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牧師就任の経緯

2017年3月19日牧師按手・派遣式での証し(要約)

​​田中 殉

2001年の春に初めて久遠教会の礼拝に参加してから、丁寧な御言葉の取次ぎと、聖霊に満たされることを祈り求めていく信仰のあり方に養われてきました。献身に導かれて2008年に伝道師となってからも、これからもここで仕えていくのだという思いが強くありましたが、今まで受けてきた恵みを還元していかなければならない時期であることも自覚するようになり、今後の進路について祈るようになりました。その中で、関西集会の牧師となるという道が開かれていきました。

 

地方集会のフォローは教会全体の大きな課題です。しかし、中でも関西集会にはすぐにでも牧会者が必要であるように思われました。毎週公共の場所を押さえながらの集会の維持が大変になってきていることや、特にメンバーが関西全域に広がっている中で動きが取れる人も限られてきていることなどの課題もありました。

そんな中、2015年の元旦に創世記12:1~2と22:2を与えられました。アブラハムは神さまから示された地へ出ていきましたが、その約束の成就のしるしとして与えられたイサクを全焼のいけにえとしてささげるようにと言われるのです。主から約束を与えられ、ここまで祝福のうちを歩んできたという信仰の体験自体が偶像となっていたのではなかったか。自分の理解できる範囲の中で神さま像を思い描いていたのではなかったか。アブラハムに対する主の迫りが、自分へのものとして響きました。これと前後して、引き続き阿佐谷で伝道師として仕えていくとの思いに至っていたのですが、神さまから遣わされるところに出ていくのだと思い知らされました。その年の春には初めて関西での礼拝メッセージの奉仕に導かれ、先のみことばがずっと胸に響く中で、主よ、ここですかと具体的に祈るようになりました。

 

関西集会の側では、9月頃に牧師から打診を受けて以降、毎週のようにこのことが話され、祈られていたそうです。人の思惑や計算が働く余地のないように、10月に私が奉仕に行った際にはその話は出されませんでした。後で知ったことですが、「これは人間の熱心だけでは進んでいかないことなので、集会のためにこんなに祈ったことはなかったというくらい祈って欲しい」という要請の下で祈られていたのでした。

私自身も主の導きをさらに求め、荒野でイスラエルの民を導いた雲の柱と火の柱のように、行く先を明らかに示してくださいと祈っていましたが(出13:21)、クリスマス礼拝でのメッセージから、それは単なる方向指示器ではなく主の臨在のしるしであったことを知らされました(ヨハネ1:14、出40:34~38)。主は行く手を示してくださる以上に共にいてくださいます。その確信と平安のうちに、決断していけばいいのです。また一年最後の祈祷会にて開かれたのは詩篇103篇でした。詩篇103:11は私が献身を決意した時のみことばです。2015年の初頭にみことばで「新しい地へ出て行くように」と示してくださった神さまは、その年の終わりには「わたしはあなたとともにいる。わたしがあなたを遣わす」と励ましてくださいました。これらのみことばの取り扱いから主の導きと臨在を強く感じ、関西集会へ派遣されるということについて、改めて決意を固めることができました。

 

年が明けて、関西集会の皆さんも一致して私を牧師として迎えたいとおっしゃってくださいました。その後、場所取りや礼拝のための細かい準備を担当してくださっていた姉妹方が相次いで病に倒れ、その後召されていったことなど、これからどうしていったらいいのだろうという状況になったことからは、ここには何か神さまのご計画があるに違いないと思わされました。関西集会は大きな困難に直面しています。苦しみの意味は究極的にはわかりませんが、それでもそこに神さまからの語りかけや眼差しを感じるなら、主が共にいてくださることだけを頼りに歩んでいくのみです。主が先を進まれ、私たちの目の前で不思議を行ってくださいます(ヨシュア3:5)。私たちは主のみわざを目撃することになるのです。

今までのお交わりに感謝します。家族ともども、今後とも祈りに覚えていただければ幸いです。

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