高槻だより 2026
<2026年7月>
暑い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。心も体も、みなさんの健康が守られますように。
「神よ あなたは私の神。/私はあなたを切に求めます。/水のない 衰え果てた乾いた地で/私のたましいは あなたに渇き/私の身も あなたをあえぎ求めます。/私は あなたの力と栄光を見るために/こうして聖所で あなたを仰ぎ見ています。」(詩篇63:1〜2)
ダビデにとって、今いる荒野は聖所でした。礼拝の中心地である神殿から離された場所で、孤独と絶望が襲いかかってくる中、彼は荒野で神を求め、礼拝を捧げました。
私たちも、それぞれが置かれているそのところで神さまを見上げ、賛美を捧げていきましょう。神のことばを思い巡らせ、味わいながら、主との祈りのやりとりを続けていきましょう。
<2026年6月>
サッカーのワールドカップが開催され、各国の代表チームが熱い試合を繰り広げています。日本代表は強豪国であるオランダと引き分けた上、危険な行為への警告(イエローカード)もなかったということで、6/20現在1次リーグのグループで2位を守っています。ぜひ決勝トーナメントに進んで欲しいものです。
選手たちはこの舞台で戦うために日頃から自分自身を鍛錬します。ベストなコンディションで試合をするために、自分を律し、ここに焦点を定めて数年間準備をして来たのです。
パウロは、キリスト者の生活も似たようなものだと記しています(Ⅰコリント9:23-27)。自分自身が福音を受け取り続け、また人々に福音を分かち合っていくためには、自分の霊的なコンディションに気をつけることが大切だというのです。
プロテスタント教会は「聖書のみ」を大切にしてきたので、カトリック教会のような「修練」の習慣がありませんが、それらは本来、霊的成熟/成長のために有益なものだと見直されてきています。日常の中で、祈ったり聖書を読むために、意識的に時間を取り分けるところからまずは始めていきましょう。
<2026年5月>
5月24日はペンテコステです。約束通り聖霊が来てくださったことをお祝いします。旧約聖書においては限られた人にしか与えられていなかった聖霊が、今はイエスさまを信じるすべての人のうちに聖霊が住んでおられます(Ⅰコリント12:3)。
聖霊はいのちの水の川にたとえられます(ヨハネ7:38、エゼキエル47:5,9)。溜まってよどんでいく水ではなく、あふれ流れていく川です。過去に受けた恵みを思い返すのは大切なことですが、そこにとどまるのではなく、前を向いて進んでいきましょう。個々人の話だけでなく、教会としての歩みにも同じことが言えます。聖霊に満たされ、進んでまいりましょう!
<2026年4月>
改めて、イースターおめでとうございます!主の復活を心からお祝いします。イエスさまはよみがえられ、今も私たちと共におられます。しかも、私たちもこの復活を味わうことができます(未来だけでなく、今この時も!)。聖書が語るこの希望をしっかりと確認していきましょう。揺るがない希望を与えられていることは、先行きの見えない世の中を歩むための確かな力です。
主の復活はイースターの時だけでなく、毎週、礼拝で祝われるものです。週ごとに、新しい気持ちで主の復活をお祝いしていきましょう。
<2026年3月>
あっという間に三月も半ばを迎えました。梅の花が綺麗ですね。
世の中の動きの速さと複雑さに驚かされます。アメリカとイスラエルによるイランへの攻撃は、ロシアのウクライナ侵攻とどう違うのかと問われると、答えに窮します。一方で、1978年のイラン革命以来、独裁政権に苦しんできたイランの人々は喜んでいるという知らせもあります。簡単にジャッジができないもどかしさを覚えますが、人の命が失われていることだけは確かです。この状況に神さまのあわれみがありますように。主の祈りを改めて祈らされています。
10年後、いや5年後の世の中すら予想できませんが、振り返ったら地の塩・世の光として用いられていた——。そんな私たちの歩みでありますように。
<2026年2月>
寒い日が続いていますが、いかがお過ごしですか。もう二月も半ばを迎えようとしています。毎年、この時期はあっという間ですね。
今日は衆院選の投開票日です。政治的な考えは人それぞれですが、「神さまの御心がこの地にも行われるように」と祈る思いにおいて、私たちは一つにされています。結果に心が揺れることがあっても、歴史を導かれる主に信頼し、為政者のためにも祈りつつ、希望と平和を求めて歩んでいきましょう。どうか主の守りと平安が皆さんの上にありますように。
<2026年1月>
主の年2026年、本年もよろしくお願いいたします。久遠キリスト教会の今年の年間聖句はヨハネ3章16節「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」でした。関西集会では昨年末より「みこころが『地で』行われる」ということを教えられていますが、神が「世を」愛されたという表現にも通じるものがありますね。今年一年、このみことばに導かれていくことが楽しみです。共に歩んでまいりましょう!