなことを試行錯誤しながらです。来月はホテルの会議室をお借りしての召天者記念礼拝です。どうぞ覚えてお祈りください。

<2018年11月>

 陽に照らされた紅葉が美しい季節となりました。いかがお過ごしでしょうか。
 関西集会では十一月四日に召天者記念礼拝を行いました。いつもの公共の施設では賛美の歌声の大きさが心配だったので、ホテルの会議室を押さえて祈りつつ備えてきました。当日は昨年に引き続きN・T姉(T・K姉のお嬢様)や、以前関西集会に集っておられた方々、またY・O姉の息子さんが今年はご夫妻で、そしてI・Y姉のご友人も初めて参加してくださいました。召天者記念礼拝には、法事のような位置付けと役割があることを改めて確認し、今後も継続していきたいと思わされます。礼拝メッセージでは第一テサロニケ四章一三節〜十八節を中心に、その文脈にある五章十六節〜十八節にも触れながら、復活の希望を握りつつ今を丁寧に生きることについて語らせていただきました(録音と、週報掲載のポイントをホームページで公開しています)。午後の交わりも祝福され、懐かしい方々のことを偲びつつ、みことばの慰めと励ましを味わうひと時となりました。
 関連して、面白いことがありました。午後のためにサンドイッチの宅配を頼んでいたのですが、恐らく賛美の最中に入ってこられて気がつかず、衝立の陰で10分ほど待たせてしまったのです。時間を指定していたのに大変失礼なことをしてしまいましたが、その内の一人が目を輝かせていてくださって(気のせいでしょうか)、キリスト教会の礼拝を目撃する貴重な機会になったと思ってくれていたら嬉しく思います。伝道・宣教は身の回りの人に対して「生きた広告塔」としての証びとになることが何より大切だと思いますが(地の塩・世界の光として)、直接関わりのない不特定の方々への証の機会もこのように突然やってきます。気になったことは何でもインターネットで検索する時代ですから、ホームページを充実させるなど、出来る工夫を続けていきたいと思いました。
 今後も一つ一つ模索していきます。引き続き、お祈り頂ければ幸いです。

<2018年12月>
 主の御名をたたえます。アドヴェントの期間、いかがお過ごしでしょうか。関西集会では昨年からLEDライトのキャンドルを用意し、週ごとに一本ずつ点火しています。点火と言ってもスイッチをいれるわけですが、炎に似せた部分が揺らぐ様子は本物そっくりです。
 昨年の四月の着任以降、ずっと創世記の講解を続けてきましたが、年内に終わる予定です。ヨセフ物語の後半は区切り方に工夫が必要だと思われたこと、十二月中はせめて一回はアドヴェントにちなんだ聖書箇所を選びたいということ、二十三日はクリスマス礼拝だということなど、制約がありましたが、なんとかきれいに年内に終えて、新年の御言葉に切り替えていけそうです。神さまが今私たちに語りかけておられるメッセージは何かと霊の耳を澄ませながら、じっくり聖書と向き合い、わかりやすくまとめるために考え抜くという作業を毎週行うことはなかなか大変なことですが、これは牧師として遣わされた者の責任です。ハードですが、同時に御言葉を味わい続ける恵みの特権でもあります。誰よりもまず自分自身が励まされ、力づけられてきました。そして何よりも、この務めは祈られなければ果たし得ないものです。今後とも、どうぞお祈りください。
 二十三日のクリスマス礼拝は、ワークホテルの会議室で行います。礼拝ではLEDのキャンドルを四本灯し、午後は楽器の演奏やゲームなど楽しいプログラムを考えています。イエス様のご降誕を祝う、良い日となりますように。

 

 

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